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2007年4月14日(土)
東京駅(0836)----【新幹線ひかり365号14号車16DE】----(1022)名古屋駅(1038)=長良川SA(1130〜1145)=美濃(美濃祭見物 1205〜1500)=(1600)岐阜ホテル着(1800)−手力雄神社火祭(1830〜2120)−−夕食(2200〜2330)
                                         宿泊:岐阜ワシントンホテル

1−1 出発

 新幹線での出発は結構ゆっくりなので、いつも通りに起きて出発。朝食をどうするかという事で、コンビニ弁当を買っていった。則が電車の中で食べようとしたが、さすがにそれは・・・と順さんが止めた。それで、東京駅のホームで食べた。でも、これも結構勇気のいる所行だった。
 今回から集合場所が変わった。東京駅に変わりはないのだが、八重洲北口から日本橋口になったのだ。ちょっと遠くなった。そのせいでもないが、というか、朝食を食べていた分遅くなって、いつもはかなり早く着く我が家は、ほぼ集合時刻ぴったりに着いた。
 新幹線は2人席。この「お祭りクラブ」は結構男性の1人参加が多いので、こうした席が取れる。
  仕事の疲れもあり、順さんはよく寝た。到着が近付いた辺りで目覚ましのコーヒーを買って飲んだ。
  名古屋からはバスだ。美濃まで時間があるので、ここで弁当が配られた。本来は、祭の合間にでも食べるようにと言う趣旨だろうが、勿論殆どの人がお祭りをみっちり楽しみたいという感じだったので、バスの中で結局早弁となった。我々もどうしたものかと迷ったが、結局食べた。


1−2 美濃まつり 1205〜1500

      写真で見るとピンクの飾りがとてもきれいなまつりだ。則は、今年は何台救急車が用意されるんだろうと物騒なことを言っていたが、そんなに激しいまつりとは思えないようなきれいなポスターだ。
  バスを降りて町中へ入っていくと、祭りの雰囲気はあるがとても静かだ。本当にここで行われるのだろうかと思いながら歩いて行くと、いくつか見えるようになってきた。丁度昼休みだったのだそうだ。午後1時から始まるというので、それぞれが徐々に集合場所に集まってきていた。
 メーン会場で場所取りをしながら待っているとようやく動きが見られるようになった。
 まず、子ども御輿が去って行った。次に太鼓の競演があった。
 交差点がメーンの会場なのだが、そこに集まった観客を下げるわけでもなく太鼓がぐんぐん観衆の中に入ってくる。無理矢理に空間を作って演じるのだ。これにはビックリ。順さんは一番前にいたので、背中で後ろの客を押す形になった。
 この太鼓は、かなり勇壮だ。音も大きく叩き方も全身を使っていかにも男性的だ。太鼓のばちが、和太鼓のばちと違って太く短く、力強く感じる。
 それが終わるといよいよ花御輿が動き出した。単に練り歩くだけかと思っていたらこれが大間違い。
 まず、1基が交差点に入ってきた。そこで所狭しとグルグル回ったり走り回ったりするのだ。それも、先ほどの太鼓と同じで、観客がいようとお構いなしで動き回るので危ない危ない。順さんなど倒れそうになって思わず御輿を担いでいた人につかまって体勢を保ったほどだ。
 そこへまた次の1基が入ってきた。と思ったらまた次のも。交差点の中には3基もの花御輿が入ってお互いにぶつかり合っている。
 なるほどこれならけが人が出てもおかしくない。順さんが見ている辺りで、御輿に押されて一人でも倒れたら、多分その周りの人も重なり合うように倒れてしまうだろう。だから、放送で何度も、子どもや高齢者は後ろへ下がってくださいと言っていたのだ。
 そんな中でも順さんは踏ん張って写真を撮り続けた。御輿の中に入ってしまうことさえあったが、決して後ろへ下がることはなく、すごい根性を見せた。
 則はというと、交差点から少し離れた所のブロック塀に場所をとり、全体を見ながら写真を撮っていた。悠然と撮っていたようだが、そこでも場所取りの争いがあった。
 最後まで見届けてから移動しようと歩き出したら、一旦交差点から出ていった御輿がまた戻ってきた。今度は静かに歩いているだけなので、ゆっくりと写真を写した。少し低くなった民家の庭先に入り込んで、下から空をバックに見る花御輿もきれいだった。
 その後、「うだつのある町並み」を売りにしているこの街のその売りを見に行こうとそちらへ向かったのだが、行く先々で花御輿の列に出会って結局はそちらを追いかける事になった。それぞれが自分たちの町へ戻るようで、いろんな方面に分かれて行っていた。
 それを見送ってから集合場所へ戻った。

1−3 岐阜ワシントンホテル 307号 1600〜1800

 まずはホテルへ入って一休み。夜の祭までは時間があるので、風呂に入ったり夜の計画を立てたりして過ごした。

1−4 手力雄神社火祭 1830〜2120

 バスを降りると、バンバンと爆竹の音が耳に痛いほど響いてくる。神社へ着くと境内は既に人で一杯であった。遅れたか、といい場所を探すが、なかなか見つからず、背伸び状態で見ていた。御輿の上から炎が出ているように見えるが、詳細は分からない。ウロウロ歩き回ったが、結局いい場所は見つからないまま、後は何とか強引に前へ押し込んでいこうと思うしか無かった。
 と、突然、人をとどめていたロープが解かれ、前へどうぞ、と言う声がかけられた。どっと人が前へ進むときに、当然猛進。前から3列目に陣取ることができた。  これからメーン行事が行われる広場のすぐ前に来ることができた。ただ、前から3列目までは座ってください、というので、しばらくそうしていたが、足の痛みに耐えられず、結局は立ってみることになった。
 目の前には、たかーい棒が何本か建てられていた。ずっと上に箱のような物が付いている。何をするのかはすぐに分かった。祭が始まってすぐに、「○○町点火」というかけ声と共にその高い木に張られた紐をつたって火元が箱を目ざして上っていく。やがてそれは箱に到達すると猛烈に火柱を上げる。つまり、箱には火薬がたっぷりとつまっていたようだ。
 その勢いはすさまじく、何本目かの時にはその火の粉で近くの木が燃え上がった。でも、それは予想していたことのようですぐに消火活動が行われた。その火の粉は風にながれて容赦なく観客の上にも落ちてくる。帽子をかぶってこなかった順さんは大後悔。頭が火の粉のカスだらけになってしまった。それだけではなく、何と2人共に上着に穴が開いてしまった。さほどに強い火力だったのだ。
 その強い火力をどうするのかといえば、火の粉が落ちてくる下にその町の御輿がくる。その御輿の上には何本かの花火のような物が立てられていて、落ちてくる火の粉で着火するようになっている。従って、御輿の担ぎ手や周りの応援隊はその火の粉の中に果敢に入り込んでいく。見事に火が付くともうそれこそお祭り騒ぎの大騒ぎ。バンバンと爆竹が鳴り響く。見ている方の興奮も否応なく高まっていく。
 こうしたことが次々と行われていくので、あっという間に時間が過ぎていってしまった。最後は手筒の「一斉放火?」だった。手筒花火のように爆発すると言うことはなく、しかも結構長時間燃えていた。

2−5 夜の町へ 2200〜2330

  ホテルへ戻って荷物を置いてから町へ繰り出した。今回食事は付いていないので、予め調べておいた安そうな店へ行った。
 結構繁盛していたので、タイミングよく入ることができた。
 手羽先があったのでそれを食べた。名古屋圏内らしい。他にも結構食べたが、案外安く済んだ。満腹になってホテルに戻った。