5月4日(月) 晴れのち曇り時々雨
ブルノ〜オロモウツ〜ゼレナーホラ〜クトナーホラ〜プラハ
起床(0500)ブルノ・ホテル発(0800)オロモウツ(0910〜1020)ゼレナーホラ(1300〜1340)昼食(1350〜1505)クトナーホラ・バーバラ教会(1655〜1735)墓地教会(1745〜1820)夕食(2000〜2115)プラハ・ホテル着(2145)
4−1 朝
夜が明ける前に二人とも目が覚めて起きた。窓の外を見ると、まだ、ライトアップされている町をもう一度堪能した。
朝食を済ませて出発の準備も早めに終えた。
4−2 オロモウツ(0910〜1020)
オロモウツは中世を通じてモラヴィア随一の町として栄えたが、三十年戦争(1618〜1648)の後期にスウェーデン軍に占領され、大きな被害を受けた。やがて18世紀に入って復旧が開始され、現在見られるような姿になった。
町の中の「三位一体柱(像)」だけが世界遺産という珍しい登録である。チェコで5番目に大きな町であるが、その割にはあまり知られていない。
4−2−1 建築様式の宝庫
旧市街には、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、ロココ、アールヌーボーなどあらゆる様式の建物が並んでいる。
初めに目に入ってきたのは、聖ヴァーツラフ大聖堂。中心部から少し離れた所にあるが、モラヴィアで最大の物である。1131年にロマネスク風様式で建てられ、その後何度も改築されて現在のゴシックになった。隣にはプシュミスル家の宮殿があったが、今は廃墟なっている。プシュミスル家最後の国王、ヴァーツラフ三世がここで暗殺され、断絶したからである。現在は大司教区博物館になっている。
町の中心部に入ると、バロック様式のイエズス会教会、ロマネスク様式の円形の教会、アールヌーボの建物など様々な建物が目を楽しませる。
1513年に創立された、チェコにおいて歴史のあるパラツキー大学もある。ここでも日本語を教える学部があるそうだ。2年に一度の入学テストは定員オーバーなくらいの大人気だという。
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4−2−2 噴水の町
この町には噴水がたくさんある。まず共和国広場の「トリトンの噴水」。次は、市庁舎の東側には「カエサルの噴水(カエサルはオ
ロモウツの町の伝説上の創始者)」、正面には「ヘラクレスの噴水(1688年に造られたオロモウツ最古のもの)」がある。
これ以外にもあるが、全部は見きれなかった。
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ヘラクレスの噴水 |
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トリトンの噴水 |
4−2−3 三位一体像
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天をさすように建つそれは、遠くからでもすぐにわかった。なによりも最上段の金が輝いていたからだ。
高さは35メートル、最上部には銅に金めっきをほどこした三位一体の像、その下には聖母マリアの被昇天の像、これも金色だ。その他周りは聖ペトロなど30以上の聖人像と20の浮き彫りなどで飾られ、最下層には礼拝堂がある。
あまり広くない礼拝堂に、運良く入ることが出来た。天井の周りの壁には旧約聖書のいろいろな場面が描かれていた。次々と訪れる我々団体に,嫌な顔もせず説明をしてくれたご婦人に感謝。
この工事は1716年に始まり1745年に完成した。バロック建築である。
4−2−4 市庁舎
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ホルニー広場に面している市庁舎は、15世紀に創建され1955年に現在の姿に改修されたものだが、以前の姿をよく留めているという。
塔の基壇のところには、プラハの旧市庁舎と並んで名高い仕掛け時計がある。毎正時に仕掛け時計が動くというので、見に行った。
期待に胸をふくらませて二人ともカメラを構えてそのときを待った。が、寂しい「カン・カン」という音と共に動いたのは、4つある窓のうちの一つだけだった。一寸がっかり。ガイドさんは壊れているようで、修理にまで手が回らないのでしょうと話していた。
それからバスの所へ行って、次の観光地を目指す。
4−3 ゼレナーホラ(1300〜1340)
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このネポムツキーという人はヴァーツラフ四世の王妃の懺悔内容を厳守したために王の怒りに触れて殺害された。ところがそれから300年以上も経った1719年に、彼の墓を開けたところ、白骨化した遺体の中に舌の部分だけが残っていたという奇跡がこの聖堂建設の動きになり1769年に完成した。ゴシックとバロックの二つの様式を混ぜ合わせて造られている。
ネポムツキーの彫像はチェコ各地で見る事が出来る。たいがいは木製の十字架を両手に抱き、つらそうな表情をしている。そして、頭の後ろに五つの星の輪を伴っているのですぐにわかる。
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主祭壇では天使に囲まれたネポムツキーが黄金の十字架を抱えて天球儀の上に立っている。3人の天使は、そんな彼を天国へ運ぼうとしており、頭上からは黄金の光が降り注いでいる。この天使の並びはVの形をなしている。Vは5という数も表している。
