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「チベット」ツアーから帰国して・・・
則が最初に学校に勤めた場所は東京のS区だった。S区にMという地区がある。現在でも幾分かそういう傾向は残っていると思うが、交通機関の発達している現在でも他よりは交通の便が悪いところで、そのためにS区のチベットとM地区のことを言っていた。これはもちろんチベット・M地区双方にとって侮蔑的な表現だが、同時にこの表現は他地区でもたまに耳にする。それは、我々日本人にとってチベットがいかに遠い場所として存在しているかを表現している。今は中国の人たちの避暑地としてブームとなっているとも聞くチベットだが、日本人の私たちにとっては、やはり身の回りにそこへ行った人を見つけるのはたやすいことではない。遙か遠い存在へのあこがれ・・・これがチベットという言葉にいつも含まれているように思う。
そしてだいぶ間に偶然にテレビでショトン祭におけるデブン寺の大タンカ開帳を見た。それは大きな仏画が谷間に飾られて人々が祈る場面を映し出していた。そしてその後でまたまたテレビで、死者の書が取り上げられているのを見た時よりも、則にとってはより印象深いものだった。大タンカの開帳がチベットへのあこがれと次第に同値になるようになっていた。
そうしたあこがれはあったものの、遠い存在であったことには代わりがなかったが、にわかに現実味を浴びたのは、そのショトン祭が夏場に行われかつ日本からもそのツアーがいくつもあることを知ったからだった。順はこのころになると呪文のように「チベット」「チベット」と則に迫った。決断した我々は二つの旅行社を選択した。ともに当初ネパール経由の日程になっていたが、一方はネパールの不幸な事件に関してそのうちに危険状態は解除されるとし、他方はいち早く成都経由に変更した。実際に前者の方針は正しかったとも言えるが、我々には現地情報に精通していないと言う認識を持ち、またよりその地区に経験が深い後者の旅行社を結果的に選択した。
夢に見た大タンカを果たして私たちは見ることが叶ったのか? 高山病の恐怖と背中合わせの私たちの旅を今また語ろうと思う。
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