平成23年4月12日(火)
慈雲寺 恵林寺 石和温泉
1-1 予約
junが常日頃から「ふぐが食べたい、ふぐが食べたい」というのを耳にしていたnoriが見つけた石和温泉のふぐ料理の宿。(もっともこの希望は最初には、『ふぐとかき山陰山陽大満喫の旅』で叶えられていたし、そのごも都内でもふぐ料理屋には行っている。)
東日本大地震以降あまり遠出は出来なかったのだが、どうにか落ち着いてきたので、予約を入れた。と言うのも、この時点では例年武田信玄の命日の12日に行われる武田神社の祭礼行事が行われる予定であった。それに合わせたわけだが、日本中の自粛ムードの中、中止となった。(実は超自粛モードで行われたらしい。我々も開催を知らせる花火の音は確認した。やはり地元では信玄さんである。)
さて旅館に電話すると、計画停電が行われるときには温泉に入れないとか、売り物の一つになっている中国雑伎団のショーは、皆帰国してしまったので行われないとかの説明があった。つまり、それでも良いかと言うことだったのだが、最近停電はないしまあ大丈夫だろうと言うことで12日に行くことに決めた。
1-2 電車を乗り継いで
放射能よけのマスクをしっかりと付けて、まず中央線で高尾へ向かう。7時46分発に乗るつもりだったのだが、43分発になった。少し乱れているようだ。
下りだから空いているかと思ったのだが、かなり混雑しており、どうにか隣の駅から二人とも座ることが出来た。これは非常にラッキーなことで、その後はどんどん混雑がひどくなるばかりで、座っている人が降りることもなかった。
立川辺りで空いてくるかと思ったのだが、その気配もなく、結局八王子を過ぎるまでは結構な乗車率だった。
結局高尾には8分遅れでの到着となった。
そこから小淵沢行きに乗り継がねばならないので、ちょっと心配したが、次の電車との接続のために、というのも次の電車も遅れていたので、しばらく待って、2分遅れの発車となった。
ガラガラかと思ったが結構若い人が乗っている。次の本来我々が乗る予定だった高尾止まりの電車からも同様に乗り込んできて、出入り口付近はいっぱいになった。
この路線にも大学があるようで、結局小淵沢行きはいくつ目かでようやくガラガラとなった。
1-4 慈雲寺 (1030~1110)
noriが桜が綺麗な所として選んだ慈雲寺は、まさにその通りの所だった。
バス停から田舎道を上った所にそれはある。
ちょうど真っ盛りという見事な咲きっぷりだ。が、平日と言うこともあるのか、自粛ムードのせいなのか 、あまり人は多くなく、正直なところそれが幸いだった。
大回りしてしまったが、どうにか門へ続く道へ出ると、脚立が立てられていた。どうぞご自由にお使いくださいというものらしく、早速上まで行って写真を撮ったが、あまりその効果はなかったように思う。ただ、菜の花畑とその中にある一本桜も見事だった。
門の少し前には樋口一葉の像があった。5千円になった記念と言うことで、この地は彼女に縁があるそうだ。が、今回はその一葉の道をたどるのではなく、寺の桜が目当てなので、すぐにそちらへ向かった。
桜としてはイトザクラ、いわゆるしだれ桜になるが、樹齢が300年を超えるという巨木。枝振りも素晴らしい。
初めに少し離れた所から写真を撮った。それから木で支えられて天を覆うように広がっている木の中に入った。透けて見える青空がこれまた素晴らしい。
十分に堪能した後、畦道を通っていると小さな露店が出ていた。そこで、店の人の口車に乗って、ウドと乾燥サクランボ、乾燥イチジクなどを購入した。
その辺りからの白根三山辺りの景色も良かった。
少し行くとまた脚立があったので、もう一度上に上って写真を撮った。菜の花と桜、色のコントラストも綺麗だった
1-5 塩山駅へ (1115~1215)
そこからは徒歩で塩山まで戻ることにした。途中の桃畑が綺麗だったせいもある。
