2010年6月5日(土)
1-1 またもや箱根へ
またまた箱根にゆくことにした。
実はいまや福利厚生という分野もアウトソーシングの時代で、noriの職場の場合もだいぶ以前から大手の旅行会社やリゾート開発会社などに委託をしていた。何年かに一度それが見直しされ、委託している会社も変わる。今年から変わったが、その会社の直営施設だと補助金も出て、かなり安く使えるのだ。
だいたい仕事の関係で、盆暮れ正月しか休めなかったので、福利厚生といっても結局は高く、格安旅行パックで行ってもそれほど値段も変わらず、かつ手間もかからないので、そうした制度をほとんど利用したことがなかった。
それが今度の会社は、かなり格安な施設がある。というのは、サービスをできるだけ押さえてコストを削減していること、おそらくは施設の大部分は、諸会社の元々は保養所などであっただろうところを買い取ったような感じの場所であることなどによるのあろう。実際かつて大手食品会社の保養所だった旅館に泊まったが、一泊五千円強で泊まれた。
と言うわけで、二泊三日の箱根路である。ただし最初の一日は、noriの都合で、半日出勤。午後からの出発。格安と書いたが、それなりに理由もあることに触れたが、その一つに食事の時間が18時と、かなり早めに設定されている。従って、どうしても宿入りをその時間前に設定しなければならない。つまり5時間あまりで、職場から旅館まで着く必要があった。
1-3 箱根
元箱根にはバスは定時よりも少し前に到着した。実は図書館で借りた本に、箱根は湯本から仙石方面に向かい、芦ノ湖を横断するのが通常なので、その逆回りが比較的スムーズに動けると書いてあったから設定したコースであったが、遊覧船に乗る時刻の20分前には到着した。
港の前のセブン-イレブンで少し食料を買い込んだ。安い旅館は食事が粗末だという経験則からそうしたのだが、そのついでに唐揚げの串に刺したものが目に付いたので、それも二本購入した。
15時ちょうど発の船に乗ると、台湾の小学生の修学旅行だろうか、そうした一団がどっと乗ってきた。いつもならデッキで過ごすのだが、あいにくとデッキが狭い形の船で、おまけに彼らにそこが占領されてしまったので、階下の船室で、先ほど買った唐揚げ串刺しを食べながら、桃源台港までの時間を過ごした。
桃源台港からはロープウェイだ。これはjunさんがそこからの富士山が見たいという希望を優先したコース取りでそうなったのだが、しかし残念ながらその希望は叶わなかった。富士山は雲の中だ。このコースで富士を心から味わえたと言う記憶は、一度しかない。大涌谷で乗り換えて早雲山駅に向かう。このころからロープウェイの窓に少しずつ雨が当たるようになってきた。
早雲山からのケーブルカーはかなり混雑していた。我々は中国人とみられる一行の中に割り込む形で席を譲ってもらって確保したが、出発間際にはラッシュアワー並になっていた。といっても、我々は最初の停車駅の上強羅で降りるので、乗車時間は1分程度だ。
1-4 宿舎
上強羅の駅で降りると、雨足はかなり強まっていた。小さな駅舎に逃げ込み、傘を取り出した。ここからは徒歩20分くらいの距離に今日の宿がある。バスはないに等しい。バス停まで歩き、一つか二つめの停留所で降りて、さらにバスに乗った距離くらい歩かなければならない。別荘地のど真ん中にあるロケーションなので、自家用かタクシーかが前提である。
さてさて歩き始めると、雨足はさらに強まった。それでも道はjunがナビゲートしてくれて、それにnoriもほとんど頭に入っていたので、全く迷うことなくびしょぬれになりながらも、18分で到着した。
到着した所はことのほかきれいな建物で、内部もかなりきちんとしていた。入湯税一人150円は現地払い。これは機械で行う。この施設はすべてと言ってよいくらいにチケットを購入するようなシステムで、宿の人との現金のやりとりは皆無であった。
部屋はベットルームで、畳の部屋も併設され、ゆったりとしていた。
早速着替えて風呂に向かう。女風呂は子供連れでかなり賑わってはいたが、男風呂は至って静かで、nori一人か後一人交代に入ってくる程度であった。PH8.0という風呂は体にとても優しくて、芯から温まった。
この施設はコストダウンのせいだろうか、夕食がかなり早い。18時からだ。5分過ぎたあたりで、食堂へ行く。我々は値段からかなり貧弱な夕食を予想し、カップラーメンまで持ってきていたが、その予想は全くよい意味で裏切られた。寝酒のつまみまで途中のセブン-イレブンで用意したが、そうした一連のことは全くの杞憂に終わった。
酒も四号瓶で2500円で、これも予めチケットで買う。junは用意されたご飯には手を付けることができないくらいの量で、すこぶる満足した。
食事が終わっても、20時にもなっていなかったが、酔いも手伝ってそのままベットに倒れ込んだ。