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12月28日  


アジアハイウエーを経由しタキシラへ

 結局、夜、1時間おきに目を覚まし、あまり熟睡できなかった。5時30分に起きたが、うつらうつら状態。TVでCNNニュースを見た。異文化を否定しているわけではないのだ。円が交換レートの一番に掲載されていたり、トップニュースがペルーの事件だったりで、改めて日本の国際性とは何かを自問する。6時過ぎにモーニングコ−ル有り。驚いたことに、この後もずっとそうだったが、モーニングコールは何と肉声だ。

 7時に荷物をドアの外に出し、朝食に行く。バイキング形式でよかった。トーストやパンなどの他は、パキスタン風料理ですべて辛口。が、満腹。コーヒーが美味しかった。食後、ようやく空が白んできたので外へ出てみた。十八夜位の月がきれいに東の空に見えた。

 7時30分になったのでロビーへ行く。ついでに土産物屋に見学に行く。片言の日本語で店員さんが次々に品物を出してくれたが、「見るだけね」ってがっかり顔。それでも、最後は「さよなら」と笑顔で見送ってくれた。品物に値段が付いてないのが不安だった。きっと交渉次第なのだろう。

 8時出発。アジアハイウエイを走る。舗装された道だ。インドからパキスタンを通り、更に、アフガニスタン、トルコを通ってヨーロッパまで行くのだという。その昔はキャラバンサライも点在したという道だ。以前はよく使われたそうだが、アフガン戦争が起きてからは途絶えてしまったそうだ。道には人があふれていた。その日の職を求めて集まるそうだ。羊を連れた親子連れにも出会う。アフガニスタンの難民だそうだ。そうか、ここはアフガニスタンの隣の国なのだ。それにしても、日本にいると他人事にしか思わなかった「難民」を直接見るとは思いもしなかった。今、そんな国に来ているのだ。なお、ガイドの説明だと、政府のオフィスの時間は夏が8時−4時で、冬が9時−5時だそうだ。民間の場合は例外もあるという。

 アジアハイウエイを途中で右折し、9時過ぎにタキシラに着く。博物館を通り過ぎて、初めにジョーリアーンの遺跡に行った。位置的には博物館から一番離れて所にある遺跡だ。またここはちょっと登った所にある。則裕に引っ張ってもらってふーふー言いながらやっと登り切ると、展望が良かった。


ジョーリアーンの遺跡

 最初にメインストーパを見た。そこには管理人がいて、鍵を開けてくれた。とても人なつこくて、則裕を引っ張っていろいろと説明を始めた。ガイドさんによると、それが彼のアルバイトらしい。写真撮影禁止なのだが、上司がいないときは許可しておいて小遣いをせびるのだそうだ。その説明を聞いたときには、もう則裕はどんどん撮影していたのでそのまま続けた。最初に彼はジャパニーズエンを要求したが、それは無視。最後に10ルピー払った。

title  写真は小ストーパの基壇部分。

title 写真の左側がメインストーパの基壇で、あとは小ストーパ。

 仏像のかなりの部分は髭を生やすなど、顔が西洋的だ。これは2−3世紀ギリシャ人がこれら仏像を作っていたことを意味しているという。

title 僧院部分の、祈りの場。まわりは僧の学習の場。

 タキシラの最初の大きな発掘は1913年から34年にかけてのもので、その後も発掘は続いているが、多くの場合それは外国の調査隊によるもので、パキスタン人のそれではないということだ。また、現在ではそうした発掘を行った場合、再度埋め戻すことにしているという。これは遺跡の破壊を防ぐためらしい。


シルカップの遺跡

 ジョーリアーンの次にシルカップ遺跡に行った。紀元前に計画的に作った街並みの遺跡だ。ここはタキシラに残されている2番目に古い街並み。ちなみに一番古いのは博物館近くの、ビール・マウンドで紀元前6世紀からシルカップが建設される紀元前2世紀まで使われていたという。シルカップのような整然とした街並みではないというが、今回はスケジュールには入っていなかった。

title シルカップは紀元前2世紀以降使われた街で、レンガ積みがその名残を残していたが、道がまっすぐでよく考えられている。

title 街のはずれの城門の直前で曲がっていて、敵の侵入を予防する策が講じられている。

title 日時計まであったのには驚いた。

title 城門からかなり行ったところに、かの有名な「双頭の鷲のストーパ」があった。予想としていたよりもずっと小さくて、ギリシャ風の柱も、インド風のアーチも、イラン(西アジア)風の双頭の鷲もわかった上でよく見ないと見落としてしまいそうだ。他に、ゾロアスター教の円形ストーパやジャイナ教のものもあって、ここが栄えた時代の長さを伺わせた。
 お土産屋がしつこくつきまとうが、みんな偽物だそうだ。ただ、そういうことをわかって記念にするなら買ってもいいだろうとガイドさんが言っていた。その通り。

 このころになると、もう暑くてトレーナー1枚で十分だ。日中気温は12度くらい。10時30分頃にそこを出て、次に向かう。暖かい気候のせいか、道にはミカン売りがひしめいていた。きれいに山積みして並べてあった。また、道々すれ違うトラックといいバスといい、とにかく派手。ぎんぎらぎんに飾り付けている。自分のものという主張なのだそうだ。


