3月28日(水) オリンピア〜ナフプリオン
起床(0600)・・朝食(0700)・・出発(0830)・・オリンピア古代遺跡(0833〜1140)・・昼食(1150〜1243)・・バッセ(1422〜)・・メガロポリ休憩(1640〜1655)・・アルゴス通過(1815)・・ナフプリオンで夕食(1835〜1940)・・ホテル着(2040)
☆アマリアホテル 214号室
5−1 朝
朝はいつも雲が多く天候が心配されるが、観光する頃には青空になり、観光日和になる。今回はその点でも恵まれた旅行だ。。
5−2 オリンピア古代遺跡 (0833〜1140)
さて今日の観光は、オリンピックの始まった町から始まる。
ここオリンピアは、ゼウス信仰の中心地だった所で、紀元前20世紀頃から建設が始まり、紀元前776年から紀元後393年まで293回にわたってゼウスに捧げる古代オリンピック競技会が開かれたことで有名だ。
5−2−1 遺跡 (0838〜1030)
入り口を入るとピンクのきれいな花を付けた木があった。これまでにも何度か目にしていたのだが、これは日本名「すおう桜」、ギリシャでは「ユダの木」というのだそうだ。
当時の高さの道を進んで行きながら、石が転がっているだけの所を想像力を働かせながら説明に聞き入る。下記地図は、英語版Wikipediaの図を拝借し、以下のそれぞれの番号に合わせた。また色分けは、薄紫はアルカイック期(〜紀元前6世紀)のもの、ピンクはそれ以降のクラッシック期(紀元前5世紀)のもの、オレンジは後期クラシック期及びヘレニズム時代(紀元前4世紀〜紀元後1世紀)、そして白はローマ時代のものと区分けした。またGoogleMapにも同じような図を載せておいたので、相互に参照願えると有り難い。
最後のパノラマの図は、ホテルの廊下に貼ってあったもので、平面図と両方見ると壮大さが分かる。
@ギムナシオン(体育練習場) |
Aプリタニオン(迎賓館) |
Bパレストラ(競技場) |
Cフィリベイオン |
Dフィディアスの仕事場 |
Eビザンチン時代の教会 |
Fレオニデオン(宿泊所) |
G石灰岩 |
Hゼウス神殿 |
Iヘラ神殿 |
Jローマ時代の給水施設 |
K反響廊 |
Lスタジアム(左側はスタジアムに入るためのアーチ門・・・この右にKが広がる) |
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M宝物倉庫 |
Nニケの像の台座 |
博物館にあるニケの像 |
上の図のようにニケの像は載っていた |
採火式の図 |
※先史時代の住居跡 |
Aプリタニオン(迎賓館):レストランを兼ねていた。
Bパレストラ(競技場):レスリングやボクシングをして闘った。が、これはゼウス神に捧げる物であったので、体力のみではなく頭の良さも含めて勝者を決めていたそうだ。ということで、かのプラトンもレスリングで3回ほど優勝したそうだ。
Cフィリベイオン:3本の柱が残っている円形の物。昨日のトロスと同じような物か
Dフィディアスの仕事場:ゼウス神殿とゼウスの像、またアテネのパルテノン神殿の彫刻などを造った建築家の仕事場。ゼウス神殿の高さが十数メートルもあったという伝説の巨大なゼウス像は、ここで作られた。
Eビザンチン時代の教会:フィディアスの仕事場の後ろ当たりにある建物。時代が違うのであまり説明はなかった。とはいえ、ローマ時代の遺物だ。
Fレオニデオン(宿泊所):2階建てだった。とても大きかった様子が礎石の多さからも伺える。
G石灰岩:石をよく見ると貝がたくさん付いている。使用した石は大理石でなく石灰岩だったのだ。
Hゼウス神殿:進んできた道を左に曲がると、左側にゼウス神殿がある。高い柱はずっと見えていたのだが、こうして近付いてみるとかなり大きい様子が分かる。といっても残されている柱は1本のみ。床は当時の本物ですと説明していたので、この柱は復元だろう。
