<国旗のページに戻る>

第1日目(2004年3月25日)
羽田から関空へ、そして、ドバイへ。

第2日目(2004年3月26日)
ドバイに着くはずがフジャイラに緊急着陸。
フジャイラ発ドバイ経由ベイルート
・・・思いもかけず長い道のりとなった。
ベイルート泊。

第3日目(2004年3月27日)
1日時間を短縮しなければならなくなって、レバノンは駆け足の観光になった。それでも、ベイルート市内・犬の川・バールベックの遺跡・ウマイヤ調時代のアジャールの遺跡とこなし、国境を抜けてシリアへと早くも進んだ。ダマスカス泊。

第4日目(2004年3月28日)
朝食後、一路パルミラを目指す。ダマスカスから道は途中までバクダットへの道と同じ。11時少し前から遺跡へ。昼食を挟んで、見学。広大な遺跡だ。夕刻いったんホテルに入り、アラブ城より夕景を楽しむ。パルミラ泊。

第5日目(2004年3月29日)
早朝、遺跡の彼方から昇る朝日を拝む。朝食後、今もキリストが使用していた古代アラム語を保存することに努力をしているマルーラ村を経由して、ダマスカスに戻る。ダマスカス市内の観光。ウマイヤドモスクなど、ここでも観光また観光。最後に、人類最初の殺人事件?の地となったカシオン山に登り、夜景を見学。ダマスカス泊。

第6日目(2004年3月30日)
古代ナバテア人の都として栄えたボスラの遺跡を見学。その後また国境を越える。最後の訪問国ヨルダンだ。走っている車が光っている。ジュラシュの遺跡は広大だった。遺跡の上に家が建てられていて、保存されているのは僅かだが、それでも圧倒された。

第7日目(2004年3月31日)
アンマン市内観光(考古学博物館とその周辺・円形劇場とオデオン)のあと、一路この観光旅行のハイライトペトラを目指す。アンマン市内よりバスは高度を徐々に下げていき海抜0メートル地点を過ぎ死海に立ち寄る。ここで浮遊体験。その後ペトラのホテル入り。

第8日目(2004年4月1日)
ペトラの一日観光。ほんとは数日かけたいくらいの遺跡だが、駆け足観光だから仕方がない。とはいえ、今日から新年度・・・日本ではみんな働いているのだ。ごめん。

第9日目(2004年4月2日)
アンマンへ戻る途中、ビザンチン帝国時代の繊細なモザイク地図の残るマダバと、予言者モーゼが死の直前に登ったネボ山を訪ねる。夕刻、アンマンより空路、ドバイ経由にて帰国の途へ。

第10日目(2004年4月3日)
いよいよ日本へ。また日常へ。

<戻る>