3月29日(木)
ナフプリオン〜ミストラ〜ミケーネ〜エピダウロス〜アテネ

起床(0515)・・朝食(0615)・・アルゴスのラリサの城塞(0747)・・スパルタ町通過(0923)・・ミストラ(0940〜1040)・・昼食(1235〜1340)・・ミケーネ(1345〜1427)・・エピダウロス(1550〜1655)・・コリント運河(1800〜1830)・・ホテル着(2041)・・夕食(2110〜2200)
☆アテネウム インターコンチネンタル 235号室

6−1 朝
 6日目でもまだみんな疲れていないのか、朝食の時には殆どの人がそろう。我が家が一番乗りというのはこれまでの旅行と変わりはないが、人がこれだけそろうというのは違っている。大手旅行社のパックツアーにしては、皆元気だ。

6−2 ミストラへ
 今日のガイドは川上さんという女性。こちらで34年も生活している方。ガラガラ声でちょっとがさつな印象も感じられるほど、ギリシャのおばさん風で、こちらの生活にすっかりはまってしまっている。
 途中アルゴスという町でラリサの城塞を見ながら、スパルタを抜け、ようやくミストラに着いた。

6−2−1 ミストラ (0940〜1040)
 ミストラはビザンチン時代に栄えた都市で、その建設の際に古代スパルタ遺跡の石材を建材として用いたが、19世紀にはその逆のことで報復されたそうだ。
 このミストラは上の町と下の町があり、上の町はカストロ城塞や王宮を中心とした城の町、下の町は修道院や教会が並んでいる。上と下と二つの入り口があるが、今回はトイレがあるという理由で下の入り口から入ることになった。写真で言うと、一番上に城壁が見えるが、今回はここまでではなく、一段下の塔のあるパンタナサ教会まで登る。
 入り口から少し行くと山の斜面に建つ教会や城壁が見られた。すごい斜面をうまく利用していると感心するが、既にメテオラを見ている身としては、あまり驚きはしなかった。ギリシャの人は自然をうまく利用しながら融合しているのだ。しかしながら、廃墟の味わいは最高で、う〜ん、世界遺産!という感じだ。
 そこで一通りの説明を受けた後、パンタナサ教会まで歩いて行くことになった。道は狭くかなりの坂になっているので、歩きにくい。前日にでも雨が降っていたらかなり歩きにくいだろう。
 一息では上れないので、途中のきれいな花や下界に広がる町並みを見ながら皆に付いていった。

6−2−2 パンタナサ教会 (1003〜1017)
 パンタナサ教会は尼僧院で、現在でも7人の尼僧が生活しているとのこと。そのうちの1人の尼僧が、お茶でも如何?と誘ってくれたが、時間の都合があるので丁重にお断りした。開かれた尼僧院らしい。
 聖堂は今までと同じようにドーム型でキリストや聖人のイコンがたくさん描かれていた。
 講談社「世界遺産」によると 【聖堂はビザンティン様式とゴシック様式が融合している。一見してビザンティン様式と思えるこの聖堂の東側ファサードには、ゴシック様式の装飾が見られる。また鐘楼もゴシック様式である。15世紀初頭に建てられた聖堂を飾るフレスコ画は、ペロポネソス半島に残る壁画のなかでもっとも美しいもののひとつに数えられ、ビザンティン世界の人々が見ていたキリスト教の世界を我々に見せてくれる。】 とある。フラッシュはダメだが、撮影は可なので何枚か写したが、かなり暗い聖堂内部だった。
 外へ出ると視界が広がって、町の様子がよく見えた。

6−2−3 下り (〜1040)
 来たときとは違う道を下っていく。振り返りながら余韻を楽しんで下りていくが、足下は要注意。石がゴロゴロしていて危ない。所々に残っている城壁の跡が、いかにも歴史を感じさせる。パンタナサ教会よりだいぶ右側には王宮が見えた。今は確か修理中のはずだ。ここ王宮の階上の部屋はそれぞれ別々に、一旦階下に出ないと入れない構造になっていて、ことがあったときも王を探すのに時間がかかるシステムになっているという。

