2 散策 (0930~1230)
ここは、徳川家康の家臣、内藤家の江戸屋敷の一部だったところで、明治になって農事試験場となり、後に明治39年に皇室の庭園となった。それが戦後公園として一般に公開されるようになった。フランス式庭園、イギリス式庭園、日本庭園が整備されている。
2-1 千駄ヶ谷門から
閑散とした中をのんびり歩いていくと、こんな所でも走っている人がいる。こういう人は年間パスポートが絶対にお得だろう。
地図を頼りに、今咲いている花を探しながら行くと、初めに桜が目に入った。寒桜の一種だ。それからサンシュユ、梅、水仙などが咲いている中を写真を撮りながら新宿門の方へ向かって行った。今日行われるガイドツアーの出発点がそちらだからだ。
結構広い敷地に、池があったり芝生の広場があったり、バラ園も整備されていて見所が多そうだ。というよりも、こんなにも沢山の花があるとは思っていなかったので、期待以上に楽しむことが出来た。
新宿門の直前にお休所という古めかしい建物があった。覗いていると手持ちぶさたにしていた係員から中に誘われたので入ってみた。天皇の休所だった建物だという。勝手に見て回るのかと思っていたら、一緒に付いてきていろいろと解説してくれた。ガイドツアーに参加するといったので、それに併せてくれた。何となく過ぎてしまう所もそうしてもらうとより理解が深まって有り難い。
そこから、シランや花ニラ、クリスマスローズなど背の低い花々を見ながら新宿門へ着いた。
2-2-1 木々
その当初は農事試験場だったということもあって、数多くの樹木が植えられている。その中から、印象に残ったものを挙げてみる。ただ、花の咲いているものは除いて純粋な樹。
まず初めはヒマラヤスギ。ヒマラヤシーダーが別名。マツ科なのだそうだ。枝が下まで張り出していてく立派だった。枝の下に入ると日差しが遮られてぐっと気温が下がる。こんなに大きいとこの前の地震の時なんか大丈夫ですね、といったら根の張り方は弱いのでかえって危ないのだそうだ。
次がレバノン杉。別名レバノンシーダー。これもマツ科。まっすぐに天をつくように上に伸びていた。これは良質の木材で、古代エジプトやメソポタミアのころから建材や船材に利用されていた。現在レバノンの国旗にの中央に描かれているが、伐採がたたって保護材になっている。
次がラクウショウ(落羽松)。木道になっているので、湿地帯でもないのになぜ?と思ったら、気根の保護のためだという。別名ヌマスギといって、北米東南部からメキシコが原産。気の周りに沢山の気根が地から上を向いて伸びていた。前回の旅行でバングラに行ったとき数多く目にしたものだ。まさか日本でもお目にかかれるとは思ってもいなかった。junはこれが一番印象に残ったが、noriは違った。
noriが一番惹かれたのはタギョウショウ(多行松)。マツ科の常緑低木でアカマツの園芸品種だとのことで、黒松に赤松を接ぎ木してある様子が、そのまま残されてよく分かる。一点から腕を広げるように枝を伸ばして上の方に歯が着いているのだが、綺麗に剪定されていてそれが並んでいる様は、何か別世界へ入り込んだような気にさえなった。それもそのはず、noriが惹かれたのは、ソコトラ島の竜血樹と樹形が似通っているからだ。
2-2-2 花をつけた木々
今が盛りとばかりに咲いているのがハクモクレン。出発地点でまずは目にした。木自体が大きいため、カメラに収まりきれないほどの花が木を覆っている。見事としかいいようがない。
そういうのが苑内には数カ所に渡って何本もある。
そのハクモクレンと競っているのが寒桜。寒桜と言っても色の鮮やかな寒緋桜などもあって、花をつけている本数はかなり多い。寂しくポツンポツンというのもあったが、殆どは巨木に沢山花をつけていた。
寒桜というのは木も花も小さいという思いがあったのだが、どうしてどうしてソメイヨシノに負けない位大きかった。
今回目にしたのは、カンザクラ、カンヒザクラ、修善寺桜。ここには他にも、20近くもの種類の桜があるが、まだ時期的に早すぎた。ただ、ガイドさんによるとその時期は人が多くて今日のようにゆっくりと楽しむことなど出来ないと言うことだ。
他には、終わりかけの梅、椿、マンサク、ミツマタ、サンシュユ、ボケ、ジンチョウゲ等が分かった。
それらの中で特に珍しいと教えてくれたのが、錦魚椿。花は他のと変わらないのだが、葉の先が金魚の尾びれのように分かれている所からそういう名が付いたそうだ。
ガイドさんのお薦めはハンカチの木。白い花がハンカチのように広がって咲いている様はとても綺麗だと言ってその写真も見せてくれた。ただこれはまだ一ヶ月待たなければならないが、是非とも見てみたい。
関山という八重桜や源平というハナモモも見事なのだそうだ。こんな話を聞いていると、ここには一年を通してこなければならないようだ。
2-2-3 建物
ここには記念すべき建物が二つある。
一つは最初に入った旧洋館御休所。重要文化財の指定を受けている。この建物は、温室を訪れる皇族の御休所として建設されたもので、 明治・大正期の皇室関係の庭園休憩施設として唯一の遺構。温室とは渡り廊下のようなもので結ばれていたらしいが、後で塞がれてしゃれたガラス張りになっていた。
また、大正期になるとテニスなどのスポーツも楽しむようなり、ロッカーやシャワー室などが、大正天皇が結婚すると妃殿下も訪れるようになったとかで、女性用のトイレと浴室が増設された。
内部は撮影禁止なので写真はない。華美な装飾が施されていないが、質素な中にも細かな細工がなされていた。特に外側の軒下のレースのような彫り物が素晴らしかった。
二つ目は、旧御涼亭。別名台湾閣。この建物は、皇太子(後の昭和天皇 1901-1989)の御成婚を記念して台湾在住邦人から贈られた本格的なビンナン建築様式の建物。中はがらんどうで何もないが、そこから見渡せる景観が見事。池を挟んで、タギョウショウが並んでいる様子が素晴らしい。ここも窓枠を額縁にして写真を撮るといいですよ、ということだ。
この二つ以外の建物は、1945年5月の空襲で ほぼ全焼という大きな打撃を受けた。
また、建てる予定で建たなかった土地がそのまま残されている。フランス庭園の前にある砂利地がそれで、ヴェルサイユ宮殿を模倣して造るつもりだったが、日露戦争での戦費がかさみお金が無くなってしまって建てられなかったそうだ。