第3日目(2004年3月27日)

予定では・・・ベイルート市内観光、エル・ベカア高原に残るローマ時代の都市遺跡バールベックへ、その後、ウマイヤ朝の大規模な都市遺跡が発見されたアンジャールを訪ねる。観光後、国境を越え、シリアの首都ダマスカスへ向かう。

       《ダマスカス シャームパレスホテル》

【朝】
 昨日疲れたわりには、朝は4時半にはもう起きていた。少し町を散歩してから、ビュッフェスタイルの朝食をとった。町は休みの日の朝とあって比較的静かで、落ち着いていた。ホテルの周りには戦争の傷跡というのは、あまりはっきりとはわからなかった。

【ベイルート市内ほか】 0730〜1040
 町は先の内戦の跡が残っているかと思いきや、あちこちが元気に復興してあって、ショーケースの中の洋服もモダンだし、道には果物や野菜があふれていた。生活も落ち着いているようで、この後も物乞いやしつこい物売りを見かけることは全くなかった。これはベイルートだけではなく、今回訪れた国全てでそうだった。やはり産油国は強い。

○鳩の岩 0740〜0745
 予想していたよりも大きな二つの岩が、海にそそり立っている。朝早いせいか、パン売りはいなかった。それでも観光しているらしい人の姿は見られた。

○犬の川 0805〜0840
 ここはずうっと町から離れたへんぴな所にあるのかと思ったら、港にも近く、結構交通量の激しい所にあった。昔は見張り台となっていたというから、近年開発されたのだろう。
 記念の碑がたくさんあった(21)が、これも想像以上に大きな物だった。エジプトのラムセスが置いたのが最初というから歴史的にはかなりの物がある。全部見るためにはかなり急な階段を上らなくてはならないが、好奇心旺盛な団体は、皆頑張って上っていった。向かいの丘には、ブラジルにもあるという両腕を広げた例の大きなキリスト像が建っていた。
 左の写真は、第一次世界大戦の時のもの。さすがに古いものは、彫刻も定かではなくなっている。この国が昔栄えていたこと、また軍事的にここが要衝の地であったことが伺えた。

○市内観光(0915〜0935)ローマ風呂、国会議事堂、星の時計塔、教会、モスクなど
 そこから市内へはいる。まず、始めにローマ風呂(住宅建設をしようとしたらそのしたからローマ遺跡が地下から見つかったらしい)や官庁のある地域へ行った。官庁の中には、日本大使館もあるというが、建物の影で見えなかった。
 他に、国会議事堂や星の広場、時計塔などがあったが、新しく町つくりとして整えられた物のようだ。ここは、キリスト教徒イスラム教が共存していて、教会とモスクが隣り合って建っているのが印象的だった。
 我々の見て回った地域は、昔の在りし日の美しいベイルートの町並みを再現しようと建設ラッシュの地域で、戦争の傷跡は、建物の異常な新しさ以外は、あまりわからなかった。左の写真は我々が見ることの出来た数少ない、銃弾で蜂の巣状になった建物。まだほんの少しではあるが残っている。何れこれらも、新しいものにとって換え等fれることだろう。
 もう一つ、グリーンラインというのも印象に残った。 レバノン内戦の時に、ベイルートを二つに分けていた広い道路のことだ。そのときはキリスト教徒とイスラム教徒が道を隔てて分けられていたそうだ。といっても、レバノン内戦はこの二つの宗教戦争ではなかったのだが、住居が集まっていた所がそうなっていたのだそうだ。
 途中ショッピングセンターだった建物を見た。今は廃墟となっているが、丸い面白い形をしていた。国際会議場のようなものにリニューアルする予定があると聞いた。

○ベイルート国立博物館 0942〜1035
 1階にはフェニキア時代の石造などが多数展示されている。中にはエジプトの影響を受けている物もあるとか。ここでの見ものは、ビブロスから出たというアヒラム王の墓。墓の蓋には、最初のアルファベットといわれる文字が刻まれている。
 2階にはフェニキア人の語源にもなった染料の貝や、吹きガラス発祥の地ということだけあってガラス製品が並んでいた。また、ビブロスで発掘されたというとんがり帽子をかぶったフェニキア兵士の像がたくさん並んでいた。これはお土産としてあちこちで見かけた。

【峠越え】 1115
 それからバスは峠を越えてバールベックを目指した。そう上がってきたとも思えないのだが、かなりの雪が残っていた。前に見えるレバノン山脈にもまだまだ雪があった。その峠に、線路があったが、途中でいくつもに分断されていて、もう廃線になっている。
 峠を下りると、そこはベカー高原。両側に畑が広がり、リンゴの花が咲き、栽培用のブドウがきれいに並んでいて、作物が豊富に採れる様子が伺えた。