Iヘラ神殿:時代的にももっとも古い紀元前7世紀頃の建立。ここではゼウス神殿よりもこちらの方が有名。1936年からヒットラーによって始められた近代リンピックの採火を行う所だからだ。神殿の一郭で行うのかと思っていたら、それより少し前の所だった。観光客は自由に入れないようになっていた。聖域の中で最古といわれるドーリス式の神殿で、内部にはゼウスとヘラの像が安置され、ヘルメスの像もここに飾られていたという。神殿自体には残された柱も多く、確かにゼウス神殿よりは被写体になる。
Jローマ時代の給水施設:噴水のようなものもあったようだ
K反響廊:開会式や勝者の呼び上げ、表彰式などを行っていたというエコーのきく建物があった。
Lスタジアム:アーチ方の門を通ってスタジアムにはいる。門と書いたが実際には36mも続くトンネルだったそうだ。そこを通って競技者がスタジアムに現れるという仕組みなっている。丁度、現在のサッカーの選手達が登場するやり方と同じだ。入るとすぐに昨日のデルフィの競技場と同じく白いラインが引かれている。今は大理石でできているが、これはローマ時代に本来の石灰岩から造りかえた物だそうだ。そしてスタートラインとばかり思っていたこれは、実はゴールラインで、スタートラインはずっと向こう側、196m先にあるのだそうだが、もう疲れていて確かめに行く気はなかった。196mというのは中途半端な感じだが、当時の人間の600歩だそうだ。男性用と女性用の祭典が別々にあったという。当時男性は一糸まとわぬ姿で争ったそうだ。当然女性の観客は入れない。これをオリンピックと呼び、女性の大会はヘラに捧げる祭典という扱いだった。男性の観客がいたのかどうかは定かでない。
M宝物倉庫:Jのローマ時代の給水施設と呼ばれるものの奥に広がるエリア。時代的にはかなり古く殆ど残っていない。
Nニケの像の台座:ゼウス神殿の前にニケの像が乗っていたという柱があったが、これも当時のオリジナルだそうだ。角柱であることは注目に値するように思う。
※先史時代の遺跡:初期ヘラディック文明の第三世代(説明では紀元前2150年〜2000年)のギリシャ青銅器時代の遺跡。模式図で言うと、☆マークの辺りにある。ヘラディック文化の詳細は、Wikipediaのページ参照。
それから待望の自由時間になったので、しばらく写真を撮りながらゆっくりして、次の博物館へと向かった。今回は大手旅行社だったが、結構フリータイムをくれるので、観光しやすい。
5−2−2 博物館 (〜1120)
ここには見る物がたくさんある。
@第5室
入るとすぐの部屋には、ゼウス神殿の破風があった。想像していたよりも大きかった。ということは神殿自体もかなりの大きさということだ。
左手側に「オイノマス王とペロプスの戦車争い」、右手側に「ケンタウロスとラヒタイの戦い」(写真)があり、いずれの中央にもゼウスとアポロンがいる。というのが説明だったが、完璧な形で残されているわけではないのでそう思ってみるしかない。
A第4室
ここには、「ガニュメスをさらうゼウス像」(写真)「アテナ神の頭像」「勝利の女神ニケの像」「青銅製の馬」「牝牛の角」。説明から離れて写真を撮るのに専念していた。ただ、ニケは運動具ナイキの元になっていること、ナイキのあのマークはニケの羽根を表していることは聞いた。
B第8室
ここにヘルメスの像がある。「赤子のディオニソスを抱くヘルメス」だ。この博物館で一番見たかったものだ。この部屋にはこの一体しか置いてないことからもその重要性が分かる。体のバランスといい顔つきといいとても素晴らしい。足下は空を自由に飛ぶという羽根突きのサンダル。
ヘルメスはオリンポス十二神の一人でゼウスの子。ただし母はヘラではない。ディオニソスというのもゼウスの子で、その母はヘラの策略にあって死んでしまった。その子を守るために、ゼウスが、ディオニソスをヘルメスに預けて他の地へ運ばせたという。ヘラ以外の女神に産ませて、ヘラの怒りを買った子なのにヘラ神殿にあったというのが面白い。
