5.6月1日(金)1/3 ⑧ネセバル考古学博物館(快晴)
起床(0600)散策(0700~0730)朝食(0730)散策(0805~0830)ホテル発(0900)旧市街(0905~1637)<考古学博物館(0905~1047)旧市街ガイド付き観光(1047~1410)旧市街自由散策(1410~1637)>買い物(1705~1717)ホテル着(1730)宴会(1845~2100頃)就寝(2200頃)
5-5-1 橋を渡って
我々のホテルは新市街地区にあるが、せり出した半島の町全体が旧市街となり、中世ビザンチン教会が多数残る。
この街の歴史も他と同様、紀元前2000年頃に最初の居住者トラキア人が住み、紀元前5世紀頃にギリシア人が入植し、前1世紀からはローマ帝国に、5世紀前後には初期ビザンツ帝国に支配された。この頃から重要な港町として発展していき、第二次ブルガリア帝国時代に繁栄の絶頂期を迎えた。これほど多くの教会が建設されたのは、繁栄に対する感謝の気持ちからだそうだ。
その後、1453年にオスマン朝に征服された。が、オスマン朝の政策がキリスト教に対して寛容だったためにさまざまな様式の教会が破壊されずに残った。とは言っても完璧な形で残されている物は殆ど無い。
これも長い歴史を物語っているのだろう。
橋の途中には水車なども見られた。
5-6-1 始めの部屋で
最初の部屋には椅子が並べられ、説明を聞くようになっている。
目の前には大きな地図。天然の要塞の様子が分かる地図になっている。548年頃に大きな地震があり、津波も押し寄せて城壁などの一部がなくなった。
トラキア人が住んでいたという記録も残されていた。その頃から海上交易が盛んだったようで、町も栄えた。その前には、海上交易の時に使われた物が置かれていた。
交易では農作物やワインが中心だったが、蜜蝋も貴重で高いものだった。そのためにギリシアに狙われ征服されたように思われるが、そうではなくギリシア人との契約によって受け渡したのであって、そこに殺戮などはなかったのだとガイドさんは説明した。その契約の石板もあるとのことで、確かに書いてあることは分からないが、30×30cm位の石板があった。
これによってお互いの文化が融合し、更に発展を遂げたのだという。これはユニオン(=融合)の最初の事例といえる、そうだ。
ただし、紀元前1世紀のローマには、武力で征服され、町は破壊されたのだという。
その後、ビザンチン帝国になり、町は再び発展を迎える。その頃からリゾート地として形成され、コンスタンチノープルなどから、人々が保養に訪れるようになったそうだ。
オスマン帝国が攻め込んできたとき、この街は要塞に守られ最後まで頑張り、ブルガリアでは一番最後に征服されたそうだ。
その後、近世になって開発のために建設が始まったときに数多くの遺跡が見つかり、そのときの物がここに集められ展示されている。
他にも周りにはいろいろな発掘品が置かれていた。
トラキア人の日用品は、細工が細かかった。ギリシア時代のコインもあった。丸いボールのような物は、女性がこの中に香水などを入れて置いていた物だそうだ。壷は、トラキアをとギリシアの文化の融合を見る特徴的な物だそうだ。が、どこを見てそう言うのか分からなかった。
スポーツをしているような小さな像もあった。
顔のある石は装飾の一部だそうだ。
以上がガイドさんの解説だった。が、ブルガリアのオフィシャルサイトには次のように書かれている。
「第一展示室はメセンブリアとトラキア人というテーマで、トラキア人が作った凸凹した装飾のついた土器、紀元前12~9世紀の石の碇などが紹介されています。更に、紀元前3世紀のトラキア王サダラを褒め称えた文章もあります。展示品の中でテトラドラクマと呼ばれた銀貨のコレクションと紀元前2世紀の墓石があります。」
5-6-2 ギリシアの部屋
二つ目の部屋にはギリシア時代の物が展示されている。
壁にある石の破片は墓に使われていた物。大理石の人体は家の中の装飾であった。壷は大きな物から小さな物まで沢山置かれていた。
金の装飾品もあるがこれらはほぼ純金で、イヤリングやネックレスなどがある。これは発見者がしばらく自分の物としていたが、見つかって没収された物だそうだ。
壷の形のイヤリングがあったが、この中には香水が入っていたのだとか。
ここにもコインが並べられていた。
同じようにブルガリアのオフィシャルサイトから引用。「第二展示室のテーマは「黒海の都市国家メサンブリア」で、メサンブリアの古代墓地で発見された大変珍しい青銅の容器が展示されています。この容器は納骨壷として使われたものでギリシャ神話の場面が刻まれています。アポロン神像、ヘラクレス像の胴体、紀元前4世紀の幸福の女神テュケ像なども展示されています。更に、副葬品として埋められたイヤリング、指輪、ネックレスなどの紀元前3~2世紀の金装飾品もあります。ネセバル付近の海底から見つかった当時の椀などの舶来品によって、紀元前6~2世紀のメサンブリアが行っていた貿易の様子などを知ることができます。」
5-6-3 ローマの部屋
この部屋にあるのは紀元前1世紀頃からのローマ時代の物。壷の模様は線だけの簡素な物や自然界のモチーフを付けた物などが見られる。皿も同様だ。
ただこの辺りから、ガイドさんの説明が長すぎて、殆どの人は勝手に部屋の中を動き回るようになり、我が家もその例に漏れずそれぞれが勝手なところの写真を撮り始めたので、どの部屋のどの写真なのか錯綜してしまって良く分からない状態になってしまった。ので、面白そうな写真をとりあえず選び出した。というか、ガイドの説明を添乗員が訳さないのだ。だから、英語をしっかりと聞いていないと、中味的に分からなくなるので、結局語学力が不足していると、内容が分からなくなってしまうので、つまらなくなるのだ。
例の解説には、こうある。「第三展示室ではクラウディウス帝の銅像の大理石の台が展示されています。展示室のテーマは「ローマ、ビザンチン帝国、ブルガリア王国の一部としてのメセンブリア」です。」