2010年8月21日(土)
2-1 朝
5時に起床。それから健康チェック。いつもと同じ朝を迎えた。
入浴をして、荷作りをしてもまだ時間があったが、散歩に行くほどの所もないので、ふらふら部屋で過ごした。
朝食の時間が待ちきれずに15分も早く会場へ行ったがまだ開いていなかった。すでに並んでいる人もいたので、我が家も並んでその人たちと話をしていた。列は徐々に長くなって5分前にはかなりの長さになった。そこで会場が開いた。朝食が6時30分、出発が7時30分ということだから、5分でも早いのは有り難い。
朝ビュッフェもよかった。お皿が小さく分かれているので、使いやすかった。
部屋に戻って歯を磨いたりしているとすぐに出発の時刻になってしまった。
今日も後ろの席をゲット。昨日は本来一番後ろだったので、もし一番前だったらそこにしようといっていたのだが、なぜか2番目だったので最後席の方を選んだのだ。
バスに乗り込む頃雨が落ちてきた。7時半、ウトロ温泉ホテル発。
2-2 シカ鹿しか
ホテルから昨日の夜と同じ道をたどり、知床五湖を目指す。
ほろべつ川、岩尾川を渡ったが、ここは鱒が釣れるとかですでに竿をおろしている人がいた。又、この辺りで熊が鮭を捕まえる姿がよく見られるというので、その方面の人の絶好のポイントになっているとか。そのシーズンにはすごい人が集まるそうだ。
そんな話を聞いている途中で何頭もエゾシカを見た。これなら昨日、高い金を払ってまで参加する必要はなかったなというのが印象だ。エゾシカはそれこそ駆除するくらいいるわけだから、あちこちで見ることができる。
その繁栄とは全く逆なのが廃墟。開拓者の家だったところはもう無残としかいいようのない姿に変わっていた。
2-3 知床五湖(0745~0845)
知床五湖はその通りに五つの湖からなっている。
その周りには周遊できる歩道が整備されているはずだった。前回はそのすべてを回ってみてきたのだが、今回はヒグマの出没が多く危険なため三湖から先は立ち入りが禁止されていた。といっても、今回は始めから二湖までの予定だったのだが。
熊が一湖の方までくるとそれすら立ち入り禁止となってしまう。そのために、高架式木道というのが整備された。2mほどの広い幅があり、電気柵で防御してあるというものだ。
これでも一湖までは行けるらしい。その先へ行くとオホーツク海が見えるという。
こちらでもいいと言うことだったが、二人とも二湖まで行く方に入った。
2-5 羅臼しおかぜ公園(0938~0943)
かなり前に「地の果てに生きる者」という映画がここ羅臼で撮影された。戸川幸夫の原作である「オホーツク老人」を映画化したもので、サケ番屋で番人を務める老人の生き様を描いた作品だが、その老人を演じたのが森繁久弥。それがきっかけでかの名曲「知床旅情」が生まれたのだそうだ。
ということで、この公園にはその歌碑と森繁が演じた老人の像が建っている。この老人、森繁そっくりだった。
2-6 道中
羅臼の街はウトロに比べて生活感にあふれていた。漁港や船着き場、漁具などまさに今ここで生きていますという感じがあふれている。特に船着き場は、各家で持っているのではないかと思えるほどに数が多く、堤防を切るように海に直接つながっている。波が高い日や台風の時など大丈夫なのだろうかと心配になったが、道路のあちこちに波の高さが限度を超えたらすぐ避難とか、津波避難所などというのが表示されていた。それなりに対策を講じているということだろう。
テレビの作品「北の国から」で使った純の番屋というのもあった。本当な別の場所だったらしいが、観光客の見やすいところへ移動してきたのだそうだ。その撮影の際にロケ地となった「おじろ橋」も見事カメラでキャッチ。
その後標津のオートキャンプ場で弁当を積み込む。今回は、食べるのがバスの中で、ということだったので、我が家も仕方なく申し込んだ。
それからまたしばらくは海岸線を見ながら走る。川が海に流れ込む辺りには、いずれにもカモメが群がっていた。栄養分が豊富なのか、疲れて死んでしまった鱒の体をむさぼっているのか、何でだろう。
