12月28日(木) 成田 〜 関西空港 〜 ドーハ

[羽田へ]新大久保発(1708)(17299)着品川発(1731)(1751)着羽田空港・荷物を受け取り集合場所へ。(1830)西遊係員からチケットを受け取り、めいめいで搭乗。
[関西空港へ]羽田空港発・・動く 45A・B(2020)羽田離陸(2039)飲み物サービス(2100)関空着陸、添乗員と合流(2146)チケットを受け取り、めいめいで搭乗。(2245)

1−1 出発
 明日から仕事は休みになる。そして今日からまた旅に出た。旅に出るときは休みを取るので当然ながらどこへ行くのかと同僚たちに聞かれる。だいたい最近はあまりなじみの無いような国ばかり行っているので、今度はどこだと同僚たちも良く聞く。
 今回の旅のテーマは「歩き方の無い国」ということにした。2006年現在、地球の歩き方のアルジェリア編は存在しない。1990年頃までは「アルジェリア・北アフリカ」編が存在したが、内戦勃発以来編集されていない。だから、「歩き方の無い国」に行くと称して、旅に出た。
  さて今回も当然ながらツアーである。おまけに、もちろん旅行費用に含まれているわけであろうけれども、宅配便手配も無料だし、入国カードも自分たちで書くことはない。基本的にはただくっついて行けば用が足りる。もっとも今回は後で書くことになるであろうが、パスポートのVISA欄を追加してもらったなどという強者揃いの一団なので、あまり細かく集合するわけでもなく、ある意味無干渉というかほったらかしの旅であり、それはそう旅行会社が演出することによって、お客の方も自分たちは旅慣れているというプライドをくすぐっているようでもある。(そうでなければ入国カードなど自分で書いた方が良いに決まっている。)
 何が言いたいかと言えば、順はこの日休暇をとったし、則も結局5時上がりを1時間早めた。そして4時過ぎに則の職場の近くの安いイタリア料理屋で落ち合った。のっけからビールで宴会気分だ。ワイン一本は多いとそれでも自重して、中ジョッキ二杯でやめた。飲んだくれても、酩酊しない限りはお客だから連れてってはくれるだろうという甘い考えからだ。もうあまり生ものは食べられないだろうからと、サラダなどをつまみに出陣式を行った。

1−2 羽田にて
 それでも集合時間の1時間近く前には羽田に到着した。その時間にはいるという話だった見送りの旅行会社の職員を捜したが、30分前になっても見あたらないので会社に確認の電話を入れた。そうこうしているうちに係員がやってきて、関空までの搭乗券と往復の航空券を受け取る。それからチェックイン。
 荷物は羽田から一挙にアルジェまで流す。本当に着くか相当心配をした。関空はともかく、ドーハの乗り継ぎは7時間もある。まぁともかく、コントロールはしてきたので重量オーバーにはならず、無事に荷物との別れを告げる。順調に行ったとしてもあうのは明日の夕刻だ。
 それからチェックインをすぐにした。我々は一刻も早くチェックインしたかったのだ。それは則の荷物のせいだ。パソコンやデジカメなど、機器類しか入っていない。だいたいこれが引っかかる。羽田が特に厳しい。成田よりも厳しいと言うことは前にも書いた。しかしながらパソコンなどX線を通せばわかるのだろうか、いつも疑問に思う。パソコンだけ別に通せと言うが、それだけで安全なのかと疑問に思う。今回はコード類がたくさんあってといって、中身を全部あけさせられた。仕方がないが面倒だ。

