アゼルバイジャン・グルジア・アルメニア への旅



★今回南コーカサスに行くことになった理由だが、則がアッパー・スヴァネティ地方のいわゆる塔の家を見てみたいというのが主な理由だった。

★さてコーカサスと一口に言ってもなかなか理解をしてもらえない。黒海とカスピ海に挟まれたあたりというのが標準的な説明だろうが、それでも他人はピンとはこないことが多い。日本大使館も、現在のところアゼルバイジャンにしかない(2009年にはグルジアに開設予定)。則の場合は「チェチェンの近く」という説明をするとみな納得した。納得した理由は、チェチェンがどこかということがわかっている人たちは地理的に理解し、チェチェンが危険地域だとの理解をしている人たちはまたいつものように偏狭でやや危険なところへ行くのだと理解をした。
 この推論はあながち間違ってはいなかった。日本グルジア文化協会のニュースのページには『2007年8月6日−「戦闘機がミサイル発射」グルジアが非難・ロシア空軍は否定−グルジア政府は7日、ロシア戦闘機2機が6日夜、グルジア領空を侵犯し、ミサイルを発射したと発表した。ロシア空軍は関与を否定している。ロシアは親米傾向を強めるグルジアの北大西洋条約機構(NATO)加盟に反対し、昨年から交通遮断などで同国への圧力を強めている。欧米も巻き込み緊張が高まる恐れがある。』と出ている。まさしくわれわれがグルジアに滞在中の出来事だった。
 さまざまな歴史的事情により、今回訪問した三カ国は単に地理的に隣接するというだけで、統一があるわわけでないばかりか、ロシアを含んで複雑な国際社会の荒波にまさにいる国々だった。


★さて、なぜ南コーカサスか書かなければなるまい。理由は二つだろう。第一は、冒頭に書いたように、則がアッパー・スヴァネティ地方のいわゆる塔の家を見たいという希望からだ。実は中国四川省付近にも同様の建物が存在する。このことは、同行した添乗員氏外幾人かはその事実を知っていた。旅好きの集団であることを改めて確認させられた感じだった。この詳細についてはブログに掲載してあるので、そちらを参照してほしい。
 第二には、やはり世界遺産がたくさん見ることが可能だからだった。旅行会社の宣伝文句の中にも、「7つの世界遺産を訪れる」とあった。私たちはこの春のギリシャ旅行で世界遺産訪問数を150以上に延ばすことができた。さらにこれを伸ばそうと考えていた。昨年夏のイラン旅行で、旅行から帰ってきて自分たちの見てきた「ビストゥーン」が既に世界遺産に登録されているのを知った。だから今回の旅では、その少し前に開かれた世界遺産委員会でアゼルバイジャンのゴブスタンが新たに登録されているのを知っていた。私たちは、今回の旅行で世界遺産を8つ訪問できることを知っていた。今回の旅で訪問数160を超えた。
★さて今回選んだのは、T旅行社。この会社は以前一度だけ利用したことのある会社。そのときの印象はああまり、というかどちらかといえばかなりよくない印象だった。だから積極的に二度目を利用という気にはならなかった。私たちの旅行記を眺めてもらえばわかるが、ワースト3に入る旅行だった。
 ところが、今回は最初からなぜか対応からしてよかった。先にも述べたように、則の希望しているアッパー・スヴァネティ地方にツアーを出している会社はそう多くはない。理由はさまざまだろうが、最近でも旅行者の被害が絶えない地域であることが最大の理由だろう。近年、日本のツアー客でさえ被害事例が報告されている。辺境を得意とするいくつかの会社のうち、アッパー・スヴァネティ地方に敢えて行くリスクを冒す会社が少ないのはそのためだろう。
 さてT社であるが、営業担当者のレスポンスがすこぶるよかった。旅行者の中には言質をとられるのを避けるためだろうか、会社そのものはインターネットがないと成り立たない状況にありながら、メールでのやり取りを回避する傾向にあるところもある。二人とも働いていると、これがなかなか煩わしい。前日夜にメールを出しておけば、おおむね翌日午前中には回答があるというレスポンスは賞賛に値すると思う。
 それから偶然ではあるが、この地域にソビエト時代からかかわっている(らしい)方が添乗員であった。またつい半月前にも同じコースを添乗で行っているというのも、さまざまな面で利用者であるわれわれツアー客には有利に作用した。旅の先々の行動が読めるから楽だった。
 われわれの評価は確実に改善されたといってよい。