風連湖畔の道の駅でトイレ休憩。丹頂が見えるかもしれないというので、目をこらしてみたが、残念。1羽もいない。
その後、バスの中で弁当を食べた。
2-7 納沙布岬(1300~1315)
納沙布岬灯台は、北海道で一番古い灯台なのだそうだ。が、今回もそこに上ったりはせずに、北方四島を眺める。
つまり、ここは日本最東端というだけではなく、限りなく北方四島に近いのだ。にすぐ前には歯舞諸島の貝殻島が見える。島と言っても、岩礁の上に1本の塔が立っているに過ぎないのだ。
ここに来ると到達証明書なる物をいただける。前回もいただいたのだが、その図柄になっているのが、ゆめの架け橋。そこには、北方四島が戻るまで絶やさないという火が燃えている。当然皆そこへ行くのだろうと思って二人で集団から離れて写真を撮っていると、他の人は見向きもせずに納沙布岬の表示のある所へ直行してしまった。
おかげでゆっくり写真を撮れたのはありがたい。
それから平和の塔で鐘を鳴らしてから、表示のある所まで行ってみた。
何本か、返せ!という表示がなされていたが、確かに手が届くと思われるほど目の前に見えるのだから、そういう気持ちが強くなるだろう。
7月にロシアに行ったときガイドさんは「戦争で勝ち取った物を返すとなったら、世界中が大混乱になるでしょ。そんなことは考えられません。」と一言。
かつてそこで生活していた人たちは年々減ってきているという状況では、この交渉は先が全く見えないのかもしれない。
2-8 東根室駅(1352)列車(1432)厚床駅
電車(正確にはディーゼル)発車の10分ほど前に日本最東端の東根室駅に到着。綱渡りといえなくもないが、この運転手さんはその辺りがうまい。我々はここから電車に乗るが、バスは到着駅まで行って我々を待つ。果たして電車とバスの競争はどうなるか、と別の興味もわいた。
さて、ここから又お楽しみの電車だが、景色的にあまり面白そうな感じではない。ということで特に席争いをするわけでもないので、ホームで、やってっくる電車を写した。またもや1両だ。
我々全員がゆっくりと座れた。
この路線は景色を楽しむというよりも、各駅の雰囲気を楽しんだ。駅名や駅舎が面白いのがあった。
厚床駅に着くと、ちょうどすれ違いの電車がくるので、それも写した。
バスはすでに待っていたので、写真を撮りおわってすぐに出発となった。
2-10 霧多布湿原(1515~1600)
展望所などで湿原を遠望するのかと思ったら霧多布湿原センターという所だった。霧多布湿原の自然情報などを提供する施設だ。
はじめに係員が来て全体の解説をしてくれたが、乾ききった葦の野原という感じで湿原ぽくなかった。イメージしていたのとは全く違っていた。
次に中で説明をということだったが、早く湿原の中を歩いてみたかった我が家はそれをパスして遊歩道へ向かった。
木道を歩いてみてもやはり乾いた感じはぬぐいきれずにガッカリした。それでもトリカブトやフウロソウなど他の花が少しが咲いていたので、それらを写真に収めた。
最後はセンターで資料を見たりして出発時間まで過ごしたが、あまり見るべき感じではなかった。エゾシカ・丹頂、ともに今日の出現数はゼロとなっていた。
2-13 散策
温泉がないので、時間的には余裕があるので、近くの「フィッシャーマンズワーフMOO」へ行ってみることにした。
2-13-2 釧路川
外へ出ると目の前が釧路川。漁船が整然と並んでいた。それぞれ笹などにつけた豊漁祈願の小さな旗をつけていたので、これから出漁なのだろう。釧路港で24日、主力である100トン以上の大型棒受け網漁船が初水揚げしたというニュースを帰ってから目にしたので、ちょうどその漁だったのではないか。ただ、これらの船はそう大きな物ではなかったが。
又、その船の見張り台とでもいうのだろうか、船の舳先から2~3mも海上に突き出すようになっていたのが、見ていて怖い気がした。
その先には幣舞橋がある。「釧路の夜」の記念碑があるというが、そこまでする気持ちはなかったので、途中コンビニに寄ったりしてホテルへ戻った。