第6日目(2004年3月30日)
《アンマン メリディアンホテル》
【出発】 0800
今日はシリアと別れて、ヨルダンに入る。町を離れると豊かな農耕地帯だ。緑があふれている。ビニールハウスもたくさん見られた。
【ボスラ】 0950〜1100
2時間近く走って、ボスラに到着。中東地域の中で最も保存状態がよいとされる円形劇場がある。それを見るためにここへは来た。この円形劇場は、平地に建てられているので、外から見ると要塞に用になっている、
暗い入り口を通り抜けて階段を上がって行くと、ぱっと目の下に完璧な劇場が広がる。円形劇場もこれで(今回の旅だけでも)何度目かだが、確かにきれいに残っている。いつもながら観客席のきれいなカーブには驚愕の感がある。更に、背もたれのある椅子まであったのには驚いた。
少し下りて外へ出ると、そこは屋外展示場といって、彫像がいくつも並んでいた。そこにレストランがあってトイレを借りたが、今はシーズンオフなのか他に人は居らず、店も改造していた。
ここは保存状態もよいが、音響効果も素晴らしくよい所で、今でも2年に1度だったか、実際に使われているそうだ。ということで、我が添乗員さんが舞台で歌ってくれたが、本当に音がよく響いてきれいに聞こえた。
【国境越え】 1200〜1315
それからまた国境越え。日本人の奥さん(二人目だとか)がいるという日本語がうまいガイドさんともここでお別れ。ただし、バスと運転手はそのまま。(右はシリア側の事務所)
出国手続きをして、少し走って入国手続きをするというのは、レバノンからシリアの時と同じ。手続きの間、写真を撮ったり、トイレに行ったりして時間をつぶす。
先の2つの国でもそうだったが、このヨルダンはもっと日本車が多いようだ。国境でたくさん目についた。軽トラックはほとんどNISSANだ。それから。ヨルダンにはいるとはっきり車の表面が輝いて見えてくる。よくぞ走っているという車は、都会では見あたらなくなる。しかし、ヨルダンは産油国ではない。観光などで生きている国だ。ちょっとこの関係は不思議な感じがしないでもない。
【昼食】 グリーンバレー 1420〜1520
新しいガイド氏とともに昼食会場へ。国は変わっても料理はあまり変わらない。
ただここは焼きたてのナンを出してくれたので、それが美味しかった。
【ジェラシュ】 1540〜1730
ここはBC335年、アレキサンダー大王の時代に栄えた所という。その後いろいろな権力によって支配された。
入り口の凱旋門(ハドリアヌス門)は丁度修復作業中だった。そこから競馬場の跡を通って長い道を行くと南門へ着く。ここで入場料を払う。
この南門はハドリアヌス門と同じ造りだという。ここから本当の町になるらしい。始めにたくさんの柱に囲まれた楕円形の広場(フォーラム)に行く。なかなか見応えがある。ただし真ん中に立っている柱は後世建てられた物だそうだ。
説明は後で、ということでまずはジュピター神殿の丘へ登る。ここからこの遺跡の概要が見て取れるからだ。神殿自体は地震で壊れて今は数本の柱と転がっている石があるに過ぎない。
その隣に劇場もあった。完全な形ではないがかなり当時のままで残されている。ここの面白い所は、最下段の座席の下に、音響をよくするための穴が開いているという所だ。端の人が穴に向かって声を出すと、反対側の端の人までその声が伝わって来るというので、早速みんなで穴に耳を押しつけてみると、確かに響くように声が伝わってくる。こういう工夫をどうして昔の人ができたのか、不思議でならない。
ボスラの劇場もそうだったが、ただ入れ物を造ればいいというのでなく、きちんといい状態を作るという所まで気を配っているのには、ただただ昔の職人気質に触れる思いで感動を覚える。
その後アネモネの咲き乱れる道を行くと、3つの教会跡に出る。そのうちの一つには、きれいにモザイク画が残されていた。
そこからアルテミスの神殿へ。
【ホテル着】(1815)
メリディアン ホテル アンマン。335号室。やや水回り悪し。