6、6月2日(土)1/2 ⑪ソゾポル(快晴後晴れ)
起床(0500)朝食(0730~0805)ホテル発(0833)ソゾポルその1(0945~1150)昼食(1158~1255)ソゾポルその2(1300~1322)ネセバル(1434~1452)ホテル着(1819)ホテル発(1900)夕食(1922~2015)ホテル着(2030)
6-3 ソゾポルへ
ホテル発(0833)
今日は一番先に乗り混む番なのだが、やはり添乗員を待ちきれずに乗り混んでしまった人がいた。
それはまずいだろうという話をしているとようやく添乗員がやってきたので、話をして全員バスから降りてもらい、きちんと順番通りに乗りこんでもらった。すると最後の人の席がなくってしまって、というよりこれまでもそうだったのだが、一番危険な後ろの席に詰め込むように座っていたのを添乗員は気がつかぬのか気がつかぬ振りをしていたのか、全くそれに対する対応がなかった。そんなこともあって出発が少し遅れた。
向かっているのも黒海沿いの町。しばらくは黒海を見ながら走る。
しばらくして目に付いたのは、塩田だった。黒海は塩分が多いのでこうして塩田を作ることが出来るのだそうだ。(黒海の海水は水深200mを境として冷たく塩分の薄い表層水(河川から流入し、地中海へ流出)と、暖かく塩分の濃い深層水(地中海から流入)が層を成して混合しない。・・ウィキペディア)。その少し先の町は塩と共に歯磨き粉の製造をしているとのこと。
更にブルガスという町を目指す。9時を少し回った頃にブルガス中央駅前を通過。1902年にソフィアと鉄道で結ばれて産業の町として発展した。ブルガリアでは4番目に大きな町だと言うが、それでも人口は20万人くらいだというから驚きだ。我が住居のある区にも遠く及ばない。
平和に見えるこの国ではあるが、ブルガスでテロとみられる事件が2012年7月18日に起きた。イスラエル人観光客の乗ったバスを狙ったテロとみられる。リンクがいつまであるか分からぬが、とりあえずここから。
6-4 ソゾポルその1(0945~1150)
ソゾポルの町の起こりは紀元前7世紀にまでさかのぼる。その後ギリシア人が入植し、海上交易で発達し、この頃に最盛期を迎えた。やがてローマ帝国に征服される。ギリシア人が作ったアポロ像はこのときローマに戦利品として奪われてしまったそうだ。
まず駐車場でバスを降り、市内観光かと思ったら博物館へ行くという。トイレを借りる都合もあるようだ。
最初に見たのは、聖ジョン教会というのだそうだ。
6-4-1 考古学博物館
「博物館では、紀元前6000年から紀元後17世紀までの、何千年にもわたるソゾポルの豊かな歴史と文化が紹介されている。考古学部門(紀元前5000年~紀元後17世紀)とキリスト教美術部門(17~19世紀)がある。洗礼者ヨハネの遺骨が安置されたのがソゾポルの旧市街で、館内では、洗礼者ヨハネの遺骨が安置された雪花石膏製の骨壷が展示されている。遺骨が発見されたのは、2010年夏に近くの聖イワン島で行われた発掘調査の結果。遺骨自体は常に国内を巡回している。」(ブルガリアオフィシャルサイト)
これほどの博物館なのだが、実は先のネセバルでの博物館見学で、ガイドさんの話が長すぎて不評だったので、今回は自由にどうぞという事になった。
このガイドさん、次から次に話すのはいいのだが、添乗員が訳すのを全く考えておらず、ながーくしゃべる。そしてまだ訳し終えていないうちに次のことを話し始める。こういうわけだからお互いに不信感が芽生えたのか、説明もおざなりになってきている。
訳が分からず写真だけ撮るという有様だった。が、見ているだけでも面白かった。壷類が多かったが、形や色模様が独特の物がある。また、色彩が豊富だったのも印象に残った。
旅名人ブックスによると、「ギリシャ時代の陶器コレクションではブルガリア一といわれる」博物館だそうだ。
これらの多くは、難破船から発見されたのだそうだ。
6-4-4 町並み
5~6世紀に都市の周りには城壁が建設され、現在も半島の南部と東南部に跡が残っている。
