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2005年7月29日(土) |
自宅発(0710)駅乗車(0724)新宿発(0810)練馬IC(0900)=<関越道・上信越−上里SA(1010〜1025)>=昼食(1200〜1300)上越市ものがたり館(1405〜1430)林泉寺(1440〜1540)御前水(1543〜1548)春日山城(1552〜1615)ホテル着(1635)夕食(1830〜1940)祭(1945〜2230) |
1−1 出発![]() 今回は、上越市が企画した初めてのツアーということなので、我々はそのアンケートに応えるという義務を課せられている。その関係からか、取材陣も同行するという我々にとっては初めての体験が付いていた。その取材陣の一人の到着が遅れて、客は全員そろっていたのだが、出発が幾分遅くなった。新宿に不慣れでと言い訳をしていたが、仕事に対する真剣さが足りない。どうも最近の若い者は・・・お〜っと〜〜。 練馬のインターを入るときに少し混雑はしたが、高速は順調に走り、途中休憩は上里SAの1回だけでほぼ予定通り昼食場所に到着。 |
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今回の食事は、毎回その土地の名物料理ということになっていて楽しみなのだが、その手始めは豚ジャブ。これは立ち寄った店の標準メニューだった。で、豚ジャブ、いかなるものかはよく分からないが、この土地の豚を使ったしゃぶしゃぶだ。だし汁がそば汁になっている。それにわさびを溶かした付け汁で食べる。則が店の人に聞いて分かった食べ方だ。味は悪くない。 |
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1−3. 上越市ガイド![]() 写真は、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」にも出演歴(つい最近の6/26と7/3分)のある氷見(ながみ)完治氏。上越観光ボランティア協会の会長さんだ。今回は彼の名調子で、旅がつつがなく進行していった。 |
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何といっても上越は「上杉謙信」。ということでまずは知識を入れて欲しいということで連れて行かれたのが、ここ。春日山城の公園の近くにある新しい建物だ。一部屋だけで、壁には歴史が分かるような絵地図等が張られていたが、メーンは謙信の半生が分かる10分程度のビデオらしい。それを見せられた。このビデオはなかなかよくできていたように思う。謙信とその時代が概略つかめた。 |
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1−5. 林泉寺 1440〜1540![]() そこから菖蒲を脇目に少し歩いていくと山門にたどり着く。これは大正時代の再建だそうだが、かなり古い感じになっている。 そこからご住職の説明を聞いた。本堂へ参拝した後宝物館へ。謙信ゆかりの物がたくさん並べられていた。そこで「毘」と書かれたキーホルダーを購入。 それから裏山へ。謙信公と川中島戦死者供養塔まで行く。元々の謙信公の墓のすぐ後ろに400回忌の時にたてた大きな供養塔がある。川中島供養塔もこのときの物だろう。 20分の予定だった所だが、1時間も見学をした。地元の観光課の力の入れ方が分かる。 |
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ここは予定になかった所だ。自然のわき水でとても美味しいと案内してくれた。ペットボトルに入れて持ってかえって下さいというので、我が家もすぐにのる。自然水特有の甘さを感じた。保健所の検査も通ってますから安心して下さいと何度も強調していた。 |
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1−7. 春日山城 1552〜1615![]() ![]() この春日山神社には、東郷平八郎の碑とロシア製の大砲(日露戦争の戦利品)があり、先勝祈願をする神社だそうだ。祭神が誰かは確かめもしなかった。いや説明があったのかもしれないが聞いていなかった。やはり謙信か? それから小川未明がこの神社の創建者の息子だったということでその石碑と記念館があった。これは初めて知ったことだ。ガイドによれば、「戦争(春日山神社)と平和(童話)の共存している」エリアと言うことになる。 ふらふらしながら戻ってくると、ガイドが則に「あなたはのりのよい人か?」と聞いてくるので「何ですか?」と聞いたら、急に謙信の格好をさせられた。はい皆さん写真を撮って、とモデルまでさせられた。本当にどうしていつも則はこういう役回りなのだろう。と言いながら、順は同情するどころか一人で笑い転げていた。 |
