2008年4月26日(土)
▲出発(0915)−成田着(1130)−搭乗(1500)−離陸(1545)−夕食(1750)−スナック(2200)・・・アトランタ時間(−13時間)・・・機内点灯(1300)−昼食(1330)−着陸(1504)−入国完了(1700)−乗り継ぎ搭乗(1740)−離陸(1820)・・・ペルー時間(−1時間)・・・夕食(1815)−着陸(2226)−入国完了(2315)−バス発(2335)−ホテル入室(0030)
リマ/シェラトン泊
1−1 出発
飛行機出発の2時間前には集合なので、それに十分に余裕を持って家を出たのはいつものこと。駅近くで朝食を軽く済ませてから、京成特急に乗った。
まだ受け付けも始まっていなかったので、しばらくフラフラしてから受付に行った。個人チェックインだというので、すぐに手続きをした。団体に比べると自分のペースで手続きができるので、我が家はこちらの方が好きだ。席も通路側をゲット。
そのあと、カードのラウンジへ行って時間をつぶす。
1−2 機内で DL 056便 48EF
15時には搭乗が始まった。則が杖をついていたおかげで、我が家は優先搭乗ができた。
これから長い長い機内生活が始まる。座席は3−3−3の並び。その中央の並びのEFだ。
15時発の飛行機は15時45分に離陸した。すぐにウエルカムスナックと飲み物が出た。このデルタ航空は、アルコールは有料なので、二人ともソフトドリンクだ。そして、17時50分には夕食。この時は、一人1本だけアルコールが無料で配られるので、当然二人とも赤ワイン。メニューは、チキン(鶏胸肉のロースト)かクリームパスタ(ほうれん草のシェルパスタ)。
その後22時にスナックが出されてから機内の電気が落とされ、睡眠時間となった。
その電気が点灯されたのは、5時間後、アトランタ時間の13時。すぐにおしぼりが配られ、昼食となった。予め配られたメニュー表には、玉子丼というのがあったのだが、チキンのパスタしかなくて結局二人ともそれ。起きてすぐということもあってか、あまりおいしくはなかった。
ようやく長い時間が過ぎて、アトランタに到着した。約12時間かかった。
1−3 アトランタ
アメリカは簡単にトランジットをさせてくれない。一旦は入国しなければならないので面倒だ。以前は荷物も降ろして全てチェックしていたらしいが、最近荷物だけはスルーにしてくれるので幾分楽になった。それでも、入国審査の前には長蛇の列。日本のように担当者の前に一列に並ぶのではなくいわゆる全体が一列になっているので、クニャクニャと長いこと歩かされる。
ようやく窓口に着くと、ここは2人一緒に手続きができた。パスポートをチェックしてから、左手、右手のそれぞれ人差し指の指紋を採られた。その後撮影。個人情報をたっぷり取られた感じだ。ところで、順は簡単に済んだが、のりは盛んにきかれた。アメリカ人も女の官吏だと男に興味があるからなのか?イラン・イエメンに何故行ったと聞かれた。サイトシングだと答えると、風景を見に行ったのかと聞かれたので、否古い建物などを見に行ったと答えて、どうにか通過した。
こうして入国審査が完了するまでに、着陸してから約2時間も費やしてしまったので、すぐに次のゲートへ向かった。到着も出発も同じコンコースEだったので、歩いて行くことができ、その点はラッキーだった。
1−4 機内で DL 349便 41DE
17時40分に搭乗開始。2−3−2の配列で、今回は窓際でもよかったのだが、中央の列になった。なんと、日本人乗務員がおり、日本語の案内もなされた。これにはビックリした。日本発着の場合には当然のようにあることなのだが、まさか日本と全く関係のない路線でこのようなことがあるとは。それだけ、南米への中継点となって日本人乗客が多いということなのだろう。
18時20分に離陸。それから1時間ほどして夕食。今度もチキンとパスタ。料理の仕方は違うが、材料は同じ物ばかりだ。それでも手が出るのは卑しさのせい?
1−5 ペルー到着
ペルー時間で22時26分に着陸した。約6時間40分ということは、日本から約23時間もかかったことになる。遠い長い旅だった。
ここでも長い列に並んでようやく入国したのは、それから1時間も経っていた。その後、無事に全員の荷物を受け取り税関を通過する。この時、ボタンを押して青ならば何事もなく通過できるが、赤だとスーツケースをオープン検査となる。
我が家は無事通過。全くドキドキさせられる制度だ。程なくバスで真っ暗な街へ出てホテルへと向かった。街は今年行われるいくつかの国際会議へ向けて、急ピッチで工事がなされているということで、あちこちにその様子が見られた。
1−6 ホテル Sheraton Lima Hotel & Casino 1065号室
Limaの空港から旧市街に建つホテルまではそう遠い距離ではなかった。町は眠ってはおらず、まだ一部の屋台まがいの飲食店は営業をしている時間だった。その一角だけがほんのりと明るかった。
30分ほどでホテルに着き、なんやかんやの手続きがあって(これはPeruだけの話ではないが)、ようやく部屋に入ったのはもう日が変わって0時30分だった。
この後の各ホテルでももそうなのだが、各ホテルでは宿泊に際してパスポートを預けるかもしくはそのコピーの提出が必要であり、何せ団体旅行だから詳細な追求もしなかったけれども、写真のような、まるでパスポートコントロールのごとき申請書も必要であった。ちなみに最終日にまたこのホテルに泊まったが、二度目の場合にはパスポートの提出だけだった。
明日の出発も早いので、とにかく風呂に入り、最低の事だけしてすぐにベッドに入った。