【昼食】 1220〜1315
 これから毎度お目にかかる「前菜」を初めて食した。たくさんの種類を盛りつけてあって、みんなで分けて食べるようになっている。あまり美味しいとは思えないが、まあ、現地の食べ物だから。

【バールベック】 1330〜1500
 まず目に飛び込んできたのは、ビーナス神殿。ごろごろと石が並んでいるだけで、まだ復旧には手がつけられていないようだ。そのせいか、ここは無料ブロック。
 早速物売りがやってくる。子どももいる。でもあまりしつこくない。かき分ける感じはない。
 さて、入場料を払って(買ったのは現地のガイドだが)門を入ってしばらく行くと、最初に見えてくるのが階段。上には大きな柱が立っている。元は18mの高さの柱が12本も並んでいたというが、今は名残をとどめているのは7本。階段は修復時に作ったもので、オリジナルではない。また階段の幅も数倍はあったという。そこから神殿に上る。
 まず、前庭にはいる。6角形の庭だ。ここも大きな岩がごろごろしていて、壁がその名残という所か。門の部分と、六角形の中庭との関連は右図のようになっていたらしい。ちなみに、その6辺のうちの一つを写したのが、この下の写真。ここでは往時、門から入ってきた客人達を迎えるための趣向が凝らされたのであろうか?
 次に大庭園。ここには犠牲祭壇や、清めの泉などがある。清めの泉の壁には、様々な彫刻が施されている。未完成の部分もある。また、少し残っている祭壇には、ビーナスのシンボルである貝の形の天井のある窪みがあった。右の写真は、清めの泉で、ジュピター神殿の円柱が遠望される。
 そこからまた階段を上ると、ジュピター神殿。アテネのパルテノンより大きいそうだ。ただ、今はコリント式の円柱が6本残っているだけだ。が、それだけでも圧倒されるような大きさだ。青空に映えて、見事だった。倒れた石があったが、それを見ると更に大きさが実感できる。柱をつないだという3つの穴も腕がすっぽり入るくらいある。これをどうやって建てたのかと不思議でならない。
 柱から落ちたというライオン彫刻を見た。これも大きい。が、だからといって彫刻がおおざっぱということもなく、細部にわたって細かい細工がなされていた。ライオンの口からは水が流されたというのだから驚きだ。
 最後に一番保存がよいというバッカス神殿に行った。
 建物全体の様子も部屋の彫刻もかなりしっかりと残っていた。入り口の柱の彫刻や、落ちた石に刻まれたクレオパトラなど一つ一つに2000年以上の歴史があると思うと、すぐにはその場を立ち去りがたい思いを感じて、自由時間のほとんどをそこで過ごした。

【アジャール】 1550〜1635
 こちらは6世紀の遺跡。ローマ時代の遺跡を模倣して作ったという感じの遺跡だ。
 丁度ウマイヤ朝の時代。カルドと呼ばれるメーンストリートを通っていくと、下水道の設備が見られた。この道の両側には商店が600も並んでいたそうだ。更に進んでいくと、四つ角に出た。この四隅には四面門(テトラピオン)が建っている。といっても完全な形ではないが、1組だけ復元されていた。
 更に行くと、パブリックエリアにモスクと宮殿があった。どちらも朽ち果てて、かすかに残骸を残すのみだ。それを自分の頭の中で組み立てては雰囲気に浸っていたが、それ以上に、周りに咲く花々に目を奪われた。丁度よい時期だったようで、これからもたくさんの花を目にした。
 出口へ戻ってくると、陽気な外国人達が、輪を作って踊っていた。どこの国の人たちだろう。とても日本人にはできないことだと、半ば羨ましくも思った。

【国境越え】 1640〜1750
 レバノンの旅はこれで終わり。これから国境を越えてシリアにはいる。
 まず、レバノン国境で出国手続きを取る。といっても道路が続いている所なので、バスから降りて、という手間はなく、パスポートだけが現地ガイドとともに手続きに行く。この日はすごい混みようで、約30分待たされた。ここでレバノンのガイドさんとはお別れだ。運転手はシリアの運転手なので、そのまま一緒だ。右の写真はレバノン側の国境検問所。
 出国するとしばらくは緩衝地帯ということで、人は住んでいないという。荒涼とした岩山が続く。
 5分ほど走って今度はシリアの入国手続き。左の写真は、シリア側の国境検問所。
 また我々はバスの中で待つ。ここでも30分ほどで手続きが終わった。
 これからシリアということになる。

【ホテル着】 1840
 ホテルはシャームパレス。210号室。なかなか近代的なホテルだ。(右の写真は翌朝のもの)
 夕食は15階の展望レストラン。食事中にぐるりと回転するレストランだ。夜景がとてもきれいに見えた。