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2009年6月14日(月)
ホテル(0810)・・中強羅(0819)<ケーブルカー>(0824)強羅(0830)<ケーブルカー>(0839)早雲山(0845)<ロープウェイ>(0915)桃源台(0930)<箱根登山バ>(0935)白百合台・・・(0956)湖尻水門・・・(1045)耕牧・・・(1141)温湯・・・(1230)湿生花園(1240)(1308)強羅・・昼食・・(1351)(1357)ユネッサン(1407)(1456)小田原(1505)<箱根26号 9号車12AB>(1621)新宿

2−1 朝の散歩

 夕べは早く寝たのだが、朝はいつもの時間くらいに起きた。あまりいいお天気ではなかったが、朝食は8時と決まっているので、まずは朝風呂へいった。
 それから散歩へ出た。
 旅館やらマンションやらが建ち並んでいる中を歩いた。上強羅まで歩いたのだが、当然といえば当然なのだが坂が急だった。だからケーブルカーなのに、と後で気がついた。
 気持ちがいいというよりは朝から疲れた。

2−2 出発

 その後、またnoriは温泉へ行った。本当にnoriは温泉が好きだなあ。
 朝食は8時ということだったが、もう用意できているというので、30分も前に行って済ませた。朝はお定まりのあじの開きに卵という粗食だが、ご飯はたっぷり3杯分もあった。普段朝食を摂らない我が家にしてみればこれでもご馳走だ。
 それからいざ出発。駅へ行く途中、数台の観光バスが止まっていた。こんなにたくさんの人が泊まっていたのかと驚いたが、みなMOA教団の人たちだ。そういえば昨日何か教団の祭事があったらしくものすごい人だった。北海道や九州の表示のあるバスだったから全国から集まってきているのだ。それらの人たちがこの周辺に泊まっているらしい。
 駅もまたホームからあふれんばかりの人だった。これは乗り切れないなあと思ってそのことを口に出したら、バスの手入れをしていたガイドさんが、通り抜けるだけですよ、と教えてくれた。初めはその意味がよくわからなかったが、電車が到着してわかった。要するに、ここは横断する道がないので、電車の中を通り抜けて向こう側に行くと言うことだ。なるほど。運転手さんもいつものことなのか、何も言わなかった。
 一端強羅に行き、また荷物をコインロッカーに預けて、すぐに折り返しの電車に乗り込んだ。

2−3 早雲山(0845)<ロープウェイ>(0915)桃源台

 今日はロープウェイに乗る。が、とうてい富士山は期待できない天候だ。電車を下りる時、ロープウェイは8時45分からの運行ですと案内があった。今がその時間だった。何とまあ、これより早く来ても無駄足になる所だったのだ。
 始発で早雲山から乗り込んだロープウェイは雲の中を走る。真っ白い中で何も見えない。テープの解説では、眼下に広がる大涌谷をご堪能ください、などといっているが、全く見えない。ここまで来るともう諦めの境地以外の何者でもない。おとなしく座っているだけだった。ロープウェイはやがて乗り換え地点の大涌谷に着いた。
 するとちょっぴり青空が見え、大涌谷も噴煙を上げているのが見える。山の上に出たせいか。そこで一寸写真を撮ってまた次のロープウェイに乗り込んだ。
 こちらは、一山越えたせいか、雲の中ということは無く下の様子もよく見えた。芦ノ湖もきれいだった。

2−4 桃源台(0930)<箱根登山バス>(0935)白百合台
                        ・・・ハイキング (0935〜1230)