6−3 昼食 (1235〜1340) KING MENERAOS
 ○白ワイン サラダ シーフードフライ パスタ オレンジ

6−4 ミケーネ(1345〜1427)
 世界遺産として新しい指定のため、資料があまり見つからなかった遺跡だ。入り口の「獅子の門」や「線文字Bの粘土板」「アガメムノン(と思われていた)の黄金のマスク」等が有名だ。

6−4−1 獅子の門から中へ (1345〜1410)
 駐車場へ着くと既に観光バスがたくさん並んでいた。入り口の獅子の門当たりには黒山の人だかりで、ここが一大観光地であることが分かる。やはりシュリーマンのロマンが今に引き継がれているのかも知れない。
  写真を撮るのもままならないが、「獅子の門」まで行く。さすがに巨大石の遺跡というだけのことはあって、この石は20トンもあるのだそうだ。三角形は石の重みを分散させるためだ。入り口は狭くなっているが、敵の侵入を防ぐためという事で、日本の城と同じ考え方のようだ。この獅子の印はヨーロッパで一番古い家紋ではないかという。
  その先の円形墓地Aはシュリーマンによって発見された物で、ここから19体の遺体や黄金のマスクが見つかった。他にも金の細工物があって金の総重量が14kgもあったそうだ。シュリーマンはここがトロイ戦争の時代の物で、黄金のマスクはアガメムノンの物と信じていたようだが、その後の調べで、ここはトロイ戦争よりも300年ほど古い(紀元前13世紀頃)ということが分かって、残念ながらシュリーマンの思いとは違ってしまった。それでも、ホメロスやパウサニアスの記録を信じて突き進んだシュリーマンの功績に変わりはない。
 そこから山を登っていくと王宮などがあるのだろうが、ガイドさんは「行っても何もありませんから引き返しましょう」とそこからUターンしてしまった。ガイドさんは分かっていないな。何もないのは承知で来ていて、そこの地に立っていろいろと想像するのが遺跡巡りの楽しさだということを。
  皆さっさと行ってしまうので最後から付いていった。もう少しゆっくりしていたかったが、今日は忙しい日なので、ガイドさんも気が焦っているのかも知れない。

6−4−2 博物館 (〜1427)
 ここで見たいのは「黄金のマスク」。でも本物はアテネの考古学博物館にある。他には陶器類や青銅器などが展示されている。でも、とっても駆け足観光。一日に3つも世界遺産を見るというのは、やはりどこか無理がある。

6−4−3 アトレウスの宝庫 (1435〜1440)
 バスに乗って少し行くと「アトレウスの宝庫」がある。石室式の集合墳墓で巨大な「蜂の巣型墳墓」だ。やはり大きな石の積み上げでその石の重みを分散させる古代の高度な技法が素晴らしいということだ。
  入り口の石は120トン、高さが13m直径が10mもある。天井の黒いのはすすだそうだ。紀元前13世紀のままに残されているのだが、墓荒らしにあって見るべき物は残されていない。 ここは、ドームの原型のようなところで、紀元前1530年〜1520年くらいの制作年代と推定されるその石積み技術は見事であった。それから一旦ナフプリオンの街へ戻り、今度の旅行で9番目、そして最後になる世界遺産エピダウロスを目指した。ナフプリオンの街の直前で、実は昨日も通ったのだが、写真のような遺跡をみた。ここも世界遺産に指定されているマークを見たが、たぶんミケーネ関連主ので一括指定されたティリンス Tiryns だろう。バスの中でも詳しい説明は聞きそびれた。写真は、下に示した。バスの中からの写真なので、少し不鮮明なのはご勘弁願いたい。なお、この遺跡がティリンスとしたのは、このページの記載を参考にしている。
★資料 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 1872年に、ハインリッヒ・シュリーマンによって遺跡が発掘され、古代ギリシア以前の文明が発見された。これは、この地の名をとってミケーネ文明と呼ばれる。
 ミケーネ文明は、エーゲ文明のうち、ペロポネソス半島を中心に栄えた青銅器文明である。紀元前1450年頃、アルゴリス地方で興った。紀元前1150年頃、突如勃興した海の民によって、崩壊した。ミケーネ文明の建築は巨石を用い、城壁で囲まれ閉鎖的である。
 ミュケナイの遺跡は、獅子門、円形墳墓A、王室、アトレウスの墳墓が有名で、そのいずれも巨大な切り石を用いた建築である。

