第10号  1996,05,24(金) 東京のある小学校 5年1組

「和の輪」インターネットバージョン


心がすさんでいる?

   −といってもうちのクラスのことではなくー

 トイレの便器にトイレットペーパーを丸ごと押し込んだり、トイレのドアを内側から締めて使えなくしたり、あちこちに落書きをしたり、人目を盗んでするいたずらがあるんです。いたずらと言っていいのか、時にはそんな言葉では済まされないようなことも。
 うちのクラスでも、物がなくなる事件が2度ありました。いずれも女子のものです。みんなに探してもらったのですがとうとう見つかりません。

 こういうことがいつおこるのか、わかりません。その時を見つけようと注意していても、うまく隙をつかれます。
 いつの頃からか、学校ではこういうことが増えてきました。(ですから、疑われないためにも、下校時刻を守って、その後の忘れ物は取りに来ないことにして下さい。また、学校はいつも解放されていて、保護者と不審者の区別が付かないのも困りものです。)

 ものを大事にするとか、自分と人の物を区別するとかができなくなってきているようで、教室にも鍵を、とお願いしていますが、そんなことまでしなければならないとは。本当に嘆かわしいことです。


まるで黄河のよう

 うちのクラスの子を例えてみると、そう、黄河のよう(といっても実際には見たことがないのだけれど)。ゆったりと大きく流れている・・・

 とにかく素直。人を疑うということを知らないような純粋さ。そして、友達すべてを受け入れる大きさ。
 荒れ狂う激しさはないけれど、ゆったりとゆったりと、まわりと一緒に流れていく。時に石を投げて波紋を起こそうとするのですが、いっこうに動じません。
 勝手に飛び散るしぶきを流れに戻そうとする私の注意を、「厳しいよ。」と注文を付けて友達をかばう優しさは天下一品です。
 でも、目に余るわがままを言う友達には、私の代わりにお説教して私を助けてくれることもあります。
 こういうとき、私はこの子達の素晴らしさに感動しています。

 また、この子達、別のものに例えてみると、宮沢賢治の「雨にも負けず」のようです。
 アメニモマケズ カゼニモマケズという例のアレです。
 あわてず騒がず、マイペース。風に身を任せる柳のように自然に逆らわず、ひょうひょうと生きている感じです。

 そんな子どもたちに、今学習している詩「われは草なり」がぴったりかも知れません。
「自分は自分である。自分は自分らしく生きていく。」ということ、まだ自覚はないのかも知れませんが、徐々に感じていって欲しいと願っています。

 そのためにも、繰り返しになりますが、


 自分で考えること。自分で判断すること。 
   自分で実行すること。 
 簡単に言えば、言われなくてもやるということ。 
   決して操り人形にはなるなということ。 

この事を しつこく しつこく 話していきたいと思っています。


 高東スポーツ大会の練習もいよいよ佳境に入りました。
 子どもたちの盛り上がりはどうでしょう。いろいろと話を聞いてみて下さい。


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