 桃源台に着くとまたバスに乗って、昨日と同じく白百合台まで行った。ここのビジターセンターから湿生花園まで軽いハイキングをするのだ。
 コースは湖尻水門・・・耕牧・・・温湯・・・湿生花園。基本では2時間ちょっとのコースになるが、足の悪いnoriを抱える我が家のペースではそれよりやや遅いペースになると予想して歩き始める。
 昨日ビジターセンターで手に入れた地図を頼りに歩き出したが、いささか心許ない。地図も途中の標識も完璧さはないからだ。そんな所はnoriのカン働きで進んでいった。
 水門まで行くには、本当は一つ前のバス停で良かったが、それは歩いてから気がついたこと。つまり少し桃源台の方へ戻るようにして進む。この水門までは地図とほぼ同じ時間で来られた。写真を撮るような所が、昭和天皇の植樹(といっても50年くらい経っていてなかなか立派な木に成長している・・・それでもきには布が巻かれていて絶対枯らせない!という意気込みが伝わる)なかったからだ。
 それからはずっとゴルフコースに沿って造られた山道を歩く。行けども行けどもゴルフコースから離れることはなかった。かようにこの辺りにはいくつものコースが造られていた。しかもかなりの面積をそれらが占める。ゴルフに文句はないが、一部の人間の楽しみのために、自然をかくも壊してしまってよいのかと疑問が沸く。
  杉の根っこのむき出しになった様な道を進んでいく。所によっては蜘蛛の巣を払いながらという所もあった。時期的な物なのだろうが殆ど人が通らないようだ。それでも何組かの人とすれ違ったときにはいくらかホッとした。
 およそ行程の半分のところに「耕牧舎跡」という場所がある。ここで明治時代別荘地となった箱根の、そこを訪れる外国人のために乳製品や肉を供給する牧場が出来たという。この組織はやがて温泉供給会社の母体ともなった。傍らにはこの耕牧舎に一生を捧げた 須永伝蔵の記念碑もある(左写真)。
 さて花はあまり咲いていなかったが、鳥の鳴き声と蝶の舞う姿はずっと続いていた。特にウグイスが盛りらしく途絶えることがないくらいに聞こえ続けた。
 殆ど周りの山並みが見えることはないくらい木々に覆われたうっそうとした道だが、大涌谷が見える所が2カ所だけあった。
 最後の方に温湯という所がある。小さな池という感じだ。地図には二つ書かれていたのだが、一つしか見つからなかった。noriが触ってみるとやや暖かいかなという程度の水温だったようだ。鯉が泳いでいたから、温泉ということは無いのだろう。そこから本道に戻るときに、別の道を行ってしまって引き返すというアクシデントがあり、30分近く時間をロスしてしまった。
 足が痛くなり始めた頃、ようやく湿生花園に着いた。2時間くらいの行程を3時間弱かかったことになる。10分後にバスが出るというので、それに乗って強羅に戻った。


2−5 昼食

 昼食は強羅駅前の「お食事処大和」。ここは2度目になる。店の前には行列が出来ていた。ここの海鮮かき揚げを食べに行くのだ。二人とも同じ物にした。店の人はうどんやそばが美味しいですよ、と盛んに進めてくれたが初志貫徹で「海鮮かき揚げ丼 1600円也」にした。これでご飯が終わってしまったようで、この後の人は否応なくそばかうどんになってしまっていた。
 どんぶりからはみ出しているかき揚げは、薄味だが、たれはやや甘みが強い。それがご飯にしみこんでいるので、口の中でちょうど良いバランスがとれるのだろう。大満足であった。

2−6 帰路 <箱根26号 9号車12AB>

 noriが電車を見ると結構込んでいたというので、我が家は一寸変則的な帰路を考えた。まずここから、ユネッサンへ行き、乗り換えて小田原へ行くというもの。ユネッサンまでは空いていて大当たりと思ったが、ユネッサンからのバスは混んでいてjunは立ちっぱなしだった。ようやく箱根湯本で座ることが出来たが、山道なので結構負担が大きく疲れてしまった。
 ということで、急行で帰るはずが、ロマンスカーになった。ゆっくり寝て帰りたかったからだ。ということで、乗り込んでから新宿まではお休み状態であった。