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2009年5月24日(日)
大山温泉(0800)-----(0850)松江(1330)-----(1450)出雲大社(1600)----(1650)いずもまがたまの里伝承館(1720)-----(1730)玉造温泉(泊)
                                          宿泊 : 湯陣千代の湯

2−1 朝

  今日は楽しみにしていた、というより、このために今回の旅行に参加したのだが、お天気が芳しくない。何度天気予報を見ても雨が降るのは間違いなさそうだ。
 朝のうちはまだ降っていなかったので少しホテルの周りを散策した。大山もうっすらではあるが見えた。
 混雑するかもしれないので、早めに出発しましょうということだったが、10分ほど遅れての出発となった。何しろ人数が多いので、連絡が徹底しない面がある。

2−2 松江(0850〜1330)

 楽しみにしていたのは、松江で12年に一度行われる「ホーランエンヤ」という祭を見に行くことだ。おそらくこのチャンスを逃したら次回は見ることは出来ないだろう。が、始まるまでには少し時間があるということで、自由な時間になった。城を見に行く人、堀川巡りで船に乗る人、全く自由な人に分かれた。当然我が家は全く自由にした。昼食もキャンセルして、お祭り会場へ行くことにした。

2−2−1 郷土資料館

     ただ、それにしても早すぎるので、城の近くでバスを下りて、祭会場の座席券を受け取ってからとりあえず松江城内の「ホーランエンヤ」の解説展示をしている郷土館へ行った。この建物自体もかなり立派なものだ。
 中には、祭の歴史や衣装、小道具などが展示されていて、事前学習としてはいい資料が並んでいた。期待感が益々大きくなった。
 「ホーランエンヤ」とは、360年の歴史を有す松江城山稲荷神社式年神幸祭の通称で、古くから宮島の管絃祭、大阪天満の天神祭と並び、日本三大船神事の一つといわれるものだ。9日間にわたって執り行われる神幸祭の見所は、「渡御祭」「中日祭」「還御祭」。特に渡御祭と還御祭では、五大地と呼ばれる地域の人々が色とりどりに装飾した櫂伝馬船に乗り組み、「櫂伝馬踊り」を披露する。舳先で見得を切る歌舞伎姿の剣櫂、艫で艶めかしく身をくねらす女装の采振りがある。船は、ホーランエンヤの唄声と共に整然と揃う櫂さばきによって進む。

2−2−2 くにびき大橋の上で

 まず解団式が行われるというくにびき大橋へ行くことにした。
 途中の川縁には、既に場所取りをしている人たちがたくさんいる。橋の上にもカメラを構えた人たちが並んでいる。が、我々が向かった橋は、一番外れというせいかあまり人影はなかった。
 いい場所を確保して待つことにしたが、全船団が来るまではまだ2時間近くもある。が、お祭りを見に行くときにはこういうケースが多いので、今回が特にどうということは無い。
 隣に地元の人がいて話しかけてきたので、しばらくは色々と聞いて情報を集めた。やはり大変楽しみにしているらしい。練習など随分と時間をかけてきていること、自治会で各家から寄付を集めていることなども聞いた。
 そんなことをしているうちにとうとう雨が降ってきた。かなりひどいときもあって、気分は落ち込んでいく。
 ようやく遠目に船団が見えてきた。橋の近く辺りまで来て解団式をやるのかと思っていたらかなり遠い所でやっているようなので、一寸がっかり。それが終わって橋の方へ向かってきたので、盛んにシャッターを切った。一人一人の顔をもはっきり見えるようになってきた。が、全員がビニルのカッパを着ているので、衣装が見られず、これまたがっかりだ。
 そのうち、高く立っている旗や柱を横に寝かし始めた。雨に濡れるからかな、と思っていたが、橋の下をくぐる為らしいことがわかった。
 そこまで見て、観覧席へ移動した。