1−3 関西空港
 羽田からの便は全日空。カタール航空とのコードシェア便だ。満席。我々は後方の窓側が2列に減少する直前の左の3列席の通路側2席。したがってちょっと窮屈だったが、とはいえ一時間の旅だ。関空にはほぼ予定通りに到着した。既に荷物はアルジェまで送ってあるので、手荷物だけで国内線の出口を出る。関空の出口は一つだけだから、わかりやすい。そこで今回の添乗員のYさんに出会う。則の記憶では、イエメンで出会ったということだが、順の記憶にはない。それはさておき、既に大阪組はチェックインを終えていたようで、4Fの国際線ロビーに東京組だけ登って集められる。ここで羽田出発時に渡された航空券の束を預ける。ドバイまでのエミレーツの場合もそうだが、この時間の出発便は数便に限られているので(トルコ航空が増えて3便になったように思うが)、閑散としていて寂しい限りだ。トイレなどで時間をつぶしているうちに手続きをしてくれて、航空券を受け取り、出国審査を受ける。ここでもほとんど並ぶと言うことはなかった。関空はターミナルの中央部を国内線が占め、左右(南北)を国際線が占める。我々は北の31番ゲートで、シャトルに乗って向かう。中間駅で降りなければいけないと確認して乗ったが、シャトルはもはや他の飛行機がいる時間ではなかったので、中間駅止まりで間違えないようにと心配をする必要もなかった。一つのゲートに人々が集まっていたので、そこが搭乗口だということはすぐにわかった。相当の数の人がいる。後でわかったことだが、年末年始の休みを利用して日本脱出を試みる人々が多数を占めていた。それも、前回のイランのような団体客などいないという状態ではなく、多数の旅行会社のツアーのメンバーたちだった。我々の外に、同じような会社の旅のデザインルームや大手の旅物語(JTB)・トタピックス(阪急)・国内旅行では沢山お世話になっている近ツーから分かれたクラブツーリズムなどなどだ。

1−4 機内にて
 意外に早く搭乗が始まった。関空では無料のアクセスポイントがあるので、パソコンを出した途端だったので、ややあわてて荷造りをした。機内配列はエコノミー席は2−4−2で我々の席はかなり後方の左窓側だった。発見がバラバラのようで、いくつものツアー客がモザイク状に搭乗しているので、ガイドがあちらこちらと歩き回るので、値段の安い後部座席は団体客ばかりだと言うことがわかった。
 エプロンはピッタシ定刻に離れた。一路ノンストップでカタールのドーハを目指す。初めての航空会社である。長いアルジェへ向けて離日した。とはいえ、周りは日本人ばかりだ。離陸して1時間ほどで、食事となった、添乗員のY女史の表現ではちょっとした食事というので、てっきり済州島へ行ったときのようなものかと思っていたら、普通の機内食だった。洋食と和食とあったので、両方を選択した。和食は何と牛丼。則に言わせるとこれが売り物の一つなのだそうだ。洋食はチキンと魚があったので、チキンを選んだ。希望すればカップヌードルももらえる。
 カタールは酒の持ち込みが禁止されているので、イラン航空同様に機内食時も無理かと覚悟をしていたら、配られたメニューリストを見るとアルコールもあるではないか!順さんが赤ワインを選ぶというので、則は白ワインにした。則はワインをおかわりし、更に食後の少しきつい酒までもらった。
 さて食事が終われば後は寝るだけだ。途中ジュースをもらいにいったりして何度か目を覚ましたが、基本的には結構順は寝た。則は途中ゲームをやったりして過ごした。座席の前には一人ひとりの液晶があるタイプで、たくさんの映画などが選択できるようになっている。確かに内容も豊富ではあったが、今回は魅力的な物がなかったことや日本語吹き替えや日本語字幕付きがなかったこともあって一つも見なかった。疲れていたせいもある。
 2時間くらい前になると室内が明るくなり、朝食風のものが出た。オムレツとスクランブルを頼んだのだが、あけてみると両方ともオムレツだった。
 飛行機は予定のコースよりもなんかしたコースをたどっており、後で時間調整だという結論に達したが、マスカットに向かっていたので、またもやエミレーツの二の舞ならぬ三の舞かと思ったが、ほぼ定刻に無事カタール航空に到着した。
 カタールの入国には、ちょっとしたトラブルがあった。それはビジネスクラスの同行者がビジネスラウンジに行ってしまって、というか強制的にそちらに連れて行かれて、合流するのにだいぶ待たされた。最後の写真は、カタールの入国スタンプ。2006年のドーハアジア大会記念バージョン。帰りは年が改まったからだろう、通常のものに戻っていた。貴重な旅の記念品になった。