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2009年3月1日(日) |
ホテル(0930)・・・秩父(0951)=秩父鉄道=(1009)長瀞・・・長瀞火祭り・・・長瀞(1553)=秩父鉄道=(1613)御花畑・・・西武秩父(1625)=<ちちぶ34号>=(1723)所沢 |
2−1 朝朝食もバイキング。昨日あれほど食べ過ぎたと言っていたのに、目の前に並ぶごちそうを断つことは出来なかった。今日は曇り空で寒いという情報があったので、靴下を1枚余分にはいて、おまけにヤッケもはいて寒さ対策をしっかりして出かけた。 |
2−2 長瀞秩父駅までバスで送ってもらってから、秩父鉄道で長瀞へ行った。駅に着くと既に駅前では獅子舞の奉納が行われていた。10m四方もないような狭い中でそれは行われていた。周りの人もせいぜい2重くらいの人垣で、ゆっくりと見る事が出来た。 都合3つの集落の獅子舞を見たが、似たようで似ていない、それぞれの特色があるようだった。 3つが終わってから、火祭り会場へ向かった。途中にろうばいが咲いていた。 |
2−3 火祭り会場は既にセッティングが終わり、後は山伏達の登場を待つだけになっていた。そこではそれまでの場つなぎなのだろう、居合抜きが披露されていた。 二人でいい撮影スポットと思われるを見つけて陣取りをしてしばらく待った。 ようやく連行が到着した。先ほどの獅子舞を先頭にホラ貝を吹きながらの山伏が列をなして駅からここまでの行列だ。1000人もの行列とあったが、実際にはその半分にも満たない人数のように思えた。 まずは長ーい前説があった。問答のような物があり、それからそれぞれいくつかの捧げ物がなされた。それが小1時間あってようやく点火。静かだった周りからも歓声が上がった。 白い煙が高く上り、それから徐々に赤い炎が上がっていった。しばらく勢いよく燃えて、その後、火の始末に入った。といっても消すのではなく、火の間に通り道を造っていく。ここを歩いて通り過ぎる。 下火になった頃いよいよ修験者の火渡りが始まる。最初の修験者は、熱湯をかける。杉の枝を熱湯の中に入れてそれを我が身に振りかけるのだ。周りの人はたまらず席を動いていた。 そしてまだ火の気がたっぷり残っている中を渡っていく。まさにこれぞ火渡り。その後、御輿が担がれて渡っていく。それに続くように大きな護摩府、箱詰めされた護摩府が次々と修験者と共に渡っていく。それが済んでようやく一般の人の渡りになる。 勿論我々もその列の後ろに付く。近くなってから裸足になった。火渡りの直前に修験者からボンと体をたたかれて、そう気を入れてもらってから火の中の道に入る。直前にもらったお守りを胸に、願い事をしながら渡ると教えてもらっていたのだが、そんな余裕はなく走り抜けてしまった。真っ黒になった足を拭いて終わり。 最後は残った物を全て焼き尽くして終わりとなる。このときに古い護摩府だろうか、それを大量に投げ込んだのでまたいっそう炎が高くなった。その周りを修験者達がぐるぐる回りながら経文を唱えていた。 これで本当に終わり。13時頃から始まったこの儀式はいつのまにか15時を回る頃になっていた。 |
2−4 帰路長瀞の駅までは思ったよりも急な坂だった。意志に反して走るように足は前に進み、駅に着く頃にはがたがたになってしまった。それから帰りの電車の連絡を見ると折良く特急に乗れそうなので、携帯で予約し、順調に乗り継ぎも出来て、6時前には自宅最寄りの駅まで戻ってくることが出来た。そこで夕食を済ませて無事に帰宅。 |
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