1月1日(火) ナポリ観光

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 正月だからかどうかわからないが(正確に言えば今日ゆったりの行程になったのは通常の予定のポンペイ見学が元旦休日で休みの為明日に延ばさざるを得なかったので)、今日の出発は9時と遅い。それでも目的地のナポリまでの距離は二百数十キロあるから途中でトイレ休憩をはさまなけらばならない距離だ。それでも12時を回るか回らないかにはナポリのランプを降りてしまった。最初に入ってきた地域は倉庫とアパートが混在するような下町的な雰囲気のある場所で、アパートの窓辺には洗濯物なども見ることが出来た。ここではトラムが走っていたが、同じ電線を使ってだと思うがトロリーバスも走っていて、線路を走るものとタイヤで走るものが混在していた面白かった。そうこうしているうちにレストランに到着してしまった。ナポリはローマ時代からの港町だから当然ここでの食事はシーフード。久しぶりのシーフードに一同食が進んだ。こういうところを見ると、やはり日本人は海洋民族中心の混血のようにも思える。

 食事が終わるとナポリの観光になる。ナポリの観光は車上からの観光が主なものになる。この理由はおそらくはナポリの交通事情によるものか。ナポリ湾は中央に飛び出す卵城(地中に鶏卵を埋めて建設したという言い伝えがある)を中心にソレント地区と今ひとつの地区に分けられる。そのほかにも地区があるが、一応風光明媚な部分はその部分。左手の湾はどちらかといえば大きな船用で右側はヨットや水中翼船が泊まり、中央部分には漁船が停泊している。小型ながら海軍所属の船も見られた。我々の明日の行程でも左側の港を使い、ホバークラフトでカプリ島へ渡る。バスは海のへばりつくようにあるいくつかの観光スポット回りながら右の港のかなり端の方まで行き、そこから海岸線を離れ高級住宅が建ち並ぶカーブの多い道を使って丘に登り、一端停車した。そこから眺めると、遠くにはベスビオ火山が、そして海の彼方にはカプリ島が浮かぶ。もちろん卵城も見える。しばしその風景を驚嘆しながら眺めた。ローマ時代から様々な権力者をはじめ多くの人を魅了したナポリがそこにあった。今でも政治家や著名人の別荘が丘陵地帯に建ち並んでいる。おもしろいのはその昔はどちらかといえば高級住宅地は海岸線にあり、交通の面で不便な丘陵地帯には比較的貧しい人々が住んでいたが、道路事情の改善された今はその棲み分けが逆転しているということだ。
 さて再びバスは海岸線に降りてきて、そこに停車。ここで順さんはアイスクリームを食べる。ここは市民の憩いの場所といったところの公園たった。ここでも写真を撮る。そこから再びバスは、王宮やヌオーボ城を見ながら町の中心部に戻り、ホテルに入る。今日は元旦でナポリでも休日であったせいもあり、車や人の数も少なかったので、思いの外早くホテルに到着した。

 早めの到着であった為にホテルではまだ用意が出来ていなかったなどの理由があったらしく、しばらく待たされ、チェックイン。このころどうも順さんの様子がおかしい。ロビーで待っている間に風邪薬なを飲み出したので、部屋に入ってから栄養剤を飲ませ、血圧と体温を測る。血圧は上が120足らずで問題がなかったが、その分体温が36度丁度あり微熱状態だ。従って、まだ外は明るかったものの外出することもなく休憩の意味も込めて寝てもらった。しかしその後ずっと寝ていて、外出が出来なくなってしまった。

 夕食はすごかった。チーズ攻撃だ。損所そこらの量ではない。モッツアレアチーズとトマトが交互に並ぶ料理が先に出てきた。トマトは1ホール。それと同量かそれ以上のチーズが交互にスライス状で並ぶ。すごい物量感。次はピザだ。実は昼飯の時に、隣のイタリア人が日本で3人前くらいの量のピザを前菜の他に食べていて、それでも足りずに彼女のパスタを食べていたのを見て、おいおいそこまで食べるんかいって思っていたわけで、まさかそれが自身の現実になるとは思わなかった。もちろんその後にデザートもあった。食事の後半には、運転手のジョバンニさんも合流し、最後はホテルまで歩いて戻った。

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