8月10日(金) メスティア クタイシ(グルジア)
ゲストハウス発(0845)−メスティア博物館(0902〜1020)−ホテル発(1100)−ウシュバ山撮影(1135〜1142)−昼食(1240〜1335)−蜂蜜買い(1530〜1550)−ゲストハウス着(1855)−夕食(1930)
〈クタイシ泊〉
9−1 朝
昨晩は雷雨で相当激しかった。もっともそれを知っているのは順で、則は全く知らなかったという。幸せなことだ。
順など寝ながら、雨が降っていたらどんな格好をしようかとか、カメラはどうしようかとか、等と考えていたのに。明け方まで降っていたが、起きる頃にはカラッとあがっていたので良かった。
朝、順は最悪だった。便秘がひどくて何度もトイレに行った。血管が切れるのではないかと思われるくらいに踏ん張るのだがどうしても出ない。便意だけはあるので始末が悪い。則は相変わらず軟便だ。二人合わさるといいのにねえと言いながら朝食へ行った。則は卵焼きは食べなかったがチーズのハチャプリは食べた。順は卵焼きだけ食べて、ハチャプリは一口食べてはき出してしまった。
9−2 メスティア博物館 (0902〜1020)
外へ出てみると道路はすっかり乾いていて、夕べの雷雨など嘘のようだった。それだけ乾燥しているというのか、気温が高いというのか。
今日の始めはまず歩いて博物館へ。この地方の道具やアクセサリー、イコンなどが展示されている。紀元前から19世紀までのもので、住民が寄贈したものが多いそうだ。解説者付きで見て回った。
生活用具や貴金属などが並んでいた。ただ時代考証がしっかりできていなくて、紀元前のものです程度の説明が多かった。が、紀元前の鉄器や銅製品、素焼きの壺など興味深かった。またエジプトのアクセサリーやマケドニアの持ち込んだコインというのもあって、交易の広さを伺わせる。途中から写真はだめと言われてしまった。前回は良かったし、今説明をしてくれている解説の人も良かったのだが、見ていた人から注意があった。人によって違う?
第一の特別室に入った。ここは鍵がかけられていて厳重だ。ここには、福音書があった。もっとも古いのは9世紀のもので羊皮紙に金文字で書かれていた。13世紀の福音書は文字は飾り文字で、すべて違った飾りになっているという。この飾り文字、芸術的にも素晴らしいものだ。
第二の特別室。この頃から順の体調は最悪に近付いており立っているのもままならず、壁に寄りかかりながらメモを取っていた。この特別室には。十字架とキリストやマリア、聖人などのイコンがある。中でも、40人の殉教者のイコンは有名なものだ。
廊下へ出てフレスコ画を見た。ここは撮影が許可された。
このとき順はとうとう立っておられずに椅子に座り込んでしまった。その後自由時間になったので、一足先にということで一人でゲストハウスへ戻った。実はこの順の様子を何人かが見ていて、かなり具合が悪そうだと思ったようで、幾度となく気にかけた言葉をかけてもらう羽目になった。添乗員さんにはクタイシに戻ったら医者を呼びましょうとまで言われた。実際、ゲストハウスに戻ったら、便秘が一転して超特急の下痢に変わっていた。
則はその時に、羊の皮の旗を写していた。由緒あるものだという。その後、則も急いでゲストハウスに戻った。
9−3 出発 (1100)
則が戻ると順さんはだいぶ具合が悪くぐったりとしていた。急に何が起こったのか、直ちには則は判断しかねた。ともかく、しばらく横になって一休みしてからの出発はまたもや順にとって有り難いものになった。そしてどうにかこうにか、出かける頃には何とかがんばれる状態に戻った。
9−3−1 ウシュバ山 (1135〜1142)
またもやウシュバ山。とにかくきれいに見えるからと言うことでストップ。またもや形が違う。面白い山だ。これでウシュバの3態をゲット。その前で順はぐったりした様子を撮ってもらった。気分的にはすっきりはしていないがそれほど苦しいわけではない。が、前述のように、周りの人からは気を遣う言葉をかけられる。申し訳ない。
9−4 昼食 (1240〜1335)
最初の休憩は往路と同じ所。順も則も折角のランチボックスには手も付けず、お茶とスイカをもらった。スイカはガイドさんが切ってくれたのだが、なるほどと感心する上手な切り方だ。お父さんから習ったというからこちらの切り方なのだろう。この方がよほど合理的だ。
その方法は、最初に底面を安定させるために小さく円形に切る。それをしたにして安定させた上で、写真のように輪切りにしていく。そひて放射状に適当にカットして、供する。
9−5 休憩所 (1400〜1520)
運転手さんたちの昼食タイムだ。行くときに休憩して則が写真を撮ってあげた所なので完成した写真を渡した。
やはり疲れが出た順はのどが渇いたというのでコーラを注文。大きなのしかなかったので周りの人にも振る舞った。それで一息。
9−6 蜂蜜買い (1530〜1550)
走り出すとまたすぐにストップ。何事?と思ったらこの辺りは蜂蜜を作って売っているので見てみましょう、と言うことらしい。順は車から降りるのもおっくうだったが、一応付き合った。
この辺りは容器というものがないので、使い終わったペットボトルに入れて売っている。それも用意してあったものはすぐに売り切れてしまった。そこで飲み終えたペットボトルを持って行ってそれに入れてもらった。また買うのか、と思ったが、買い物が則の楽しみだから。500ミリリットルで5ラリ。蜂蜜と言えばニュージーランドのがまだ封も切らずに残っているのだがなあ。
そこから10分も走ると検問所というのがある。踏切のようなバーで2カ所を仕切っていて、行くときにはそのバーの間には車1台しか通さなかったが、帰りは結構開けっ放しで通してくれた。国連(ロシア)の平和維持軍?
9−7 クタイシのゲストハウス
そこからまた一路走り続けてスグディディでバスに乗り換えた。
ゲストハウスには18時55分に着いた。着くと、先日はあまりにも暑かったので各部屋に扇風機を入れてくれたという。わざわざ買い込んできたらしい。やはりこんな大きなうちの住人は金持ちなのだなあ。
部屋に着くと、かの娘がウロウロとしていて離れない。また写真を撮ってもらいたいのかと仕方なく写してあげた。ちゃんとポーズを決めてなかなかのものだ。すぐに印刷してあげた。と、その夜には、お母さんと赤ちゃんと共にお母さんの里に里帰りしてしまった。きっとあの写真を持って行ったのではないかと思う。あちらのおじいちゃんおばあちゃんは大喜びだったのではないかと勝手に思った。
9−8 夜
せっかくゲストハウスの主人が扇風機を買ってくれたのだが、この夜は先日ほどの熱帯夜ではなかった。それでも扇風機の風は有り難かった。部屋を締めて寝ることが出来る。則もテラスに行くことなく眠ることができた。心配された順はさんの体調ではあったが、なんとか医者に行くこともなくすみそうだ。この日は皆がだいぶ騒いでいたらしいが、それも知らずにぐっすり寝た。