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2007年9月16日(日) |
新大阪駅前各自、自由行動(19:40頃、各自新大阪駅集合)---新大阪駅 【新幹線のぞみ98号14号車】 ---東京駅(22:46着) |
2−1 朝朝いつも通りに起きて、まずは荷物を駅のコインローーカーへ預けに行った。一応ホテルでも荷物を預かるということだったが、面倒なのでこちらを利用した。コインロッカーに預けてから新大阪駅を出ようとすると、時計は5時40分を指していた。それから地下鉄の駅を確認に行き、切符も購入した。 今日は一日自由時間なので、集合までは自分たちの計画で動くことになる。その地下鉄新大阪駅からの帰りに、もう出発する夫婦に出会った。朝食も摂らずに出かけるようだ。こなから坂の場所取りは6時30分の朝食を食べていっては遅いと、添乗員さんが言っていたからだろうか。 |
2−2 だんじり我々も負けじとホテルのレストランの開店と同時に急いで朝食を摂って、直ぐに岸和田へ向かった。8時には岸和田駅を降り立ち、今日のメーンである宮入の神社へ向かった。このころはまだ人はそれほど多くはなく、昨日のゴミが幾分か散乱する町を比較的にスムーズに歩くことができた。 2−2−1 岸城神社宮入が行われるという岸城神社はお城が見える位置にある。狭い敷地で本当にこんな所にあのだんじりが入るのか大いに疑問だった。勝手にきっと氏子代表だけが入るのだろうと決め込んでこの場を去ることにした。が、後でスクリーンに映し出された様子を見るとちゃんと鳥居をくぐって境内に入っていた。我々がくぐった鳥居とは違った所のようで、間違えたらしい。・・・東京に戻って確認したが、どうも間違ってはいなかったように思える。宮入よりこなから坂に皆の関心が行っていたと言うことだろうか。 |
2−2−2 「こなから坂」最大の見どころはこの「こなから坂」のやりまわしということで、市役所の周りは既に大勢の人で埋め尽くされていた。人がいなくても場所取りのマークがあって入ることができない。ウロウロしていたら則がほんのちょっとした隙間を見つけたのでそこに行った。人一人が立っているのがやっとの位の広さで、そこにも場所取りのビニールが敷いてあったのだが、めくれていたのを幸いにそこに立っていたのだ。 たまたまそこが通路にもなったので、次々に通る人がそのビニールを蹴飛ばして行くので、そのうち正体も分からなくなってしまった。ずっと後になってようやくやってきたその持ち主は、ぶつぶつ言ってはいたが、既に多くの人がそこにいたので、諦めて後ろへ行った。 なので、我々にとっては最高の位置取りができた。 |
2−2−3 やりまわしだんじりの一番のハイライトは、このやりまわしという、スピードを出したままでだんじりを方向転換させるということなのだ。それがここではよく見える。おまけに日陰側なので、やや涼しい。1時間ちょい待った後にようやく最初の一団が見えてきた。長い綱の引き手が、我々の目の前の直線コースにきれいに並び、リーダーの合図で一斉に走り出すと、後ろの方にあるだんじりも勢いよく坂を上って来て、丁度我々の目の前でやりまわしをやって右のコースに進んでいく。それがきれいに成功すると大きな拍手がわき起こる。それも自然に湧き上がってくる。確かにここがメーン会場のようだ。 昨日はだんじりにキャラクターの着ぐるみがのっていたり、周りを囲んでいたりしたのだが、今日は一転して、特にだんじりの上でジャンプする人はバッチリと衣装を決めていた。やはり神社へ奉納する日なので改まっているのだろう。しかも近くで見ているせいか、昨日よりも張り切って飛び跳ねているように見えた。その後も同じようで、ピョンピョン元気に飛び跳ねる姿が多く見られた。 一番緊張していると見えたのが、綱引きの先頭。お腹に輪になった綱を巻いて、一人で耐えている。そこから長い綱が二本に別れてずうっと続いていく。 引き手の中には保育園児のような子もいたり、小学校低学年の子がいたりする。ただし、このやりまわしのときにはあまりにも幼い子は綱から離れてお母さん達に抱かれたり手をつながれたりして走る。 何しろこの走るスピードという物が半端じゃない。まさに運動会のかけっこ並みの速さになるのだ。先頭からだんじりまで30mから50mくらいはあるのではないかと思うが、だんじりが完全に回り終わるまでそのスピードは保たれる。それでいて誰一人転ばないのだから、すごい。 子どもを抱いたまま走るお母さんもすごい。 一つだけ回りきれないだんじりがあったが、他の物は全て見事に1回で回りきった。 |
2−2−4 休憩お昼前には全てのだんじりが回り終えたので、昼食を兼ねて休憩することにしたが、今日も日ざしが強くて気温も34度まで上がるというので、屋根のあるホールの広場で休むことにした。椅子はもう満席なので、床に直接座って、酒とつまみでお腹を満たした。その後しばらくそこに寝て体を休めた。 2−2−5 午後の曳航1時からまた曳航が始めるので、十字路を見渡せる昨日と同じ場所でしばらく見ることにした。 暑さと疲れで道路まで下りていく気にならず、ずっと見下ろす感じで見ていた。それも飽きてきたので、3時頃にそこを出ることにして駅へ向かった。道路は通行止めが多くてかなり迂回しながら歩くことになった。途中交差点に入った所で突然「だんじりが来ますのですぐに出てください」と強引に押し出される事があった。則の機転でうまく躱したが、そうでなければかなりの時間をロスする所だった。 4時20分の電車で帰るつもりで指定券を買っていたのだが、3時35分のに替えてもらってそれで難波まで戻った。 |
2−3 鶴橋難波から近鉄に乗り換えて鶴橋へ行った。何年ぶりか、かなり間を開けての訪れとなった。お目当ては当然焼き肉。見覚えのあるところに偶然降りることができた。さて何処に入ろうかとウロウロしているうちにまた雨が降り出してきてやがて大粒になってきたので、大急ぎで何度か行っていて勝手が少しわかっているTに入った。 久しぶりに来た店は内装が変わっていて初めて来た店のようだった。座敷はなく、切り盛りしていたおばさんもいなかった。 そこでとりあえずビールを注文してから、考えたあげくに「おすすめ」という盛り合わせを頼んだ。ハラミ、ロースバラやホルモンなどが大きな皿一杯のってきた。 追加までして食べてしまったが美味しかった。 2−4 帰路そこから集合場所の新大阪に戻った。おおかたの人は既に来ていた。さて祭りの感想だが、だんじりはテレビで放映されるような危険な部分も勿論なくはなかったが、だんじりの引き手の先頭は常に幼少の子どもたちがおり、未だいたいけない子供には母親が付き添っていたし、それをもかなわぬ子らはだんじりの後方を母親に抱かれながら走っていた。つまりは、町を挙げての祭りだと言うことだ。これは実際に見てわかったことだった。こうしてこの町で育った子らは、やがて大工方(だんじりの上ではねている人)に成長していくルートが確立されているのだろう。 さて、新幹線ではずっと眠っていた。 家に戻ったのは12時近く。これも明日が休みだからできることだ。 |
Copyright ©2007 Junko Honkawa & Norihiro Honkawa. |