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2008年7月21日(月)【海の日】
湯田中駅(1000)(1010)渋温泉---散策---(1145)渋温泉(1216)湯田中駅---湯田中温泉(1430)----(1445)信州中野フルーツランド(1510)----(1600)長野そば蔵(1627)---長野IC(1630)=<関越道 佐久PA(1708〜1709 弁当積み込みのみ) 甘楽PA(1755〜1810) 三好PA(2005〜2020)>=(2025)練馬IC---練馬区役所前(2045)

3−1 朝市

 昨日の道の駅の野菜がおいしそうだったので、朝市へ行った。6時半開始なのだが、品数がそう多くないのですぐに売り切れますよと言われていたので、6時には行った。すでに来ている人たちもいたが、会場はまだまだ準備も始まっていない状態だった。
  少し待っていると徐々に品物が並べられてきたが、6時半までは売りませんよと言うので、それぞれ品定めをしながらうろついていた。その間に、お茶や漬け物をごちそうになった。
  ようやく販売が開始されたので、我々も買い出しに入った。ナス、カボチャ、エノキ、インゲン、キュウリ、根曲がり筍の水煮を買った。お陰で、帰りには則のリュックはこれらでいっぱいになってしまった。
  ホテルに戻って朝食へ行くと、中居さんが「クーラーが切られてて申し訳ないですねえ。」と言っていたとおりで、すでに部屋のクーラーも切られていた。
  企業努力と言うべきか。ただ、もっとお客を大事にしてほしい。

3−2 渋温泉

 午前中は、ガイドさんを頼んで渋温泉に行くことにした。
  昨日のうちに予約をしておいたので、約束の時間より少し早めに行くと、とても元気なおじいさんだった。しかもかなりの話し好き。
  バスに乗って渋温泉へ行き、温泉街を一巡りする。
  奥へ入っている分、こちらの方が廃れているかと思いきや、意に反して、湯田中よりもきれいに町全体が整えられており、しっかりと温泉街の様相をなしていた。所々にある外湯もとてもきれいに手入れが行き届いていた。しかも渋温泉に泊まった人はこれを24時間利用できる。我々も湯田中ではなく渋温泉に泊まればよかった。
  道々に葛飾北斎の句が刻まれ、大湯の所には、鉄舟、泥舟の書もあるなど、文化的な臭いも残っていた。
  「御利益の道」と言われる道には、この温泉で療養した人が寄進したといういくつもの社が建っていた。想像していたのよりも大きくて立派な物だった。それだけ、ここの温泉は霊験あらたかな温泉なのだろう。
  温泉神社には武田菱の門があった。北信と言われる地方だけれど、上杉家ではなく武田家の勢力範囲だったとのこと。松代の真田藩の影響らしい。ここで、延々と歴史を説明された。
  とはいえ、あまりの暑さに、はしょったところもあったので、少し早めにバス停に戻ってきた。

3−3 楓の湯

 今日もまた昼食時に駅まで戻ってきたので、また昨日と同様昼食をローソンで買い込んで食べることにした。実際にけちはけちなのだが、これと言った食べ物屋がないのも事実。駅前にはやっているのかと疑われるほどの喫茶店もどきが2軒あるだけだ。ただ、ホテルへ戻ってもまたどうせクーラーのない暑い中になってしまうのはわかりきっていたので、足湯の前の休憩所で食べることにした。珍しくここには扇風機があるので、その下で食べた。
  が、その後も出発時間までまだ時間があったので、300円を払って楓の湯に入ることにした。
汗でびっしょりになっていたので、とても気持ちよかった。
  畳敷きの休憩所もあったので、横になって少し寝たりして、ゆっくりと過ごした。暑さでばてていた体にはとてもよかったように思う。

3−4 帰路

  帰りは2カ所お土産屋(「フルーツランド」と「信州そば」)によって、長野インターから高速に乗った。
  3連休の最終日ということで混雑渋滞が予測されたが、部分的にそういうところはあったが、それほどの遅れもなく東京に戻ってきた。
  今回は、練馬区役所で下りてバスで帰るという方法を選択してみた。下りた場所がいいところで、迷うことなくバス停に着き、3分後にはバスが発車という好条件が重なったために、我々の乗っていたバスが多分新宿へ着くであろう時間くらいに自宅へ着くことが出来た。