9.6月5日(火)1/2 ⑰メルニック、ロージェン修道院(快晴後雷雨、一時曇り後雨)
起床(0500)朝食(0700)散策(0720~0750)ホテル発(0835)ロージェン修道院(0910~0945)昼食(1303~1404)リラ修道院(1425~1547)ホテル着(1804)夕食(2005~2200)就寝(2330)
9-3 散策(0720~0750)
とりあえずは、古い教会まで行って見ようということにして歩き出した。18世紀に建てられた聖ニコライ教会だ。
朝早いせいか町はひっそりとしていた。
狭い石の階段を上っていく。周りは雑草がはびこっているが、入り口にはしっかりした錠前がかかっていた。
仕方が無いので、教会の周りを一回りして戻ることにした。階段に大きなカタツムリもいて、それぞれ自然を謳歌しているようだ。
来たときとは違う道を、と川を渡ってホテルの前辺りまで来ると、店が開いていたのでのぞいてみた。お土産にできそうなものがあったので、キーホルダーと教会などが描かれたトランプのようなカードを買った。合計で3レバ。戻り際にバラジャムを見つけてそれも買う。1個3レバだったが、交渉して2個で5レバになる。勿論交渉係はnori。
9-4 ロージェン修道院へ
ホテル発(0835)
今日も二人でバス席に座った。
とにかく一組だけそういう人が必要なので、まずその組を全体から選ぶのだ。我が家は希望した。もう一組あってどうしようか、と言っていたら、我が家の方でいいんじゃ無いという人がいてそうなった。今日も前から二列目だ。一列目は添乗員とガイドさん。何故か、外国では一列目に乗せない。
その後は、一番後ろの座席に乗ったことのある人から自由に座ることになったが、うまくいかなかったようだ。一番後ろに座った人でも一人で2席陣取った人もいれば、一人で1席しか取れなかった人もいたのだから、そこはキチンと区別しなければならないのに、その辺りはいい加減だ。
9-4-1 ローマ時代の橋(0841~0858)
少し走ってすぐに停車。ローマ時代の道と橋があるとのこと。
と言っても水道橋のような物では無く、本当にここからローマへ通じている道だろうと言うことだった。その根拠が、「すべての道はローマに通じる」からだそうだ。
橋は質素な、実用的な造りだったが、一応ローマ時代というので写真に撮った。
それから少しあたりを歩いていると男性の像が建っていた。
サンダンスキという人の像だ。メルニックで蜂起して、この地をブルガリアに組み入れた人だとのこと。「1872年にオスマン帝国の支配下だったこの地で生まれて、やがて蜂起してトルコから解放したが、1915年に殺害された」とウィキペディアにある、ヤネ・サンダンスキという人のことだと思う。彼の名は、メルニックへ来る途中の、そして今日もソフィアに向かう際に通る街道沿いにある薬品工業が盛んな都市の名前としても残っている。
9-5-3 聖母教会
中に入ると付いてきた修道士が明かりを付けてくれたので、少し見やすくなった。入ってすぐの部屋は4畳半くらいの広さだったが、奥の部屋はさすがに広かった。
そこはイエスやマリアの生涯を中心に聖書の場面や聖人を描いた壁画で埋め尽くされている。
奇跡のマリアのイコンがある。銀の首輪で飾られているが、これはレプリカで、本物は、ギリシアのアトス島にあるとのこと。アトス山のイヴィロン修道院の聖母子像をモデルに製作されたものだそうだ。一緒について我々の動きを見ている修道士もこの島の出身だとか。
伝説によると、このイコンは、ニケア(ギリシャ)の未亡人が所有していた神聖で稀少なイコンの一枚だった。聖像崇拝迫害で有名なビザンチン皇帝ティオフィロス時代、未亡人はイコンが破壊されないように海に投げこんだところ、このイコンは沈むことなく何年も海の上を漂い、999年にギリシャのイヴィロン修道院(アトス山)の門に辿り着いたのだそうだ。そのために奇跡のイコンと言われるようになった。
それはそれで良く分かったが、この修道院とアトスの関係が分からなかった。
フレスコ画の聖人の中に、動物の顔をしている人がいる。聖クリストファー。これはやはり伝説によると、この者はものすごくハンサムだったので周りの女性だけでは無く姉妹にも惚れられてしまい、神に頼んで顔を変えてもらったのだそうだ。その後、川を渡る旅人の助けをしていたので、旅人の守り神となったそうだ。
珍しいのはステンドグラス。モザイクのような模様になっている。その50cmくらい後ろにももう一枚ガラスが入れられている。これは普通のガラスで、その50cmくらいが壁の厚さのようだ。
イコノスタシスにある十字架のイエスの足下には魚が置かれていた。ドラゴンが多かったように思ったが、これまた珍しいのでは。入り口の両側にはイエスとマリア。
圧巻は木彫りで、細かいところまでの細工が見事としか言いようがない。一部中が見られるようになっているが、これまた素晴らしいの一言に尽きる。金ぴかもそれなりの良さはあるが、このような細やかな彫刻は技術的にも見応えがある。
ここは本来撮影禁止。なのにカチッと音を出して撮影していた人がいて、グループの人にも修道士にも注意されていた。
9-6 ロージェン修道院を後に
バス発(1019)サンダンスキ(1115)WC(1215~1232)イヴァン・リルスキーの像(1243)発電所(1255)
またもやサンドピラミッドを見る。来るときによく見えなかったので、途中でバスを止めて欲しいとの要求あり。このころになると、皆次から次にいろいろな要求を出すようになる。黙っていると通過されてしまうという不満がたまってきているからだ。
映画「グラディエーター」のモデルの出身地だというサンダンスキ町で、その像を撮影。他の人からは時代が違うので、別の人ではないかと疑問がでる。映画の舞台は、帝政ローマ時代中期の話だ。ただ、紀元前73年から紀元前71年にかけて反乱を起こしたローマ帝国の奴隷スパルタクスの出身地である事は確かなので、この像は彼らしい。映画は彼をモデルにしたことは間違いなさそうだ。
少し前から降り出した雨が時に雷を伴ったりしてひどい降りになってきた。
イヴァン・リルスキー(リラの僧院の創設者)の白い像が丘の上に見えた。
水力発電所もあった。
この後、みたいと思っているリラの僧院なので、雨が止まないかなあと思った
9-7 昼食 JABOKREKにて (1303~1404)
ここも、日本人御用達のレストラン。我々の前後にも沢山の日本人観光客がやってきた。店の売り子も日本語を話す。だからかどうかは別だろうが、庭は花畑のように綺麗に手入れされていて美しかった。
メニューは、豆のスープ、鱒のグリルとポテト、ヨーグルトとブルーベリージャム。
鱒は、リラの名物料理。あっさりしていて美味しかった。
最後にバラリキュールがサービスで出た。美味しかったので、売店で買おうか買うまいかかなり迷ったが、やめた。
ビール(5レバ)は自重。この後の観光に備える。
雨も上がってきたので、何とか持ちこたえて欲しいと願いながら出発した。