タキシラ博物館

title 次は、博物館へ行った。「タキシラ博物館を見ずしてガンダーラを語るなかれ」と言われるくらいここには出土品がそろっている。ストーパの基壇に浮き彫りにされていたものをはがして展示しているものが多い。入口近くにある「仏陀の一生」の浮き彫りは、あちこちからの寄せ集めだが、そこでまず仏陀について少しお勉強をした。他にもいろいろあって、よくここまで保存しているなと思えるくらい状態が良かった。といっても、何しろ紀元前のものだから完璧なものではない。釈迦の表情には、柔和なものが多かったが、苦行のお釈迦様というのもあった。写真はOKと聞いていたが、だめだった。

 ここでストーパについてのお勉強。ストーパとは、仏舎利塔のこと。今はその基壇(台座)しか残っていないが、基壇部分が円形なのは紀元前で方形なのは紀元後。メインストーパの周りにはいくつもの小ストーパがある。金持ちが造ったのは、何層にもなっていて、彫り物も細かくて多い。お金のない人は大まかな彫り物で全体の大きさも小さい。金持ちの台座は、一番下に力の神、その上にライオン、その上に象、その上に釈迦、その上に釈迦とライオンと象が交互に彫られている。この釈迦が、やがて独立して仏像となっていくのだという。

 博物館向かいのレストランで昼食をとった。パキスタン料理。カレーで、野菜やチキン、ビーンズ等いろいろあった。トイレはパキスタン式を初めて経験した。日本式と同じしゃがむ式で、ただ金隠しが無いだけだ。


ダルマラージカ

title 昼食後、最初にダルマラージカへ行く。タキシラの中で一番古いというストーパが残っていた。直径50メートル近くのメインストーパのまわりに、いくつものやはり小ストーパや奉献塔が散在していた。


スワットへ向けて・・・

title 見学後、スワットへ向けて出発。途中、イギリスの造った城というのを過ぎるとすぐインダス川とカブール川の合流地点に出た。

title 青く澄んだインダスと茶色く濁ったカブールの色が好対照だった。何れも水量は少なく中州が多くできていた。
 が、これも夏期にはすっかり水に隠れてしまうそうだ。(川の写真で下の方がカブール川で上がインダス川)

 この辺までくると、女性も顔を隠すようになるが、この埃のひどさを考えればその方が健康的でいいかも知れない。それにしても、アフガン難民をも包み込んでしまう心の広い国民性は、同じ道路に、猛スピードの車とロバ、牛、羊も同居させてしまっている。そういえば、女性の運転手というのは、自転車、馬車に至るまで全く見られない。また子連れが多い。女性のそばには必ずと言っていいほど子どもがいる。多いときには4、5人も。人口が多いだろうな。(女性の運転手はパキスタン第一の都市カラチで一度だけ見た。)


ホテルへ着いたが停電だ!

 16時35分、スワットへの山越えであるマラカンド峠を通過する。このころから日暮れになる。街灯もないうす暗い中、車も無灯火で大丈夫なのだろうか。17時30分過ぎ、スワットが近くなる頃に村の電灯もつき始めた。結構電気も普及しているのだな、と思っていたら、ホテルに着いたとたんに停電。何ということ。それでもウエルカムドリンクのグリンティー(と地元で言うが実際はジャスミンティー)を出してくれる。ロウソクの仄かな光の中で、ビスケットと共に味わう。

 ホテルのロビーでしばらく待ったが、なかなか電気が回復しない。小1時間経った。いつものことで用意して有るのだろうか、ロウソクが各部屋に用意される。我々は一番で、自分たちでロウソクをもって部屋に入った。この停電はその後も間欠的にあった。次の日も夕方に1階深夜に1回、そして明け方にも1回停電。そのほとんどが幸いにも瞬間的なものだったが、朝ちょうど顔を洗っているときなどは閉口した。電化が進んでいるという事実と、それにあわない政府の設備投資。どこの世界もこうしたことは同じなのかも知れない。

 部屋に入りしばらくするとやっと電気がついた。見回すと、結構広い。控えの部屋まであって、風呂はたっぷりの大きさ。しかし、また何ということ。エアコンがないのだ。小さな暖房機(フィリップス製の幅25p程度の簡易温風機)が一つだけ。寒い。そうなるとこの広さが逆に恨めしい。夏用の避暑地として造られた建物だから、何もかもが夏用にできている。天井が高く窓が大きい。しかも中庭から部屋までさえぎるものがなく直接風があたる造りなのだ。トイレに行くたび寒さが身に凍みる。

title 夕食はバイキングスタイル。あまりの寒さに、暖炉に火を燃やしていた。料理は、パキスタン料理のオンパレードでちょっと口に合わない。ナンが一番美味しかった。食後、外に出る。寒いが、星がきれいだった。オリオンが大きく近くに見えた。

 ホテル:バスタオル、シャワーキャップ、石鹸、ティッシュペーパー有り。スリッパ無し。冷蔵庫はない。テレビはあったが疲れていたので見なかった。電気は230Vのみだが、一般的な形式でビデオデッキの充電などは変換アダプターのみで用が足りた。電話は各部屋にはなく、フロントに依頼するだけ。したがって、モーニングコールも各部屋をボーイがたたいて回る寸法だ。ただこのホテルのパンフレットには電子メイルアドレスが載っている。