2.5月29日(火)(晴れ時々雨)2/3 ③ソフィア市内
起床(0600)朝食(0705)散歩(~0757)ホテル発(0900)ボヤナ教会(0918~1000)歴史博物館(1014~1126)ソフィア市内観光(1157~1440)昼食(1343~1445)アレキサンダー・ネフスキー教会(1458~1515)ホテル着(1850)夕食(1930~2030)散策(2045~2225)就寝(2315)
2-5 ソフィア市内観光(1157~1440)
次はいよいよ市内観光になる。
車窓からエンデカ(人民文化宮殿)を見る。確かに旅程表では車窓観光となっていたが、普通のスピードで通り抜けただけだった。ソフィアの中心に入ったということだ。
ソフィア像の前で下車。社会主義時代にはレーニン像が建っていた場所に、ソフィア市のシンボルとして2001年に建造された。この像は元々は下にあったのだが、造ってもすぐにジプシーが持ち去ってしまうので、高いところに置くようになったのだとか。同じような話を本で読んだことがある。地方に行って道路標識がないのは、その金属部分を目当てにジプシーがすぐ持ち去ってしまうからだとか。彼らはどうもこの国でも好意的には見られていないようだ。
下車したところからソフィア像、ミナレットが聳えるバーニャ・バシ・ジャーミヤモスク、地下に潜っているように見える聖ペトカ地下教会、通りの分かれ道の真ん中にどんとある旧共産党本部、木の陰になって見づらいが緑の屋根の聖ネデリャ教会、シェラトンホテルなどが見える。また、地下にはセルディカ遺跡があるとのことだ。
2-5-1 散策その1
マリア・ルイザ通りをモスクの方へ向かって歩く。
そのバーニャ・バシ・ジャーミヤモスクの向かい側にセントラル・ハリ(ショッピングセンター)があり、それに隠れるようにしてシナゴークの頭部分がちらっと見えた。
同じ所に教会、シナゴーク、モスクと並んでいる。地下教会は、オスマントルコ時代に高さの制限こそされ建てることは許されたし、オスマントルコが終わってもモスクは壊されることがなかった。といっても実際には約170ほどあったトルコ関係の物は破壊され、教会などに転用された。そんな中で1566年に建てられたとされるこのモスクが生き残った。
モスクの煉瓦はビザンチン時代のもの。3つのアーチの窓は15~16世紀のバロック様式を採り入れているのだそうだ。別名チューリップ様式とも言うのだとか。コシさんによるとトルコ人はチューリップが好きだからこのような形のアーチにしたのだそうだ。
この近くから温泉が湧き出ている。トラキア人がソフィアに住み着いた時から湧いていたと伝えられ、トルコ時代には近くに温泉を利用した公衆浴場ハマムが建てられていた。
今もスパとして現役だ。綺麗な建物の両側の水道の蛇口から流れているのは温泉で、飲むことが出来る。
2-5-2 散策その2
その横に大きな庭のある建物が首相官邸。ただ、首相は子供の教育のためにここには住んでいないのだそうだ(つまり特殊な環境で子育てをしたくないと言うことらしい)。その横を通って行く。
聖ペトカ地下教会に行くためだ。ところが工事中とかで閉鎖されていて先に進むことが出来ない。遺跡の発掘中らしい。仕方ないので隙間から写真を撮って引き返した。これは見所の一つであるのに、非常にガッカリした。こんな情報など事前に把握できなかったのだろうか。このような失策はその後もあった。観光業というものが発達していないと言うことなのだろうか。我々日本人にはイラッとさせられる瞬間だ。
地下道を行くと、城壁の跡が残されていた。紀元29年に町を制したローマ人は、征服後に町を500m四方の城壁で囲んだ。この地下道に残る遺跡は当時のローマ都市の城壁跡だ。煉瓦で修復されているものの石で残っている基部はオリジナル。煉瓦で作られた部屋は見張りの兵士用で、ここが当時の入り口だったのだそうだ。
この町をローマ人は、「セルディカ」と呼び、2世紀のトラヤヌス帝の治世下に、舗装道路、上下水道を完備した町となり、中心広場のフォロ、公衆浴場などを有する典型的なローマ都市として整備された。
2-5-3 散策その3
それから大統領官邸へ行く。もう少しで衛兵の交代式があるという。それまで、大統領官邸の後ろにある聖ゲオルギ教会の写真を撮ったりして時間をつぶした。
ゲオルギ教会は元々4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスが建てたという円形建造物「ロトンダ」で、霊廟として使われていた。
その後5世紀になりフン族や東ゴート族の侵入により、町は徹底的に破壊された。6世紀になってようやく東ローマ・ビザンチン皇帝ユスティニアヌス帝の時代に再建された。この時にロトンダも建て直され、後に聖ゲオルギ教会として使われるようになる。
大統領官邸の衛兵交代式が終わってから、無料だというので中に入ってみた。
フレスコ画もあるが、殆ど原形をとどめないような状況で、下半分は壁がむき出しになっている。中央ドーム付近にかすかにフレスコ画が見て取れるが、ここに古いものの上に新しく描いたものだという状態を見られる部分がある。
照明が暗いせいもあって、それすらよくは見えなかった。
聖ゲオルギ教会の敷地にもローマ遺跡が残されている。当時の公共建造物の一つであったらしい。
2-5-5 散策その4
再びゲオルギ教会を見た後、表通りに出て、聖ペトカ教会を外側から見た。
それから公園を抜けて、更に市内観光は続く。
まず、クリーム色のヨーロピアンタイプの建物が見える。19~20世紀にここにブルガリア王室が置かれていた。現在は、 国立美術館と国立民族博物館が入っている。
イバン・バーゾフ国立劇場は、ブルガリアで最初に建てられた劇場で、ブルガリア最大。上にはギリシャの像が建っている。
聖ニコライ・ロシア教会も見た。このロシア教会の金色の5つのドームとグリーンの尖塔が輝いていた。十字架の下には月のマークがあるが、これはイスラムをも採り入れたからなんだそうだ。
2-7 散策その5
そのあと、また少し散策した。というよりも、次の観光地へ行く道すがらという事だ。
聖ペトカ地下教会には入れなかったので、代わりに一番古いという聖ソフィア教会へ行きますというので、皆喜んだのだが・・・
まあそれはさておき、始めに遺跡の横を通った。多分これもローマ遺跡だろう。
それから通った公園ではフリーマーケットのような店が出ていた。
正面にアレキサンダー・ネフスキー教会が見えたがその途中、左側に聖ソフィア教会がある。ところが素通りだ。えっ?。この教会は、ロトンダを修復したビザンチン皇帝ユスティアヌス帝が、コンスタンチノープルと同じ名前で建てたものだ。現在のソフィアという町の名もこの教会から名づけら、この街では最も由緒ある教会であるのに、素通りか・・。行くと言ったではないか・・。ここはその後、オスマントルコの支配下に落ち、その間にモスクとして使われて、荒廃していった。その後1900年代に復元された。
前に長い歴史の中で祖国のために命をささげた無名戦士の慰霊碑がある。この祈念碑の下にはブルガリア全土から集められた土が安置され、ブルガリアのシンボルであるライオンが灯火を見守っている。この炎は「永遠の火」で、消えることがないのだそうだ。
その向かい側にある建物は何か分からないが、綺麗だったので写しておいた。
通りのずうっと奥には国会議事堂が見えた。白い質素な建物だった。