★アゼルバイジャンの印象は、首都バクーの印象になる。バクー周辺しか旅行しなかったからだ。バクーの印象は、非常にごみごみとした感じが記憶に残る。公園地域を除くとほこりっぽかったし、石油掘削の盈虚もあってかカスピ海も都市部ではにごっていた。石油が出ることで経済的にも一番豊かな感じを受けるのだが、道路を走る車の古さは三国一だった。また観光地でカメラの撮影料をたびたび聴取されるのは、その昔のパキスタン旅行を思い出した。そこまで困窮しているのかと首をかしげる。
  グルジアの印象は、アゼルバイジャンから入ったこともあって、町が美しい!というのが第一印象だった。われわれの乗った観光バスもガラスがほこりにまみれているということがなく、バスのガラス越しにも写真撮影が可能だった。一番長く滞在したので、ゲストハウスの人たちなどとの交流もあったが、みな一様に親切だったし、ゲストハウスや立ち寄ったバザールで女性が元気には足りているのを多数目にした。
  アルメニアの印象は三国の中で一番ヨーロッパ的だったという印象だ。行った先が、観光地のセバン湖や首都のエレバン中心だったからかもしれない。その分物価が高かった。若い大統領のもと、市場経済化が進んでいるように見受けられたが、貧富の差が拡大しているのではないかと気になった。

★コーカサスの旅で一番考えさせられたのは、やはり複雑な民族間の事情だ。三ヶ国が三ヶ国とも、それぞれが複雑にまた相互に絡み合って事情を抱えており、それらを把握できたということは到底いえないが、文章より現地に行ってその実情をより身近に感じ取ることができただけ、収穫であったかと思う。
  たとえばアゼルバイジャンには飛び地がある。こうした背景には、ソ連時代の民族の分断政策が影を落とした形になっている。強制的に移住されたが、ソ連崩壊後にそれがそこに住んでいる人たちが属する人種の形成している国のものになるのか、もともとの国のものになるのかは、微妙な問題になる。まるで、モザイク模様のごとくに細かくそこに住む人たちの人種が違っている現状は、重く歴史の影を引きずっている。
 単なる観光客にはどうすることもできないもどかしさの反面、日本の幸せを改めて感じさせられた。
アルジェリアの旅行のときもそうだったが、旅行会社が違うとはいえ、考えさせられた同一の問題がある。それは、ともに同じような事案なのだが、その旅行社をかなりよく利用している人の暴走だ。今回の場合教会に入る際に脱帽は半ば常識だが、それ以前に、単なる観光客のわれわれはそこに集う人たちが嫌がる行為をすべきではない。ところがけんかを売っているとしか言いようのない行為をする人が同行者にいた。脱帽すべきを知っていてあえてとらないとしか言いようのない行為をしたわけだが、問題なのはその人といってしまえばそうだが、まわりも気分を害する。勿論これ以外にもこの人の傍若無人ぶりはあるのだが、紙面を汚すだけなので割愛する。
 旅行社の営業的には数が多いほうがよいに決まっているだろうが、他の大多数の客もまた同様に客であり、天秤にかければどちらを大事にしなければならないかは明白だ。おそらくこうした人たちは前回も前々回も同様だったはずだ。泣くのは、弱い人たちと現地で全責任を任されている添乗員だ。添乗員はまだ自社の自由としても、営業先行で顧客満足度を軽視した旅行社のスタンスは、やがて顧客の離反を招くことになるだろう。S社といい、T社といいこの点は大いに改善を求めたいものだ。
 最終的にはその人の周りは大多数の人が避けるようになったし、その人自身われわれとエレベーターに同乗するのを嫌った。集団で旅行するということを理解できない悲しい可愛そうな人がここにもいたという感じだった。

★最後に今回の旅行では、二人とも体調を崩したことを考えると、暴飲暴食には十分に気をつけたい。幸いにして大事に至らなかったが、幾分かは添乗員氏や同行者に迷惑をかけた。次からの課題である。