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2007年5月6日(日)
ホテル(1000)---手稲 桜---札幌---新さっぽろ---北海道開拓の村---新千歳空港---ジンギスカン---新千歳空港(2055) JAL 544 (2235)羽田空港

4−1 中島公園

 今日は特に予定もなく、チェックアウトも11時だというのでゆっくり過ごすことにした。
 ただぼんやりしているのも何だということで、まずは桜巡りをすることにした。
 その手始めに中島公園へ行った。昨日桜の開花宣言がなされたが、その通り、ここの桜もきれいに咲いているのが何本もあった。しばし見とれながら散策をした。ことに豊平館の白が桜ととてもよくマッチしていた。池沿いにはレンギョウもきれいに咲き、他にも木蓮など春を待っていた花が一斉に咲き出しているようだった。

4−2 手稲軽川堤

 桜第二弾は電車に乗って手稲まで行った。
 そこから少し歩いて軽川という所へ出るとその堤が桜堤になっていて、やや速いようだが、それでもたくさんの桜が咲いていて十分に目を楽しませてくれた。
 ようやく桜に出会えたという満足感があった。遠目に見える雪を抱いた山並みと桜と川にかかる鯉のぼり、よく見かける風景だが、素晴らしかった。

4−3 北海道開拓の村 1500〜1700

 一旦札幌へ戻って大通公園や道庁などへも行ったが、あまり桜もなかったので、開拓の村へ行くことにした。3度目になる。
 入るとすぐに馬車が出発する所だったので、もう既に疲れていた我々は乗り込もうとしたが、あと一人しか乗れないというので諦めて歩くことにした。
 新しい建物も移築されていたようだが、やはり殆どは古くて、極寒の地で過ごすにはかなり厳しい家屋だったのではないかと思う。
 勿論公社などは立派であった。その辺りは権力を持った者と一般の者との違いだろう。特に飯場は最悪。まさにごろ寝状態で、こんな所に押し込められていたのかと気の毒。ただ、屯田兵の住居は思ったよりも良くて人の住む家になっていた。
 傑作だったのは、カイコの家の縁側に順さんが座っていたところ、小さな女の子がおじいさんと一緒によってきて、「この人本物?」ってきいたこと。それほどマッチしていたと言うことか?
 5時が閉館だったのだが、4時を過ぎるとあちこちで片付けが始まった。4時半にはもう事実上閉館状態だった。ただ、我々はバスの都合があるのでゆっくり回って5時過ぎまで粘った。多分最後の客になっていたかも知れない。

4−4 夕食 松尾ジンギスカン

 新千歳空港での夕食は松尾ジンギスカン。ここのジンギスカンの特徴は、肉に既に味が付いていること。油を敷かないで焼くこと。ということで、「焼き方をご存じですか?」と聞いてきて「知らない」と言えば焼いてくれるシステムになっている。
 それなりに美味しかった。手軽でいいかも。以前はこのジンギスカンを食べるためにはわざわざその店まで行ったものだが、今では道の駅などでも売っているし、こうしてあちこちに支店のような形で出てくるようになった。それだけ一般化してきているということだろう。

4−5 帰路

 搭乗手続きは、初めて機械で行った。つまり我々が羽田で手にしたのは既に発券されていた搭乗券だったのだ。そこで座席の指定だけ受ければよいので機械で済んだのだが、何と前から23番目。つまりは入り口から3列目といういい席だった。 団体で後ろとばかり思っていたので何とラッキー。
 今回はホテルといいこのシステムといいなかなか良かった。
 飛行機はほぼ定刻通りの運行で、無事に帰宅することができた。