「その上に家が建っています、あれは19世紀の民族復興建築です、ヨーロッパ風であるのが特徴です。」ということだ。
それからしばらくメーンストリートを歩く。
お土産やさんが軒を連ねていたが、昔からの伝統建築も数多く残っている。
この街は道路の案内板がしっかりと付いている。しかも英語も併記されているので非常にわかりやすい。それだけではなくところどころの家にも住所の書かれた板が張り付けてあり、訪れた人には親切な町になっている。なのになのに・・・・である。トホホのことが後であったのだ。(これはヨーロッパではよく見られる方式。ちなみに日本でも江戸時代は、通りを挟んだ両側が○○町何丁目で、今のように道路で囲まれた一角が○○町何丁目ではなかった。)
途中にスイカズラの花が咲いていた。こちらでは、悪魔の爪、ともいうそうだ。
6-4-5 聖母マリア教会(1040~1046)
ここも、オスマントルコ時代に半地下スタイルにすることを条件に建築許可を得た教会なので、半分沈んだ感じで建っている。
マリアに捧げられた教会だ。正面のイコノスタシスにはやはりマリアや聖人が描かれている。左端にはやはりミカエルがいるが、右端には地球を持っている聖人が描かれていた。誰?と聞いた人もいたが、どんどん進んで答えはなかった。
イコノスタシスの上には十字架があるが、ここの精霊は鳩で表されていた。
説教壇の螺旋階段は形はワイン壷をなぞらえ模様は葡萄になっているという面白い物だった。
外へ出て改めてみると、半地下式というのが良く分かる。
6-4-6 海沿いの教会遺跡
半島の先端まで来ると、黒いビニル袋に覆われたところがあった。昔の教会遺跡を発掘中なのだそうだ。いつ頃のどういったものかは分からなかったが、それよりも周りの景色の美しさに目を奪われて、皆それを写真に納めるのに夢中になった。
赤いアマポーラなどが咲き乱れていた。向こうには市街地が見える。
海を見れば丁度漁の帰りだろうか、カモメに囲まれた船が見える。
が、実は、ここから沖に聖イヴァン島の島影が見えるのだ。13世紀の修道院の遺跡が残されている。そこで洗礼者ヨハネの遺骨が発掘されたとされるところだ。知らないということは、何ともったいないこと。ボートでも行ける程度の近場にそれはあったのだが、分からなかった。ただ、分からないままに沢山写真を撮っていたのが幸いして、どうやらそれらしいのが見つかった。拡大すると修道院の跡らしき物も見える。
6-4-9 教会
先ほどの教会跡から見えたのが高い塔を持つ「Sveti Georgi 」。日本語では何というのか?
入り口の所には、馬に乗った騎士像が描かれていた。
また、聖キリル・メトディー教会まで行ってみたが、すごい行列が出来ていたので、諦めて次の機会にすることにして、集合場所まで戻った。
そこで、noriはちゃっかりと木陰に座っている。というのも解散になるときにこのおばさんからジャムを買い込んでいたので、おばさんが覚えていてくれて座るように勧めてくれたのだ。この後junも座らせてもらう。とにかく暑い。
そこから少し入った細い道の先に、聖イヴァン島が見えた。
6-6 ソゾポルその2(1300~1322)
食事を終えて、駐車場まで戻ることになった。
ところが途中で、ガイドさんが先ほど見た教会跡に寄り道した。それがあまりにも急なことだったので、全員がそこへ集まらなかった。
そこは5世紀の教会跡だそうだ。
それから傍にあるアートギャラリーという所に入った。お土産やさんかと思っていたら、元々は船大工さんの家で、奥の部屋を開けてくれると、そこにはトラキア時代の家の模様や教会の石片などが並べられていた。普段は未公開なのだそうだ。
結局、2人が集まりきれなくて先にバスの所へ行ってしまった。
この添乗員さん、人数の確認というのが、今回も含めてこの後も全く出来ない人だった。
この頃、聖キリル・メトディー教会は昼休みに入ってしまって、結局中を見ることは出来なかった。
駐車場へ行く途中にもう一度セントジョン教会を見、市街地を走っている観光用の馬車なども見た。