さほどここは五という数字にこだわって造られている。
天井の赤い物は何かと思ったら、これが、炎に囲まれた舌を表したものだ。
周りの壁には窓がたくさん付いていた。聖堂内に影が出来ないように考えて造ってあるのだそうだ。さらにマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4人の聖人の副祭壇がおかれている。
ここは当初の予定では、見学できないことになっていたのだが、この旅行会社(正しくは引き受けた現地旅行会社)の特別の計らいで中に入ることが出来た。お陰で、他の観光客がいなかったのでゆっくりと見る事が出来た。
が、この頃から空模様が怪しくなってきた。
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鱒のマッシュポテト添え、ブルーベリーパンケーキ
ビールは27Kc
4−5 クトナーホラ
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ここクトナーホラは13世紀後半に銀鉱脈が発見されると経済都市として発展した。王宮内に王立造幣局が設立され、ここで製造されたグロシュ銀貨は当時中央ヨーロッパに広く流通し、町は大きく発展した。しかし16世紀に銀が枯渇するとともに衰退し、1726年に造幣局は閉鎖された。
4−5−1 聖バルバラ教会(1655〜1735)
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大胆な飛梁(フライング・バットレス)が、林のように聖堂を取り巻いている。プラハの聖ヴィート教会と同じ人が手がけて造ったため形がよく似ているが、内部は質素である。
それでも、高い交差のアーチ型天井の模様は美しい。
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聖バルバラは、鉱山労働者の守護聖人として崇められている。そのためにここでは、聖人ではなく銀鉱に携わった人々の像が並んでいる。
南側の側廊は「貨幣礼拝堂」と呼ばれ、貨幣鋳造業者の組合が買い取った礼拝堂である。 東側の壁には貨幣鋳造の過程を描いた珍しい壁画が残っている。ただ、残念なことに、15世紀のフス戦争の時に破損し、下部中央に描かれていたマリアは完全に消失してしまった。
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教会の裏手からはクトナーホラの町並みが一望できた。バスの駐車場から今日最後の見学場所である墓地教会へ向かう。同じクトナーホラだが、地区が違うために徒歩の移動は困難な距離だ。バスは「シトー会修道院と聖母マリア被昇天教会」の前を通って、墓地教会のチケットオフィスの前に停まった。
4−5−2 墓地教会(1745〜1820)
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その納骨堂の中へ足を一歩踏み入れるとそこは異様な世界だ。4万人もの僧侶の骨で飾りたてられており、まさに骨のアートだ。
入るとすぐに鐘楼があるがこれも骨、天井から下がっているシャンデリアも骨、壁の装飾も骨、十字架や聖杯まで骨、骨、骨の世界だ。これは、人の生命と市は隣り合ったものだと言うことを表しているそうな。
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最後に隣にある教会の内部も見せてもらった。質素な造りで、納骨堂用の祈りの場だったらしい。
いよいよ最終目的地!「プラハ」へ向けて出発だ。途中雨が降ってきたが、着く頃にはあがった。
4−6 夕食(2000〜2115)
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今夜はビアホールでの夕食だ。ビールが飲めるぞと楽しみにしていたそのビアホールは、日本の観光案内書にも出ていた、更にjunが予め調べておいた、要するに日本人もよく行く「ウ・フレクー」という店。創業は1499年、プラハで最も古いビア・ホールで、入口の時計(PIVOVARUFLEK?と書かれている)が目印。9つのホールがあって、中庭のテラス席も合わせ
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確かにすごい賑わいだ。我々は奥の方のホールに通されたが、既に中央には若者の団体が入っていた。その一角に席を占め、早速ビールを頂いた。この1杯目は夕食についている。が、それで満足するわけではない我が家は当然追加。
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飲めば皆友達というところか。他にも客が入ってきて、このホールも結構一杯になった。
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TOP Hotel Praha ★★★★ B208号室
1泊目に泊まったと同じホテルだ。ので、かつて知ったるという所。ただ、今回は2階ということで随分と下になったが、ここのエレベーターの規模を考えれば却って良かった。 部屋は前回と全く同じ。ただし、洗濯物を干すのにちょうど良かった暖房機器が、今回は壊れていて使用不可。洗濯予定がなかったから良かった物の、当てにしていたら慌てる所だった。
他の人たちは、1拍目の方が良かったとブツブツ言っていたが、はてさて・・・。
今夜から3連泊。荷物の整理もなくゆっくりと過ごせるのがいい。