2−2−3 観覧席で Hの5,6

 観覧席は一番はじのHブロックの一番前の席。既に我がグループの人たちは席に着いていた。今回この旅行を選んだのは、この観覧席があるためだ。ただ、観覧席は、団体客専用で、既に完売とのこと。3,000円というからかなりの収益だ。まだ、雨は容赦なく降り続いている。
 船は橋をくぐってはきたが、まだ動き出す気配はない。12時30分からというので、まだ30分近く待っていなければならない。雨の中でこれはつらい。グループのおばちゃんなど、早くやれとブツブツ文句を言っていたが、これは神事なのだから仕方ない。
 ようやく開始時刻に近くなった頃、船の上の人たちがカッパを脱ぎ始めた。濡れ鼠になることを覚悟の男気だ。これだけでも拍手。
 やっと祭が始まった。大きな船は5隻。その周りに小さな船が着く。つまり5団体あるということだ。大小合わせると100隻にもなると言うことだ。ただ、神様を乗せた船は1艘だけ。それも一番地味な様子で、うっかりすると見逃してしまうほど小さい。
 大きな船の上ではホーランエンヤの歌が始まり、それに合わせて青年達が櫂をこぐ。少しずつ進む船の上では、前で歌舞伎姿の勇ましい剣櫂が、後ろで艫で艶めかしく身をくねらす女装の采振りが行われた。これらは15歳未満の少年達が行うのだそうだが、とてもそうは見えない。なかなか見応えがある物になっている。
 まず一つ目が進み、少し間を開けて二つ目が行く。これらの船団は、次の新大橋まで行ってまたこちらに戻ってくる。これを2回繰り返して次の新大橋をくぐって松江大橋との間で同じように動く。最後に松江大橋と宍道湖大橋の間で、というように、追いかけていけば何度でも見られるようになっている。というか、待っていれば必ず自分の前でやってくれるということになる。約2時間かけてこれを行う。
  14時集合のはずだったが、我々のブロックの前の演技は、13時10分頃には終わってしまった。それでもこの雨では誰も文句をいう人はない。さっさとバスへ戻った。
 バスの中では、地元テレビの実況放送が流されていた。その中に、練習の様子や最近は人が集まらなくて、女性の参加も考慮されているというような情報もあった。
 最初の休憩場所で、菓子パンを買い込んで遅い昼食とした。

2−3 出雲大社(1450〜1600)

 まだ雨は止まないので、傘を差しての観光となった。が、初めての所ではないので、そうガツガツすることもない。
 と思っていたが、新しく発掘でわかったことが興味を惹いた。太い柱を3本組み合わせて更に頑丈な柱として上に社を築いていたらしいということがわかったのだそうだ。全ての高さが48mにもなるというのだからすごい。その社までは階段を上っていく。
 階段を上って神殿にたどり着くというのは、エルサレムの嘆きの壁の神殿のようだ。メキシコもそうだった。人の考えることは何処も同じようだ。
 平成25年に本殿の茅を葺き替えるということで、既に準備に入っていたため、拝殿が仮本殿になっていた。

2−4 いずもまがたまの里伝承館
             (1650〜1720)

   当初は明日の予定になっている所だったが、予定変更ということで立ち寄った。
 勾玉だけではなく、水晶や瑪瑙なども扱っている店だ。うちは興味はないのでフラフラして、結局お土産用にシジミの佃煮を買った。こういう物も売っているお土産屋さんだった。

2−5 玉造温泉(1730) 湯陣千代の湯 214号室 羽衣

 ここはひなびた温泉街だ。宿は並んでいるが、温泉街という感じは殆どしない。その中の一つ、「湯陣千代の湯」という古い宿に着いた。ホテルと言うより宿という表現の方がピッタリする様な所だ。
 従業員が玄関でお出迎えというスタイル。玄関で靴を脱いで部屋へ向かう。エレベーターなどはないので、皆歩いて行く。着いた部屋は完全和室。昔ながらの部屋。トイレはあるが内風呂はない。すぐに中居さんが挨拶に来た。日本風だ。
 情緒があるということにして、すぐに風呂へ行った。風呂は良かった。掛け流しということだ。
 昨日の3分の1程度の広さしかないが、お湯の質が良く、温泉感がたっぷり。ゆっくり暖まってのんびりした。
 夕食はこれまた畳み。あくまでも和風だ。一番乗りをした。
 席に着くとすぐに中居さんが飲み物の入った入れ物を持ってきて、何かお飲みになりますか?ときた。それにつられてビールと日本酒を頼んだ。料理は味も量も悪くなかった。
 心からのおもてなしという、日本の良さの残る宿だ。

2−6 安木節 (2030〜2100)

 食事の後近くのホテルでやっているという民謡ショーを見に行った。
 ホテル以外に電気の付いている所は無いようにひっそりとしている。川沿いを少し歩いて行く所にそれはある。あちこちのホテルから客が集まってきていた。
 あまり広くはない会場だが、まだ3割程度の入りだった。
 いよいよ開始。メーンは安木節。最後はこれで閉める。勿論踊り付きだが、おしまいにその指導というのが客に対して行われる。5名様までと言うことだったが、この日訪れていた韓国の人が既に決まっているということで、残り4名様の募集があった。が、我々はここで退却。30分程度のご披露だった。
 帰り際に、このホテルでの売店で少し買い物をした。
 そのうちに他の人もぞろぞろとやってきて。終わったようだ。
 自分のホテルへ戻って、後は寝るだけだ。