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1−8. ホテル 1635![]() 風呂に入り、買ってきた馬刺しと酒で景気をつけた。 |
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1−9. 夕食は「かちどき飯」 1830〜1940![]() 準備に手間取って、実際に食べ始めたのは、予定よりやや遅れていた。 メニューは「毘の膳」。 @削り物(鰹節・イカ)・・・おもしろい食べ物だ。鰹節が美味しい。 A戦国刺身(白身魚3種をずんだ酢か煎り酒に付けて食べる。好みでワサビをのせる。煎り酒とは、酒に鰹節等を入れて煮たもので、こちらの方が合う。)・・・やはり醤油がいい。 B炙り焼き(鴨の胡桃炙り、カマスの焼き物、しまエビ、串芋、松の実味噌)・・・今もあるような。 C糠味噌煮(鰯、なす、タケノコ、コンニャク)・・・鰯の柔らかいこと D胡桃浸し(ふき?)・・・柔らかくて美味しい E黒米(コシヒカリと黒米)・・・固いが美味しかった F集め汁(干魚、ゴボウ、ねぎ、ずいき他)・・・干魚は鰹節かな?みそ汁だ。美味しい。 G香の物(柴漬け、) H水菓子(マスクメロン) これらが、C以降は一つ一つ出てくる。後ろから太鼓の音が聞こえてくるので、我々はそちらが気になって落ち着かなかった。幸いなことに一番上座に座ったので、料理はいつも一番に出てくる。さっと食べてさっと部屋を飛び出した。 他の人はガイドと一緒に行くが、我々は自分たちで行動することにした。 |
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1−10. 直江津祇園祭 1945〜2230
少し行くと屋台が列をなしていた。八坂神社の参道入口に陣取って屋台からおせん米(御饌米)を下ろす所を見た。屋台はそこで最高潮の盛り上がりを見せるからだ。 屋台によって盛り上げ方はさまざまだった。紙吹雪をまき散らす、シャボン玉を吹き上げる、水をかぶる、お酒を振る舞う等々。でもいずれにも共通しているのが大きな太鼓の音と絶叫する若者の声。「ワッショイワッショイ」「ソイヤサーソイヤサー」など、一定してはいないが、まあこんな所か。リズミカルに、まるで歌っているようだ。それに併せて周りの人たちの体が揺れる。ひとつの大きなうねりになる。 屋台から下ろされるおせん米は3個の米俵。それを若者が担いで神社までかけていく。その先どうなるかは見ることはできないが、これまた幸いなことにすぐ目の前に地元テレビ局のカメラがありその下でテレビ中継画面が見られ、詳細を映し出してくれるので、見えない部分はそこに目を移せばよいので、全体の様子が把握できる。 しばらくそこにいてから、実際に米を奉納する所を見るために八坂神社目で移動した。まずはお参り。そこで待っているとおせん米が来た。参拝していた人たちも心得たもので、そのときになるとお参りをやめて場所を空ける。そこにやってきた若者たちはまずは履き物を脱いで拝殿にあがる。それから、「一番こめー」という総代(代表)のかけ声に合わせて米を奉納する。最後におせん米とかかれた木札を刺して奉納が終わる。それから神主のお祓いを受けて終わる。 ここまでは見られないのかと思いきや、撮影も自由だった。さすがに中に入ることはできないが、すぐ目の前だし、テレビ撮影用に電気も明るいのでよく見えた。 それからまた参道入口まで戻り、今度は屋台そのものを見ることにした。横から見ると同じようにしか見えなかった屋台だが、正面にはそれぞれの工夫があり、一つ一つ違ったものになっている。それを見るのも楽しみの一つだろう。ただ、人が多いので欲張ってこちらもみておせん米を下ろす所もみて奉納も見てというわけにはいかないので、結局は順番にということになってしまう。時間的に余裕があれば、昼間の巡航のときに屋台そのものを楽しむことができるだろうが、今回はその余裕はなかった。(最後の写真は龍神の顔から若い青年お顔に変身させているその様子。) 十分に祭を味わって、楽しいひとときを過ごした。祭も10時に終わる予定が延び延びになっていた。警備のお巡りさんがしきりに時計を気にしていたが、祭の興奮を止めることはできなかった。我々は結局最後のおせん米の船が門前から立ち去るまで鑑賞をした。ホテルに戻って、一献傾けたことは言うまでもない。こうして祇園祭の興奮とともに今宵は眠りについた。 |
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Copyright ©2006 Junko Honkawa & Norihiro Honkawa. |