5.2012(平成24)年2月17日(金)ダンプス滞在 晴れ一時小雨
起床(0615)朝食(0700)まったり時間(0730~0850)ホテル発(0854)オーストラリアンキャンプ(1020~1045)ホテル着(1214)昼食(1235~1300)まったり時間(1300~1450)村散策(1455~1615)食事(1805~1940)就寝(2100)
5-1 朝
起床(0615)朝食(0700)
2時頃トイレに行く。まだ停電中。星もあまり見えない。がっかり。おまけに新月が近いから月の光も期待できない。5時頃からうっすらと明るくなった気がした。が、電気がないので、起きてもどうしようもなく、布団の中で夜明けを待つ。再度うつらうつらして、それ故今日は起きたのが遅い。
まだ全体に雲がかかっていて、山が殆ど見えず、これまたがっかり。
朝食はお粥。上手にできていた。そこへ昨日美味しかった野菜炒めが今日も出ていたので、トッピングをすると、更に美味しくなった。それからパンケーキが出てきた。パンケーキにはジャムと蜂蜜。蜂蜜はネパール製だったが、ジャムの方はなんとブータン製。
この頃になると青空が徐々に天空に広がってきたが、肝心のヒマラヤの方には雲が次々に湧き出していて、なかなか頂上が見られない。そう簡単にはご覧に入れられません・・・とでも言っているようだ。
5-3 オーストラリアン・キャンプへ
ホテル発(0854)石段始まり(0918)休憩所(0942)山道始まり(0946)オーストラリアンキャンプ(1020~1045)下り坂始まり(1056)展望台(1121)ホテル着(1214)
オーストラリアン・キャンプというのは、山間にあるなだらかなところで、オーストラリア人が発見したことにちなんでいるらしい。ホテルから標高が300メートル弱高いところにある。出発する前に、ストックを借りて軽くトレッキングのまねごとをする。そういえばこのストックもちょっとちぐはぐなことがあった。我々は当初ストックはこの「つきのいえ」に有ると思っていたが、日本の担当者はカトマンズにあって、それを持って行くとのことだった。荷物がカトマンズで増えるのを嫌った我々は、それなら自分たちのものを持って行くというと、いやガイドが持って行くので大丈夫とのことだった。ところが現地に来てみると、我々の想像したとおりだった。結構何度かやりとりをした案件だけに不思議さと不満が残る。さてこのストックだが、だいぶ使い込んだもので、長さの調整もかなり難しく、また一つは石突き部分がとれていて、石の部分では滑って使いづらいものだった。まぁたまにしか来ない客に用意するのだから仕方が無いが、登り降りでは長さを調整したいし、安全性から?ではある。
9時近くになったので、宿を後にする。我々が出発するときに、隣のホテルに泊まっていた韓国人の団体20数人も出発の準備をしていた。どこかのベースキャンプを目指すらしい。
まずは、昨日二人で散歩した道を進んでいく。更に先へ行くと、きちんと石が敷かれた階段状の道を上る。この辺りにトレッキングの事務所がある。本格的な人はここで届けを出すらしい。魚の尾っぽが見えてきた。雲が切れるのを望みながら歩む。
周りから鳥の鳴き声が聞こえてくるので、それを見つけながらの歩みだった。雄雌で赤い色と黄色い色と個体の色が違う鳥を見つけた。丁度つがいで見ることができた。
30分ほど歩いて休憩。地元の人も重い荷物を背負っているときに休憩するところだそうで、石が積まれていた。中には将棋盤のような線の引かれている石もあった。
山林の所々にシャクナゲがある。花の時期には早いと思っていたが、少なくとも今年はそろそろ咲き始めの時期を迎えているらしく、たまに気の早いやつを拝むことが出来た。この会社では3月下旬にシャクナゲを見るツアーを出すと聞いているが、この調子だと遅いかも知れない。花の時期は難しい。
POTHAMAというロッジなどがある村への分岐点にさしかかる。ここも平らになっている。こうしたところが、山の中にはあるらしい。
この辺りから階段では無く、石がゴロゴロしている山道になる。坂も急になって、すぐに息が切れるようになった。15分ほど歩いてまた休憩。そこへ地元の人が上ってきた。やはり息が上がっている。用事でずっと先まで行くのだそうだが、そのたびにこんな山を登るのは大変だろうと思った。
また歩き出したが、ガイドが「これでようやく半分くらいですかね。」と言うのでがっかりしていると、歩き出して10分もたたないうちに「見えましたよ、あそこです。」と言ったのは、結構すぐ目の前。とたんにnoriの足が速くなって先頭切って目指すオーストラリアンキャンプへ到着した。ガイドは以前子供と一緒に登ったと言うが、怪しいものだ。ポイントがある登りだけに、この人と歩くのは、この程度の所にしておかないと危ないと思った。
さて着いたものの、ここからもヒマラヤが見えなかった。写真で見ると素晴らしい景色なのだが、残念だった。
目の前では薪を作っている人や荷物を運んでいる人などが見えた。のんびりいい風景だ、などと思っているのはこちらだけで、彼らは生活がかかっているわけで、大変だろう。
しばらく休憩してから今度は違った道を下っていくことになった。反対側に出ようとすると、ガイドがガイド仲間と出会った。後から気がついたのだが、その人も日本人を連れていた。彼らはポカラからここに来てまたポカラに戻るそうだ。ここで過ごす方がどんなにいいだろうに。
