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2009年7月25日(土)
新宿(1140)=<首都高速・東名高速・伊勢湾岸自動車道 海老名SA(1305〜1326) 牧ノ原SA(1512〜1525) 美合SA(1702〜1715) 狩野SA(1800〜1815) >湾岸長島IC(1835)=津島・天王祭(1903〜2150)(2232)--(2310)三蔵温泉※温泉大浴場付
                                     宿泊 : 名古屋クラウンホテル

1−1 出発 (1140)

 出発は何と昼近く。こんなに遅いのは初めてのことだ。
 つまり、今回はお祭り倶楽部のツアーではないのに、一つのお祭りだけを見に行く。しかも160人も集まったというので、バスは4台にもなる。我が家はその4号車。連絡を受けたとき思わず「えっ」というくらい驚いた。
 バスはほぼ定刻に出発し、初めは順調に走っていたのだが、途中事故渋滞に巻き込まれて、津島到着はかなり遅い時間になった。こんなことなら出発の時間をもう少しはやめればいいのに、とちょっとぶつぶつが出始めていた。

1−2 津島・天王祭 (1903〜2150)

 ようやく着いてみると会場は大雨に降られて大変な状態だったそうだ。バスの中にいる限り、一寸ぱらついたくらいでたいした降りでは無かったが、この辺りは集中豪雨があったそうだ。

1−2−1 特別観覧席

 ということで、会場付近は水浸しで、我々が座る予定の特別観覧席という所は足元がかなり悪いとのこと。行ける人だけ行ってくださいということになった。確かに水浸しで、junはどうにかパイプ椅子に座ったが、noriの所はどうしようもないので、新たにパイプ椅子を借りて他の場所に座ったりもしていたが、結局他の場所へ移動した。
 ところでこの特別観覧席。ひどいものだ。大体は観覧席というのはひな壇形式になっていることが多いのだが、ここは平地にパイプ椅子を並べただけのもの。しかも、その椅子の前にはこのパイプ椅子よりも高さのある桟敷席が設けてある。そこにはベビーカーや椅子が持ち込まれて更に高くなっているので、上しか見えない。しかも何のためなのか鉄柱が林立していて視界を遮っている。これが有料観覧席?しかし一般客はその観覧席の更に後ろになってしまう。全く金儲けのための祭りとしか思えないような座席設定だ。

1−2−2 花火

        我々が到着した頃、既に手筒花火が行われていた。どうにかこうにか着席した頃、ちょうど佳境にさしかかっていたので、かつて見た時を思い出しながら観覧した。勿論規模的には小さなものだし数も少なかったが、雰囲気は感じられた。
 次に打ち上げ花火。近くの高校を借りているとのこと。農家でのビニルハウス栽培が盛んになった昨今、花火の燃えかすでビニルが焼けてしまうのでなかなか会場を決めるが難しいのだそうだ。しかし、その努力もむなしいくらい、寂しい花火だった。遠すぎるのかもしれない。音もあまり聞こえないし、花火そのものの大きさも感じられなかった。おまけに途中の木が邪魔して全容が観られなかった。
 それから中央の特設ステージからも水上花火が打ち上げられた。こちらは真っ直ぐに天に向かって打ち上げられたので、よく見えた。特に最後の方は、一気に打ち上げたので迫力があった。
 そしていよいよ巻藁船の出番になった。

1−2−3 巻藁船 (まきわらぶね)

 この日の一番の見物は、この巻藁船だ。半円形に火の入った提灯がつるされ、それが何ともいえぬ幻想的な雰囲気を醸し出すというものだ。この提灯、本当は1年分の日数の365個をつり下げていたのだが、現在は形をより美しく見せるために400個にしてある。
  さて、その巻藁船。予定では8時45分に出るのだが、豪雨のために準備が遅れて9時になり、9時15分になり、どんどんと出発が遅れてきた。我々の出発時間も決まっているため気持ちだけが焦っていらいらしてきた。
 そこへ添乗員が来たので、座席にいた参加者が口々に時間をもう少し延ばして欲しいとお願いしたのだが、頭ごなしに却下されてしまった。我々に助言をしてくれた現地のガイドボランティアの方も怒鳴りつけられてしまった。何とお偉い添乗員だろう。
  ようやく9時半頃動き出したという連絡がnoriから来たので、junも観覧席を飛び出して船の方へ移動した。やっとの事で、パンフレットで見慣れた船の姿が目の前に現れた。巨大だった、提灯がゆらゆらと揺れている。なかなかきれいなものだ。確かにこれがずらりと並んだら幻想的かもしれない。が、残念。2艘出てきたのを確認した頃集合時刻となってしまったので、後ろ髪を引かれながらバスの所へ戻った。

1−2−4 バス始末記 (〜2232)

 遅れてはならないと急ぎ足でバスへ戻ってみると、たったの4人がいるだけ。添乗員の姿は何処にも見られない。出発時刻の10時になっても、これ以上の人が集まることはなかった。
 「10時には必ず出発します。遅れてきてももうバスはいませんから各自、タクシーでホテルまで行ってください。」という言葉は何だったのだろう。バスの運転手もいなかったので、この中の一人が大声で「4号車のバスの運転手さーん。」と呼び戻した。我々は、約束の10時になったのだからバスを出すように要求したが、勿論聞き入れるはずはない。それがわかっていてもそう言わずにはいられなかった。
 しばらくしてから添乗員が戻ってきた。鬱憤さめやらぬ我々は一様に文句を言った。特にnoriは執拗に食い下がって文句を言った。いや、当然のことを要求したまでのことで、15分過ぎてもバスを出そうとしなかったからだ。全員が揃わないから、というのが添乗員の言いぐさだが、それでは先ほどの啖呵は一体何だったのだ。我々を脅迫しておいて、このざまだ。結局30分を過ぎても全員が揃うことはなかった。これだけの時間があれば最後まで祭りを堪能できたのに、と思うと気持ちが収まらなかった。「時間になったらバスは出発していませんから。」というのをまともに聞けば、遅れたと思った人はもういいやと思ってもっと遅れるだろう、というのが我が家の見解だった。客の怒りも頂点にさしかかってきたので、添乗員を現地に残して、揃った客だけでホテルへ向かうことになった。

1−3 三蔵温泉※温泉大浴場付 宿泊:名古屋クラウンホテル 1492・1494号室

 このホテルは以前にも利用したことがあるので、添乗員がいなくても何とでもなるのだが、部屋割りをしていないのでそれだけが問題だったが、1号車から3号車の添乗員がすぐに乗り込んできてその手続きをしてくれた。
 今回はシングルルーム2つということで隣り合わせの部屋。部屋に入るとすぐに風呂に行った。このホテルのいい所はこうして足を伸ばせることだ。
 少しホッとしてから、寝酒をたしなんでそれぞれの部屋で眠りについた。