2010年6月7日(月)
3-1 朝
窓からこぼれてくる日の光がきれいなので、窓を開けてみると朝の空は夕焼けのように赤身を帯びていた。こういうのを朝焼けというのだろうが、こんな色のは初めて見た。
朝起きてまずすることと言えば入浴。男女の入れ替わりはなかった。このころになると空は青く変わっていい天気を予想させた。
布団をあげた後、まだ朝食までは時間があったので、近くの散歩に出かけた。道路標識に沿っていくと、あっと言う間に駅へ着いてしまった。駅前には手入れされたアジサイが咲いていた。そこに宅急便の旗があったので、帰り際にここに荷物を頼むことにした。
宿舎へ戻ってフロント前で休んでいると、朝食の時間にはまだなっていなかったが、準備ができたということで食べさせてもらった。あじの開きは昨日と同じだったが、ほかは少しずつ違っていた。
食事を終えてから、部屋で少し休養し、昨日とほぼ同じ頃に出発した。
3-2 出発
ケーブルカーは一番乗りで誰もいなかったので、一番前の席に座った。が、すぐに団体が乗り込んできて満席状態だ。
早雲山へ着いてもまだロープウェイは動いていない。昨日は一番乗りだったのだが、今日は別の団体がすでに並んでいた。皆動きが早い。
当然乗り込んだロープウェイも昨日同様窮屈だ。空は徐々に雲が多くなってきた。さて、今日はどうだろうと思っていたが、大涌谷手前の鉄塔をすぎると今日も富士山が見えた。ただ、昨日ほどはっきりしていない。青空だったら今日も駒ヶ岳へ行ってみようと話していたのだが、これでは無理なようだ。
大涌谷で乗り換えると後にも先にも人がいなくなった。団体さんの目的地はまずここだったようだ。おかげで、ロープウェイは二人で独占できた。姥子近くになると富士山がきれいに見えるようになった。ロープウェイ内の案内で富士山がきれいに見えるところですと行っているだけのことはあると感激しながら撮影した。
それでもやはり雲が多いので、駒ヶ岳はあきらめて海賊船で箱根町へ行くことにした。
昨日はかなり込んでいた海賊船だが、早いせいかそれほどでもなかったので、3度目にして初めてデッキへ出た。他にやることもなかったので、海賊と写真を撮ったり、まるで初めての乗る客のようにして過ごした。
3-3-2 石畳
ようやく入り口にたどり着く。これからは全くの旧街道。石畳の道となる。今日の目的地は畑宿。とりあえずは甘酒茶屋を目指す。
そこで甘酒を飲むということを励みに、まずはきつい坂を上っていった。ここを上りきれば後は殆ど下りになる。
道はよく手入れされていて、草などもきれいに刈り取られていて歩き易い。また解説板も随所に置かれてあるので、分かりやすい。
入るとすぐのところに、エンゲルト・ケンペルとC・M・バーニーの碑がある。箱根を西洋に紹介した立役者といったところか。
始めに木の歩道橋を渡り、道の反対側に出る。すぐに権現坂と言うところについて、案内では見晴らしが利くというのでnoriが上って行ったが、木が茂りすぎてなにも見えないと言うことだった。こうなると、解説板も新しく書き換えてほしいものだ。
それからまたしばらくは石畳の道を歩く。石畳と言っても石がきれいに並べられているわけではなく、ゴロゴロと置かれているだけだ。所々苔むしたのもあるので、滑らないように注意をしなければならないが、そう歩きにくいわけではない。
そのうちまた見晴らし台があった。今度はjunも一緒に上っていくと、広場のようなところに出た。ここから二子山が見えるとのことだ。あれかなと予想を立てながら写真を撮った。
それからまたひたすら歩く。
3-3-3 甘酒茶屋
途中で車道に出ることもあったが、ようやく甘酒茶屋に着いた。これでちょうど半分くらいの道のりだ。ここまでは殆ど平坦な道をひたすら歩くというだけだったので、それほどの疲れはなかった。
甘酒茶屋ではもちろん甘酒を飲む。1杯400円なり。
ここは以前来たときには工事中だったのだが、すでにそれは終了して新しくなっていた。場所が少し移動して広くなっていた。庭先にも座れるように木のテーブルと椅子が置かれていた。そこで食事をした。
隣に資料館があったのだが、そこは閉鎖されて自由に見学できるようになっていた。休憩所にもなっていた。象の話をしてくれたおじさんはもういなかった。
3-3-4 畑宿へ
そこからまた畑宿を目指して歩き始めた。
旧街道はすぐに途切れて、しばらくは車道を歩くようになる。猿の看板の後は、かなりの下り坂になった。猿すべり坂と言って、猿でも滑り落ちる位急な坂ということらしい。確かにそこからの道はかなり急だった。
足下に気をつけながら一歩一歩下った。場所によっては階段になっているところがあり、その一段の落差が大きいので歩きにくかった。
見晴らし台についたときにはjunは疲れきっていて、noriだけが長い階段を上って行った。そこからは駿河湾が見えるということだったが、あいにく見えないということだったので、junは結局ずっと下で待っていた。
そこからもひたすら下り坂。橿の木坂という一番の難所まで来ると、今度はまた車道になる。ここは七曲がり道だ。途中何カ所か車道ではなく階段で下の道に出られるようになってはいるが、基本車道。このころになると足が痛くなってきた。
ようやく再び旧街道への入り口についた。そこでしばし座り込んで休憩。そこへ反対側から赤ちゃんを連れた夫婦がきたので、目的地までは近いと踏んだ。
その通りで程なく畑宿へ着いた。ここにも一里塚があった。ここは道の両側に置かれていた。
3.5kmを歩き通したことになる。時間にして3時間半。昼食時間が約30分として3時間の行程だ。ただし、殆どが下りだったからよかったが、これが逆コースだったらもっとかかっていただろう。この後、湯本まで行くこともできるようだが、我が家はここまで。
バスの時刻まで土産物屋に入ってみやげを購入した。