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2005年6月3日(土)
自宅---JR中央線---(0730)東京駅(0824)Maxとき309号7号車3番AB(1013)長岡駅(1025)(1120)寺泊【鮭いくら丼と番屋汁】---寺泊港(1300)【高速船「あいびす号」】1階13番GH(1405)赤泊港---小木【たらい舟】---相川温泉

1−1 出発
今回は佐渡への一泊旅行。目的は、何年か前に始まったというオールド相川の「宵乃舞」と「大野亀付近のキバナ(トビシマ)カンゾウ」。
カンゾウの開花が一番の問題点だったが、何とか大丈夫そうだという則の情報に期待して出発。
今回は東京駅8時集合なので比較的ゆっくりの出発となった。それでもいつもの我が家らしく早めの到着であったので、7時から開店というドトールに並んで、そこで軽食を摂りながら時間をつぶした。
1−2 長岡
  通過点の町だが、道の両側には広々とした水田が広がっていて、米所新潟を実感した。畦には芝桜が、家の庭にはアヤメが見られた。アヤメは、ガスタンク(?)や道路壁にも描かれていたので、この町のシンボルになっているのかも知れない。

1−3 寺泊 昼食(1120〜)

  さすがに港町らしく、ずらりと海鮮店が並んでいた。その店先には、海産物が並んでいて、すぐに食べられるようにして売られている物もあった。食指を動かされたが、まずは定食を。
  今日のメニューは<鮭いくら丼と番屋汁>。いくらがどっと載って いるのかと思ったら、そうではなく、醤油漬けの焼いた鮭が合ってその横にいくらが乗っていた。ちょっとガッカリしたが、鮭は美味しかった。番屋汁は、出しが出きっていて、あまり味がなかった。カニも見せかけだけで、全く味はなかった。
  そのあと、店をフラフラしていたが、我慢できずに蛤とツブ貝、カレイを食べた。カレイは中まで暖まらずに期待はずれだったが、貝は美味しかった。量も質も大満足で、お腹が一杯でなかったら後数本食べたかった。隣の人が飲んでいるカニ汁が美味しそうだったので、それを追加で頼んだ。こっちのカニ汁は美味しかった。
  ここには、これを食べるだけにでもまた来てみたい。


1−4 高速船「あいびす号」 1300〜1405 1階13番GH
  速いだけに、外へ出るということができないので、ずっと船室に閉じこめられたままになる。ので、そこですることといえば、寝ること・・・でした。則など、横一列シートを占めて横になって寝ていた。
 一応シートベルトを締める規定になっていたが、そううるさいことは言われなかった。この航路はメインの新潟両津港炉とは違って、かなりすいていた。しかし船自体は最近のもののようで、きれいだった。
 一時間余りで、赤泊港に到着した。(赤泊の高校の分校が今年限りで廃止されるというニュースを最近見た。)


1−5 赤泊
  佐渡へ着いたなと感じたのは、乗ったバスの背もたれに描かれたおけさ踊りの絵を見たとき。他に岸壁の絵もそうだった。ここは間違いなく佐渡だ。
  海岸沿いに走って行くと、遠くに新潟の山並みがうっすらと見えた。

1−6 たらい舟 1430〜
  初体験のたらい舟。不安もあったのだが、ガイドさんが「今まで落ちた人はいません」といってくれたので、安心して列に並んだ。
  思ったより大きな物で、乗るときに少しぐらっとしたが、乗ってみれば、ボート何かよりは安定している感じがした。狭い湾内を回ってくるだけなので波が立つこともないので、なるほどこれならガイドさんの言うとおりだと思った。
  折り返し点まで来ると。「漕いでみますか?」と言われたが、そんな怖いことできるはずもなく。首を横に振った。
  時間にすれば10分程度の物であったが、結構楽しめた。
  陸に上がってみると折り返し点で写された写真が、既に絵皿として売られていた。勿論購入。

1−7 相川温泉 佐渡ロイヤルホテル万長 1555
  海沿いに建っているホテルに到着。夕食の後、祭りに出かけるのでまだ時間があるので、まずはお風呂へ。ゆっくり過ごした後夕食。日本旅館だけに、やはりすごい量が並んだ。いずれも酒の肴になりそうなものばかりだったが、この後でかけなければならないので自粛、。食事も早めに済ませた。
  この頃ちょうど日が落ちる時間になっていたので、海辺へ出た。ちょうど水平線に向かっていく夕日をしばらく眺めてから、会場へ行くシャトルバス乗り場の佐渡会館へ行った。


1−8 宵の舞  1905〜2100
  町の活性化の一端として「風の盆」をまねて始め、今年で5回目になるこの催しは、13の団体が参加している。去年よりは寂しいそうだ(最初の年が一番賑やかだったと言う町の人の声も聞こえた)。これからどんどん増やしていきたいと町を挙げて準備している。
  ツアーの人は20:00ホテル発のバスで会場へ来るのだが、お祭り好きの我々はいち早くシャトルバスを利用して会場へ着いた。
  既に行列は始まっていた。
  はじめに団体名を書いた提灯を持った先導が歩き、その後を踊り手、楽隊がのし歩く。これが定番のようだが、団体によっては楽隊(三味線太鼓などの一団とお囃子衆)が中央に来ることもある。人数も6人程度の団体から40人くらいの団体まで様々だ。
  それらの団体が、適度な間隔を開けながら練り歩く。優雅なものだが、不思議と惹かれていく。ゆったりした時間が流れて、自分もその時間の中に組み込まれていった。
 最後は、前回佐渡に来たときは建設中だった佐渡奉行所の中庭で、三つの集団に分かれた輪踊りを見た。
 他の人々の話だと、佐渡市長(佐渡島全体が現在は合併で佐渡市になっていてなんとも風情がない)やジェンキンスさん・曽我ひとみさんも見に来ていたということだった。