12月31日(日)
(ムザブの谷)ガルダイア(190Km)ワルグラ(サハラの砂丘)
ホテル発(0825)ムザブの谷ビューポイント(0830〜0854)メリカ散策(0903〜0930)ラタフ散策(0955〜1105)ガルダイヤ市場(1140〜1225)昼食(1235〜1345)パルメリ散策(1405〜1447)ベニイスゲンビューポイント(1515〜1532)サハラ砂漠(1725〜1756)ホテル着 (1825)
4−1 朝
出発は8時15分とゆっくりだが、朝食は5時30分からというので、朝の早い我が家は当然のようにその時刻にはレストランにいた。
4−2 ムザブの谷ビューポイント(0830〜0854)
道が狭いというので、今日は小さいバスに乗り換えての観光となった。運転手は風邪気味だったから、よい休養になるだろう(どうもバスと共に運転手と助手もこの日は違った)。少し走ってすぐにムザブの谷が一望できるという場所で写真撮影。
正面に見えるのがガルダイヤ、左に見えるのがメリカと説明を聞きながら写真撮影に奔走する。ホテルは右手前あたり。
4−3 メリカ散策(0903〜0930)
散策といってもお墓に行って歩いただけだ。今までに見たようなきちんとした墓石のある物ではなく、その辺から取ってきた岩を砕いたような墓石が無造作に置いてあるように見えた。そのお墓だが、メッカの方を向いて葬られていることは知っていたが、石があるのは足の方で、女性は胸を現す小さな石が二つ置いてあること、故人のつかっていた壺のかけらなどを置いておくことなどが説明された。写真中央部に緑色のものが見えるだろうが、壺のかけらであり、個人が使っていたものなのだろう。死後の世界においても困らないようにと言う配慮は、どこか共通するものがあると感じた。
ただここには一つだけ形の珍しい墓がある。ムサブの谷の家々を形どるのと同じような5つの突起(ムサブの谷の村の数を表す)があるひときわ大きな墓の一群だ。解説書などには、女王シディアイサの墓(とその一族の墓)と書いてあるが、現地ガイドの解説では女王というのは誤りだと言うことであった。土地の著名人であったことは、宗教上のあるいは政治上の統括をしたレベルの人のものであることはその規模からしれる。
4−4 ラタフ散策(0955〜1105)
それからローカルガイド付きで一つの街を散策した。ここの見学は、ローカルガイドが必ず付いていなければならない。ほかにも、決して人を写してはいけないことを注意された。この町ラタフは、一番規制が厳しいが、それだけに原型というものを残している。ムサブの谷に最初に作られここから発展した由緒正しき町なのだ。
ここの建物の特徴を最初に書いておこう。左の写真を見て分かるように、窓の数が少ない。少ないばかりでなく、極端に小さい。これは後に行くカスバでも同様なのだが、気候と防衛上の理由からだろう。
一歩町の中に入ると、ここでも珍しい物を見るように子どもたちが近寄ってきて笑いかける。子どもはどこへ行ってもにこやかで愛嬌があった。
その子どもたちも含めてここの住人は独特の服装をしている。まず男は、またの所にひだのあるふっくらとしたズボンをはいている。日本で言えば工事現場の人たちが履いているズボンのようなものだ。股下部分の風通しを良くする工夫だろうか。ちなみに同行者の一人がこれを買い求め、履いてみたが、冬場はとても寒く、一日で止めてしまった。
女は片目だけを出して全身を白い布で覆っている。細く入り組んだ道の角を曲がったときに急に現れたりすると、向こうもそうだろうがこっちもギョッとする。いずれにせよ細く坂道の多い町で人を入れずに写真を撮るのはなかなか難しかった。右の写真の一番左はスルーガイドだが、中央はローカルガイド。もんぺ状のズボンをはいているのが分かるだろう。左のコスチュームがこの町の女の人の標準的な姿。偶然撮影したものだが、異様さが伝わるだろうか。
4−5 ガルダイヤ市場(1140〜1225)
イード祭の最中で市場は開かれていないということだったが、いくつか開いている店があるというので行くことになった。確かに事前の写真で見たような人の数はなく閑散としていた。市場の周りを店が取り囲み、その市場の中に露店が出るというようだ。その店の一つの二階からガルダイヤの街を撮らせてもらった。モスクを中心にした町の様子が見られた。その後、自由に街に出た。露店はおもちゃ屋さんが3,4店ほどしか出ていなかったので路地の方へ入ってみた。ここもやはり閉まっている店の方が多かった。ただ、丘の上のモスクまで行く時間はなかった。
4−6 昼食(1235〜1345)
メニューは、<サラダ、クスクス、羊肉、ナツメヤシ、フルーツ>。この日もホテルのレストランだった。
日本でも海外でもよく見かける光景だが、入り口の所に他の会社のワッペンが貼ってあったので、順が社員そこのけで我がツアー会社のワッペンを貼り付けた。たぶん、この会社を次回利用するときには特別の割引を受けることが出来るだろうと思う。