6−5 エピダウロス (1550〜1655)

 ここでの一番は「古代劇場」。すぐにそこへ行った。
 ここは紀元前4世紀に自然の傾斜を利用して造られた。現在もっとも良好な保存状態で残っているこの劇場の音響効果は素晴らしいということで、何人もの人が中央で歌を歌ったり手を叩いたり試していた。
 ただここはこの劇場があるだけではなく、本来は治療施設になっているのだ。その治療の方法が、投薬ということではなく、運動したり芸術に触れたりしてリラックスしながらというものになっている。そのための劇場なのだ。「病は気から」、「鰯の頭も信心から」。
 その後、博物館を見学した。博物館には、治療のために使った医療器具や、治療し平癒した人が納めたのであろうか中量報告書のような碑文、そして医神アスクレピオスの像などがあった。見学後は再びバス、またバスの旅だ。
★資料 出典: 『世界遺産』
 医神アスクレピオスをまつった聖地は地中海全域に分布している。なかでも重要なのがエピダウロスである。アスクレピオスとともに表現されたのが聖なるヘビで、エピダウロスのアスクレピオス神殿には褐色のアスクレピオスヘビが数多く生息していた。今日、ヘビを巻きつけたアスクレピオスの杖は、医術のシンボルとして世界的に用いられている。

6−6 コリント運河 (1800〜1830)
 コリント運河を渡ってすぐの所で休憩。1893年フランス人よって造られた長さ6.5km幅24m水深8mの運河だ。運が良ければ船が通る所が見られますよ、と言われたので、橋の上に行ってしばらく待っていたが、結局無駄だった。ここでは、バンジージャンプも行われることもあるそうだ。
 ここからは高速道路が出来ていて、アテネのホテルまでは2時間弱で到着した。

6−7 ホテル着 (2041)
   アテネウム インターコンチネンタル 235号室

 ようやくホテルに着いた。長い一日だった。これから夕食だ。

6−8 夕食 (2110〜2200)
 アクロポリスのライトアップディナーということで、ホテルから出かけた。遠目にきれいにライトアップしたアクロポリスが見られた。空に浮き上がっているようできれいだった。

★本日の知識
@道ばたの十字架・・・交通事故にあって死亡した人の家族が建てた物で、日本でいうお地蔵様のような物。中にはろうそくが入っていて、どなたでも祈ってください、という願いも込められている。
A二階が柱だけの家・・・嫁入り前の娘がいる家では、娘が結婚したら家を建ててあげる。そのために、今は柱だけ立てているのだそうだ。つまり、こういう家があると未婚の娘がいるという意味にもなる。
B衛兵の服装・・・帽子の赤色は血を表す。帽子から垂れ下がっている紐は、独立戦争の時に死んだ者への家族の涙を表す。スカートの400本のひだはオスマントルコに支配されていた年数を表す。靴の先にあるボンボンのような物は、オスマントルコ時代には刃物を持つことを許されなかったギリシャ人が刃物を隠すために取り付けた物。
C兵役・・・18歳〜20歳くらいの者が軍人になる。昔は2〜3年だったが、今は12ヶ月。大学生は延期が認められる。ただし、兵役を済ませていないと、就職も結婚もできない。就職する際には兵役終了証明書という物が必要だ。