第95号  1996,2,20(火) 東京のある小学校 2年1組


「のびのび」インターネットバージョン


あなたの宝物は?

 毎月の学校便りに掲載されている職員の分担が、来月は2年生に回ってきました。さて、何にしようかと考えたあげくに、親の愛情にしました。
 私達夫婦の両親はともにすでに鬼籍に入っています。
「親孝行、したいときには親は無し」というアレです。
 特に母は、弟が就職するのを待っていたかのように他界し、全く子供のためだけの人生のようでした。それで本当に幸せだったのか、晩年の母の思いを想像しようとしますが、ダメですね。ただ、いずれにしろその年齢まであと数年。自分らしく生きていきたいなとは思っています。
 また夫は、最近、私のすることを見ては、「母親に似てきた」と、よく言います。夫の母親とは、病院での最期は看取りましたが、一緒に生活をしたことがありませんので、似るはずはないと思うのですが、そう言います。でも、よく聞いていると、家事の手抜きの仕方が同じということのようです。これはきっと家事をする際に共通する「女の知恵」のことなのでしょう。
 夫にとっても、母親は、未だに忘れ得ぬ存在のようです。

 子の親に対する思いは大きいものであると思いますが、それ以上に、親の子に対する愛情は大きいものですね。(えてして子どもはそれに気づかないのですが)  先日、ちょっと一杯やりながら、北海道のトンネルの崩落事故について、そこの主人と話していたとき、
「せっかく育てた子どもが急にいなくなるなんて、考えられないね。もし自分だったら、もう、何にもしたくなくなるね。もう、そんな気力もなくなっちゃうね。」というのを聞いて、親とはそうしたものなのだろうと思いました。
 無償の愛、まさしく親の愛がそれでしょう。

 先の日曜日、夫の勤める養護学校で学習発表会(学芸会のような物)が行われました。あいにくの雪でしたが、会場の体育館にはすでにたくさんの保護者の方がおられました。(外は寒いのですが、養護学校なので、体育館は暖房付きなのです。)
 私のクラスでは、いっぺんに『10教えて8から9くらいは理解する』ことを要求していますが、ここでは、『1教えて1身に付けたら』2つ目に進むという教育を根気よく行っています。
 ですから、発表内容も個人の力に合わせて行っています。そして、それができたとき、みんなで大きな拍手をしていました。つまり、一人一人をとても大事に、優しく見ているという雰囲気が伝わってくるのです。とても温かく感じました。
 私などが見ていると、つい悲壮感が先にきてしまうのですが、ここには笑いが絶えないんです。舞台の上の子供は勿論、会場の親御さんもいい笑顔でした。(ただ、それまでにはたくさんの葛藤があったのではないかと想像しますが。)お母さん達のコーラスもいい声が出ていました。
 障害を持った子の親たちの愛情こそ至極の物ではないかしら。注ぐだけで見返りなど期待しないで・・・子どもの笑顔に最高の喜びを感じて・・・

 自立させるためには、時に厳しく子どもを突き放すこともあるのでしょうね。その辺のことは、私たちも見習わなくてはいけないでしょう。【かわいいかわいい】では、子どもは育ちません。
【かわいい】子には旅をさせよ。まさにその通りです。


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