他にもたくさん見る物があったが、最後の方はさすがに疲れた。
5−3 昼食 (1150〜1243)
FILDXENIA
○ツァジキ(オリーブオイルとヨーグルト、
ガ−リック) トマトライスづめ ローストポーク
△ワイン 8ユーロ
またまたワインを昼間から飲んでしまった我々であった。
5−4 バッセ(1422〜)
ここパッセにもアポロン神殿がある。紀元前420〜417年頃に建造されたものが、立った状態のまま発見されたという非常に珍しいものだ。それだけに痛みも激しく、今は白いテントで全体が覆われている。上空からGoogleMapでみて見よう。
柱は6×15本。通常神殿の円柱の数の比は、正面1に対して側面は正面の柱数×2+1が規準であったが、この神殿では高さ6メートルの円柱が、正面6本に対して、側面は2本多い15本立てられている。その1本1本が倒れないように支えられている。これは材質が石灰岩でもろい上に、この地は風が強くおまけに寒暖の差が大きいので痛みが激しいとのことで、1980年にこのテントを造ったが、今後も外さないつもりだとのことだ。また、柱1本の修復に6年くらいかかるとのことで、終わるのはいつになるか分からないそうだ。
さて、この神殿は、ドーリア、イオニア、コリントの3様式の柱がそろっており、その点でも非常に珍しい。外側円柱にはドーリア式、建物内部にはイオニア式、そして内陣の円柱はコリント式の柱である。
レリーフは内側にのみ有り、外側にはない。「アマゾネスの戦い」と「ケンタウロスの戦い」のレリーフが保存状態が良かったそうだが、今はかの大英博物館にある。帰還運動も行われたそうだが、なかなか実現は難しいそうだ。
また、神殿の内側には神の彫像はない。コリント式の柱が2本残っている。これは元々彫像が存在せずに、この柱を崇めていたのではないかと想像されるそうだ。
この神殿のもう一つ珍しい所は、通常の東ではなく、北側を向いて建っていること。これは風が強いためと考えられている。外側にレリーフがないのも同様な理由ではないかと思われる。確かに山の上(標高1160m)にあるここは風が強い。それだけにこの柱が現存するのは奇跡に近い物があるだろう。ただ、やはり東側には内部に入るためのゲートが設けられている。
以上は現地で解説されたことだが、講談社の「世界遺産」には次のように書かれている。
【この聖なる建築物の第二の特徴は、建物の方位である。ギリシアの神殿が通常東向きであるのに対し、この神殿は正面を北に向けていることである。その理由を神殿が建設された上地の状況だけから説明することはできない。神殿敷地の地形からすれば、通常どおりの東向き神殿の建設が可能であったからである。(略)内陣の礼拝室の台座の上には他の神殿と同様、礼拝のための像が置かれていた。しかしその像は、正面奥の壁面にではなく、西側壁面を背に安置された。そしてその像の前方にはまさに、イクティノスが工夫をこらした採光のための開放部を設けているのである。つまり、建物の正面が北を向くという異例の方位をとったにもかかわらず、安置された神像はここバッサイの神殿でも、伝統のとおり太陽が昇る東を向くことで、最終的には古くからの秩序との一致がはかられた。】
5−5 夕食 (1835〜1940) KATSUE HAMOU
夕食はナフプリオンの町で。ここには、丘の上にパラミディ城跡がある。また、目の前の海に浮かぶブルジイ島にもベネチア人たちが造った要塞が見える。ベネチア時代の物で、独立後一時首都であったそうだ。
○スープ イカエビフリッター サラダ りんご
△ワイン 6ユーロ
夕食後、近くのスーパーへ買い物。ビールとつまみを買う
5−6 ホテル着 (2040) 214号室
買い込んできたビールを飲むことなく就寝。則は不満のようだったが。