8月3日(火)
〔黄龍 松潘 臥龍〕晴れ一時小雨 臥龍泊
ホテル(0652)−(0826)松潘(0900)−(1100)畳渓海子(1120)−(1810)ホテル
【朝】
今日は出発が早いので4時30分には起きる。則の調子は幾分よくなってきているようだ。
出発の準備をして外に出ると、もう真っ青な空が広がっている。これなら峠から雪宝頂が見られるかもしれないと期待を抱いて、6時52分にはホテルを後にした。
【峠】
(0720〜0727)見事な青空で、雪宝頂がきれいに見えた。ヤクの頭部の骸骨があったのでそれを入れて写真を撮ろうとしたら、どこからか人が現れて撮影代2元払えというので、隠し撮りにした。この辺りに住んでいるチベット人らしい。建てているところはその人の土地ではなさそうだから(バスを留めても駐車代は取られないから)、全く持って不可解な商売だ。
山は富士山に似た形をして、くっきりと浮かび上がっていた。
峠を下ると、行きに見損なった赤軍(内戦時の共産党軍)の記念碑が朝日に輝いて丘の上にくっきりと見えた。
【松潘】
そこから山を下ると一路松潘へ向かう。この町は町中が工事中で、トイレを使わせていただこうと予定していたホテルもそのために使えなかった。入口の門も工事中。この町は辺境の町ということで、三方を城壁に囲まれた(後一方は急峻な山に囲まれている)町になっている。
中心道路も工事中。ということでお目当ての屋根付きの古いに橋は一つもお目にかかれなかった。従って100mくらい歩いて観光はお終い。わざわざ来た甲斐がなかった。この町は現在一大改修中で、改修し終わっている部分はまるで映画のセットのように、古い時代の町並みが再現されている。これで売り出そうと言うことだろうが、今はただただほこりっぽいだけの町だった。
松藩からの道がすごいガタガタ道。昔の日本の道路と同じ。未舗装なので埃がすごい。しかもあちこちが道路工事中なので走りにくいったらない。スピード狂かと思われるバスの運転手も、これではどうしようもない。
途中パラボラアンテナが多く目に付いた。一人っ子政策をとっている中国でも、少数民族は自由と言うことなので、どんどん人口が増えているのだそうだ。経済的に余裕が少数民族にも出てきていると言うことだろう。政府は少子化促進の対策としてテレビを楽しんでもらうようにというのも理由の一つなんですよ、とガイド氏は話していたが、実際には少数民族優遇の措置らしい。
そういえばこのガイド氏、次男なのだそうで、そのためにお父さんは半年分の給料を払ったという。「私は高い子なんです」ということだった。つまり彼は漢民族。
【畳渓海子】
(1100〜1120)長く走ったので、ここでトイレ休憩。トイレは5角。有料なのに、いわゆるチャイニーズトイレ。ドアがない。
この辺りは1933年の大地震で土石流が岷江(川の名前)を堰き止めてできた湖が40もあるそうだ。一大観光地になっている。あちこちにおみやげ屋さんが並んでいるし、ヤクに乗せる商売もしている。このヤク、今まで見た黒いのとは違って真っ白。それもきれいに手入れが行き届いている。5元で乗る事ができる。そこで写真を撮ってお終いなのだが。何人ものメンバーがそうしていたが、もちろん我が家は見ているだけ。
また、この辺りはサンショウの産地らしく、山の斜面にサンショウの木がたくさん植えられていた。庭には収穫した実が干されていた。
川沿いの道は相変わらずガタガタ道だ。しかもカーブが多い。運転は慎重にならざるを得ないから、スピードも出ない。
【昼食】
(1240〜1330)茂県のレストランで昼食。内容はいつもと大して変わらず。則に食欲が戻ってきたようだ。もう大丈夫だろうか?
これから先の移動も長い。
【文川通過】
(1410)このころになると雨が降ってきた。
しばらくしてガソリンスタンドでトイレ休憩。するとたくさんの果物売りの人たちがいて、「もも、もも」と売り込みに来るのでびっくり。ここは観光客が多く利用するトイレらしい。それも日本人が。でもこの売り子たち、決してガソリンスタンドの中には入ってこない。一応のルールがあるらしい。
【映秀通過】
(1517)映秀という町からそれまで辿ってきた岷江沿いに走ってきた成都へ向かう道から右折して、岷江の支流沿いに走る。
ようやく雨も上がりかけてきた。道は相変わらずガタガタでゆっくり寝ることもできないくらいだ。また、所々に崖崩れで道幅が狭くなっている所もあり、スリル満点。
しばらくすぎるとキャベツを山積みにしたトラックとすれ違った。この先はキャベツの産地なのだという。それからは、何台ものこうしたトラックとすれ違った。圧倒されるほどものすごい数だ。
【事故停車】
(1608〜1708)もう少しでホテルに着くと思っていたら、何と事故。いや、こんな道路でこのスピードでよく今まで事故に遭わなかったと思うくらいだったので、とうとう、という感じだった。(左側の車がカーブでふくらんで、右側のバス−韓国からの登山愛好家が乗車とのことだが静かだった−の後部にぶつかってしまった。)
パトカーがもうすぐ来るということだったが、それもここへ来る途中に事故を起こしてしまい、何時になるか見通しが立たなくなってしまった。まったくなって言うことだ。検分が済むまでは事故車を寄せられないから、大型のバスは通行が不可能だ。そこで我がバスの運転手が仲裁に入って何とか示談に持ち込んだらしい(示談になれば警察は不介入らしい)。ようやく動き出した。そこへやっと警察がパトカーではなく自家用車でやってが来たが、遅い。示談と聞いて引き上げていった。
【熊猫山荘着】
(1750)パンダセンターの前。が、実はこれが間違い。また移動。
【ホテル着】
(1810)やっと本物のホテルに到着。
【ホテル】
まだできたての新しいホテル。建設中の建物もあるが、とりあえず開店したらしい。先ほど間違えたホテルと同系列だ。
食事が日本人向けというか、同じ中華料理なのだが、味付けが口にあっておいしかった。
部屋の備品はすべてにパンダの絵が入っていたので可愛らしかった。
則はもう大丈夫らしい。ホテルを間違えたということで出されたサービスのビールも、食事の時もしっかり飲んでいたし、追加もしていた。一安心か。下の万歩計の歩数も、則が相当こまめに歩き出した証拠。
【則裕 12,238歩・順子 4,750歩】