さて下り始めると、山とは反対側の風景が見える。ポカラにある湖も垣間見ることが出来た。こちら側は段々畑が続いている。綺麗、と写真を撮ったが、上まで行って畑仕事をするのはかなりの重労働だろうと思う。見る方は、いつでも気楽な物だ。
下りもかなりの急坂で、しかも石がゴロゴロしていて足場が悪い。ガイドさんはどんどん進んでしまうので、我々はマイペースで下りていった。何カ所か水たまりというか池のようなものがあった。これは水牛の水浴び場だそうで、そういえばハンガリーで水牛たちは泥まみれになっていたことを思い出した。
所々開けたところがあって、畑や下の村などが見えた。また登りの時にあった休憩所も通った。
最後は急な下り坂で、そこを降りるともうホテルは目の前だった。降りたところには池があって、つい最近出来たというヒンドゥー教の祠があった。
5-6 村散策(1455~1615)
ロッジの周りの村を散策しましょうと言うことでガイドと一緒に出かけた。やや雨が降っていたが、たぶん一時的なものだろうと言うことで出かけた。案の定途中で雨は止んだ。
少し下っていくと、丁度水牛の解体をして、肉を分けているところに出た。村人が水牛一頭を共同購入をして、部位毎に平等に分けるのだそうだ。実際、等しく分けられた肉の山がいくつも出来ていた。これが農村の生活なのだろう。解体そのものは少し残酷な気もするが、過酷な自然の中で暮らしている人々の暮らしの一端を見ることができて感動した。(こういう場面は村の生活の一端を知る上で貴重と思うのだが、ガイドは先を急ぐ。)
畑や家を見ながら下っていった。
新築中の建物を見せてもらった。新しい五右衛門風呂をつくる際にも世話になった職人らしく、見せてもらうことが出来た。ホテルになるらしい。この地区はホテルが沢山あって、言ってみればホテル街という感じになっている。一つ一つがそれほど大きいわけでは無いので、トレッキングシーズンには足りなくなるのだと言う。電話などもまだまだ発達していないので、宿の確保には、一人先に行かせてあらかじめその日の宿を確保するのだと、ガイドは説明した。しかし宿には電話があるし、ガイド達も携帯を持っているから、このやり方はもはや過去のものになりつつあるのでは無いのか。
工事現場近くで、女の子4人組と合った。例によってチョコレートをねだられたが、しつこくは無い。いつまでも手を振ってくれた。ここではシャクナゲがかなり咲いていた。黄色い花も咲いていたが、何かは聞き損ねた。
すたすた歩いていたガイドではあったが、途中で道が分からなくなった。「えっ!こんな所を登るの?」というような休耕地を歩いたりして、人に聞きながら行きつ戻りつし、人家の裏に出てようやく元の道に戻ることができた。ガイドはここにはよく来てましたと言っていたのに、何故、迷子になったのか意味が分からない。彼によれば新しい道が出来た・・・云々。済みませんでも無い。まぁこの終わってしまえば迷子も楽しかったと言えないことはないけれども。
もとの道に戻って帰り道、大きな声がする。その方向を見ると牛を追い立てている農夫がいた。ここでも瘤牛が活躍している。何千年の時を経てなお同じ姿がここには今なお保存されている。
またしばらく行くと、またまた子供に出会った。赤い花をくれた。既に花びらが解体状態だったので、junはそれを石の壁に並べてきた。この石は日本で言うスレートで、この地でよく産すると言うことだ。
最後の写真は「つきのいえ」の入口。パンフレットでは仮名標記なので我々もそれに従っているが、ここでは漢字で書かれている。門は、この地方ではおしなべてそうだが、この写真のように石をくりぬいた穴に棒をさして、おそらくは水牛などの侵入を防いでいるのだろうう。韓国の済州島にも似たようなものがあり、棒の状態でブロックサインになっているのだが(この話はちょっと実は面白い)、ここではそうした芸当は無いらしい。済州島の話をしても乗ってこないガイドであった。この人には文化というものが理解できないのだろうか。
5-8 食事
宴会(1805~)夕食(~1940)
風呂の後また食堂で暖を取った。湯冷め防止の為にも適切だ。
話をしているうちにふと外を見ると、いつの間にか雲が切れて山々が頂上まで綺麗に見えていた。マナスルも見えるというので、急いでカメラを持ち出してシャッターを切った。時間的には丁度日が落ちる頃で、赤く染まっていた。もうけたもうけた、と大喜びした。ガイドは丁度風呂に入っていたが、露天風呂からそれを眺めたそうだ。(本当は寝る前に入るなどした方が、風邪の為にはよいのだが。)
マナスルは日本人が初めて登った山だ。マナスル登頂の大きな写真が新聞の一面を飾っていたのを子供ながらnoriは覚えている。60歳程度から上の日本人にはなじみの名前だ。
そんなことをしているうちに電気が回復した。今夜も暗闇かと覚悟していたのだが、これで充電ができる。急いで部屋に戻った。
ガイドも風呂から上がってきたので、昨日同様、またストーブのところで地元の酒を頂いた。今日はポップコーンもあった。一時また停電したが、5分ほどで回復。トゥルさんがポカラまで言って買ってきたらしい。それなら、それこそ昨日来るときに我々が買ってくればよかったはずである。
夕食はチキン、カレー味のポテト、大根と人参の醤油漬け、刻み大根のおろし和えなどで、皿の中央にご飯が盛りつけられていた。いずれも美味しかった。このような場所にいて食べるこその美味しさだった。灯りも一度数分消えることはあったが、点き続け、快適な食事だった。