ふらふら歩いていると桜の綺麗なところがあったので行ってみることにした。ここのもイトザクラだったが、まだ若い木のようで、先ほどのような広がりはなかったが花に勢いがあるように思った。
本堂のガラス窓に映る桜も綺麗で面白かった。
そこから少し下るように歩いて行くと,もう目の前には桃畑が広がっている。桜とは違ったピンク色の強さで、これまた青空に映え渡っている。しばらくは道の両側にそれらを見ながら進むことになる。実の季節になるとこれらに撓わに実るのだろう、その頃にもう一度来てみたい物だと思う。
しばらくそんな中を歩いていたのだが、石仏や石塔をよく見かけた。特に鮮やかな赤いちゃんちゃんこを着ているお地蔵さんもあって、目を奪われた。かつては道々に並べられていた物だろう。昔を偲ばせるこうした物を今でも大事にしているこの地の人の心に触れた気がした。
1-7 恵林寺 (1313~1513)
また駅からバスに乗って恵林寺へ行く。ここは桜も見頃だが、この日が信玄公の命日と言うことで、稚児行列などが行われるのでそれを見に行くのも目的の一つ。恵林寺では行事が自粛されることなく行われた。
ただ、全国的に自粛ムードで、各地のお祭りは中止となっており、武田神社の信玄公祭りも中止となっているので心配したのだが、こちらは行われるという。
ただ、バスを降りて参道を行くと、道の両側に露店はびっしりと出店しているのだが、客足が非常に少なく、皆退屈そうに暇をもてあましている感じだった。
徳川家康の寄進で再建された四脚門をくぐると、満開の桜だった。人が少ない分、ゆっくりと見ることができる。
それから、快川国師が織田勢に焼き討ちに合い「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」と詠んだ三門をくぐる(最もこの言葉は後生の作とも言われる)。
1-7-1 本堂(法要)
まずは本堂に入る。と、なにやら大きな声での読経が聞こえてきた。何事と覗いてみると、ちょうど大勢のお坊さんたちがぐるぐると回りながらお経を唱えていた。その横にはかわいらしい稚児さんたちがきちんとお座りしていた。
多分出発前の読経なのだろう。初めて見る光景なのでしばらく見学させてもらった。
なかなか終わりそうもないので、前庭の写真を撮ったあと、裏の夢窓国師築庭を見たり、柳沢吉保の墓所を見たりしていた。柳沢吉保は言わずと知れた綱吉の時の老中で、映画などでの描かれ方では悪人となることも多いが、この地の領主としてはたいそう立派だったようだ。そういえば吉良上野介も地元では良き領主だったと言う。正室・定子と共に立派な墓が作られていた。
1-7-2 信玄公
その後グルリと回って信玄公の墓へ行くと、今日は命日ですからお線香を上げて下さいと、渡された。
墓前にまで行くことができてお参りをした。何ともラッキーなことだ。こんなこと初めてのことだ。
ウグイス廊下を歩いて戻る途中の信玄公の像にも手を合わせた。
それからまた夢窓国師築庭を見た。ここにも桜が植えられていた。
帰り際、巫女姿の中学生に出会った。彼らは本来は信玄公祭りでの舞台へ立つはずだったのが中止になったその一団だった。
1-7-4 巫女の踊り
地元の中学生も巫女さんの衣装で列に加わっていた。本来なら、武田神社の方で披露するはずだったのだが、そちらが中止になったのでこちらに来たのだとか。本堂の廊下ですれ違ったときに、見知らぬ我々にも「こんにちは」と元気に挨拶をしてくれた面々だ。そのときに、付き添いの先生らしい人が、後で踊りを披露しますから、と教えてくれたのだ。 音楽がなり、踊りが始まった。ぎこちない動きだが、皆真剣そのものの表情で一生懸命だ。終わったときのほっとした表情が何とも愛らしい。
隣にいた市長に、市の職員らしい人が、これらの衣装は一般会計からひねり出しました、みたいな説明をしていた。今年新調したようだ。
その後は太鼓の競演が準備されていたが、もうバスの時刻になってしまったので、境内を後にした。