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2009年7月26日(日) |
三蔵温泉(0804)--津島・天王祭(0835〜1140)=<名神高速道路・東名高速・首都高速 上郷SA(1230〜1250) 富士川SA(1445〜1500) 海老名SA(1638〜1650)>=--新宿(1735) |
2−1 朝夕べは二人ともなかなか寝付かれなかったようだ。それでもいつもの時刻にはもう起きていて、それから近くのコンビニに買い物に行った。今日の昼食を仕入れるためだ。その後は朝食。4号車は7時からという指定だったが、無視して6時半に行った。レストランはガラガラ状態だったので、何ら問題はなかった。 |
2−2 津島・天王祭(0835〜1140)今日は朝祭りの見学だ。天気が心配されたが、何とか持ちこたえた。まずは昨日の席の辺りへ行って見ると、既にパイプ椅子は全て片付けられていた。ただ、桟敷席は残っていたので、その辺りにあるパイプ椅子を失敬して桟敷席へ着席した。今日もその場所の権利は売り渡されているのかもしれないが、誰もいないことをいいことに一番前に席を占めた。すると次々にそうする人が増えて、瞬く間にその辺り一帯が我がツアー客で占められてしまった。すると後ろから、「使った椅子は自分でちゃんと元に戻してください。」という3号車の添乗員の声がした。勝手なことして、という気持ちがその声の調子と表情から読み取れた。が、「既に自由時間になっているのだから、それぞれが大人の自覚で行動しているのだ、とやかく言うな。」と言いたかった。 その後も、隣の桟敷席だけに人が来たが、他は我々が座ったままで過ごせた。観客が来ないのだ。他の席もガラガラの状態だった。やはり地元の人にとっては昨日の巻藁船の方が祭りの中心なのだ。それを我らは観られなかった。全く何と言うことだ。(上の写真のような風景を本当はもっと楽しめたはずだった。) |
2−2−1 車楽船(だんじりぶね)朝祭りは車楽船だ。といっても昨日のと違うわけではなく、昨日の提灯飾りを外し、代わりに能の演目の衣装をつけた人形や小袖などが飾られたものだ。昨日は暗くてわからなかった船の全容が見て取れる。平底の船を2艘並べ、横板をわたして連結してある。その上に屋台を乗せて飾り付けているのだ。屋台の上に乗せる能人形は抽選で決めるが、その年の当番船は「高砂」に決まっている。また、稚児が船に乗り込むのも昨日とは違っている点だ。 |
2−2−2 市江車(いちえぐるま)先頭を行く市江車は、能人形を飾り、稚児を乗せているのは他の5艘と同じだが、大きな違いとして布で鉾型を作った布鉾を持った鉾持と呼ばれる10人の締め込み姿の青年が乗り込んでいることだ。遠目にもはっきりと見えるくらい際立っている。鉾持は、市江車が池の中央にさしかかると、次々に水中に飛び込む。それが、ちょうど我々の座った目の前で行われた。15歳から25歳くらいまでの男子が次々に飛び込んでいくのだが、水が汚くて可哀相だ。それでも果敢に飛び込んでは岸を目指して泳いで行くのだが、途中二人ほどが溺れかかって救助された。話には聞いていたが、目の前でこの様な光景を見ると、結構大変なのだと思う。 布鉾を持って岸に泳ぎ着くと、津島神社まで駆けていって布鉾を拝殿に奉納するのだが、階段を駆け上る所までしか見えなかった。 その後稚児も降りて、肩車をされて階段を上っていく。 |
2−2−3 置物人形船の一番上に前後上下と少しずらして飾られている2体の能の人形をこう呼ぶらしい。当日配られたリーフレットによると、2番目の船が当番船で「高砂」。3番目が「屋島」、4番目が「羽衣」、5番目が「龍田」、最後が「狸々」。もっともそう聞いても実際はよくわからない。 「高砂」は、老爺と老婆。「屋島」は、義経と都の僧。「羽衣」は、天人と漁夫の白龍。「龍田」は、龍田明神と回国の僧。「狸々」は、狸々と風。 |
2−2−4 御輿還御6艘の車楽船の稚児が全て降りると次は御輿還御となる。前日に神社から御旅所に運ばれていた御輿が神社へ戻るのだ。少し時間があるようなので、我々はそのコースへ先回りをした。大体人がたくさんいる辺りだろうと見当を付けて待った。 やがてぞろぞろと裃姿の人が現れて行列を作り始めた。 御輿も現れた。担ぎ手の装束が黄色なので、御輿の金もいっそう輝いているように見えた。 行列が動くにつれ、次々に稚児達も現れる。ここでも肩車をしてもらっており、自分で歩くことはない。地元のケーブルテレビも撮影していたが、ちゃんとその前ではポーズをとっていたりして、さすがに選ばれただけのことはある。みな5歳の男児だった。そう言えば女性は、この稚児のお付きの人(お母さん?)以外は全て男性だった。 |
2−2−5 神社にて行列は大きな鳥居をくぐって太鼓橋を渡って神社へと到着する。その後稚児さん達は外で記念撮影などをしていたが、建物の中では厳かに式が進められていた。行列の時に神主さん達に持たれていた物が一つ一つ神前へ戻された。 それから稚児さん達も中に入って太鼓を叩くなどの儀式が行われた。 そこで我々は引き返した。あまりにも暑いので、近くのコンビニに入って涼を取った。それから集合時刻が近づいたのでバスの所へ行くと、ちょうどバスが着いた所らしく、観光協会の中からツアー客がぞろぞろと出てきた。みんなここで休憩していたらしい。 |
2−3 帰京これからバスは一路帰路につく。何処にも立ち寄らない。つまり、本当にこのツアーはこの祭りを観るためだけにやってきたのだ。帰りの高速は殆ど渋滞もなく、それでも予定より30分ほど遅く新宿に着いた。明るいうちに帰ってきたのも初めてのことだ。 |
2−4 顛末今回は、添乗員に対する不満が大きくどうにも気持ちが収まらないので、アンケートは翌日書いて出した。添乗員の言葉と共に、こちらの要望などを書いて郵便で出した。 大体、「集合時刻に来なければバスは出てしまう。後は勝手に帰ってこい。」などという言葉が許されるものか?また、30分も遅れたがどうしてそうなったのかの説明は一切無く、勿論謝罪もなかった。更に、「昨日の祭りは一端中止になったのを、後で中止が中止になって催行されたのです。良かったですねえ。」と、さも自分たちの幸運を喜ぶような言い方をしたのだが、おかしいと思ったjunが翌日津島市へ電話をして確かめたら、中止の決定などしていないと言うこと。いい加減な情報で、もしくは確信的な嘘で我々の気をそらすようなことを平気で言うなど、全く呆れた添乗員だった。 |
Copyright ©2009 Junko Honkawa & Norihiro Honkawa. |