4−7 パルメリ用灌漑散策(1405〜1447)
このガルダイヤという町は灌漑設備が優れているのも見どころの一つになっている。元々迫害された人々がこの地へ逃げ込んできて、自分たちの得意な水を見つける技術を行使して街をつくりあげたそうだ。従って水の取り入れ方には非常に工夫した後が見られる。まずは貯水槽のようなものを作りそこからの水の取り入れ口を作り、そこから地下の水路を作り、各家庭に取り入れる口を作り、各家庭内でも水路を作り、また、井戸を作り、等と様々な工夫が見られた。そうして作り上げたのがパルメリ、つまりナツメヤシの林ということだ。
写真左は、左手前から大水が押し寄せる。一行が歩いているところが河床になる。先端段差になっているところが取水口。ここから水路が続く。このシステムは、町の中に入っても更に細かく配分されるシッステムができあがっている。いくつかの方法があるが、右の写真はその一例。手前から来た水はここで写真左手の大きな水路から取り入れ口を通って分配される。取り入れ口も大小あって、工夫されているのが見て取れるだろう。
4−8 ベニイスゲンビューポイント(1515〜1532)
最後にもう一度この地方全体を見てみましょうということで、ちょっとした丘に行った。ガイドがとてもいいというポイントまでさっさと歩いて行ってしまうので付いていくのが大変だった。
そこからは確かにいくつかの街が見られた。中でもベニイスゲンは、青いパステルカラーの家並みがきれいだった。
4−8−1 ワルグラへの長い道のりで(1)
ワルグラまでは長い道のりだ。暗くならないと到着しない。バスは100キロを超えるスピードで疾走する。ワルグラまで後150キロメートルという地点で、時間はアルジェリア時間午後4時になった。日本とアルジェリアの時差は8時間だから、日本では既に2007年を迎えたことになる。お酒を出すわけにはいかないので、則はチョコレートを皆に配って、新年の挨拶をした。
4−8−2 ワルグラへの長い道のりで(2)
長い道のりでは、トイレ休憩も青空トイレとなる。ところで、例のアルジェリアパンツをはいている場合というか、アルジェリア式(アラブ式?)トイレはどのようにして青空でするのだろうか。一団の一人が購入し履いたことは書いたが、小用を足すときの姿はかような形となる。本人に次の日に写真を印刷して渡したので、一応許可を得たものと解釈して掲載する。
4−9 サハラ砂漠(1725〜1756)
さて一路砂漠の中の年ワルグラを目指す。この後も実はそうなのだが、高度計がぐんぐんと下がっていく。海抜0にどんどんと近づいていく。それに気付いた則は、バスの広報から先頭に行き現地ガイドに、時計の高度計を見せてこの数値は正しいかと聞いた。正しいと言うことだった。実はサハラ砂漠(の一部)は、海抜よりも低いところに存在すると言うことだ。このことは非常に興味深い事実と思った。
本日最後はサハラ砂漠で夕日を見ること。時間に間に合うか心配したのだが、運ちゃんがうまくて、ギリギリではあったが十分に間に合った。
相変わらずさっさと歩いて行くガイドさんに則が一番で着いていく。順さんもようやく砂漠の山の登り口に付き、四つんばいになってどうにか登っていった。そうしないと足が砂に飲み込まれて先へ進めないのだ。最後は則とKさんに則の三脚で引っ張ってもらった。
サハラの赤い砂が夕日に映えて一団と赤く感じられた。暗くなると怖いので、また完全に日が落ちる前に一同バスへ戻った。
後はホテルへ急行、と思いきや・・・途中で初めてラクダを発見。かなり往来のある、片道2車線の道路をゆったりと歩いていた。バスを止めてしばし撮影タイム。ラクダの乗り手に話をつけてくれたらしい。サービス精神旺盛のガイドさんだ。 興味を引きそうなものに積極的に応じるこうした姿勢は賞賛ものだ。こうしたスタンスで皆あれば、この国の観光資源は豊かなのだから、この面でも今後発展を見せることだろう。
<ホテル着 (1825)リナテルホテル 105号室>
部屋には大きなダブルベッドとシングルサイズのベッドがあった。広くてゆったりしている。バスタブもあるので砂漠の砂をきれいに洗い流せる。
本日の夕食のメニューは、<スープ、シャサハ(春巻き?)、チーズミックス、サラダ、オレンジ>。大晦日ということで酒の持ち込みを頼んだがきっぱりと断られた。仕方なくコーラで乾杯。その後会社持ち込みの年越し蕎麦(といってもドンベイ)を食べる。
これで終わりかと思ったら、現地会社から砂漠の薔薇のプレゼントと大きなケーキが出た。木の形をしたケーキで、これもイード祭ならではのことらしい。ただ、味の方はいまいちだったが。
更に盛り上がったのが、紅茶をつぐときに、お茶の入ったポットを高く上げてカップに注ぐという店の人のやり方。あまりにも上手なので一つやる度に完成と拍手。店の人も益々ボルテージを上げてオーバーにパフォーマンス。あまりにも大歓声なので、厨房からも人々が出てきて和やかなひとときとなった。酒が無くても大いに盛り上がって楽しい大晦日が過ごせた。