日本の印度から印度へ
日本のカオスから世界のカオスへ



★私たちの隣町の一つは、そして私たちが飲み屋街を徘徊するその町は、「日本のインド」と呼ばれている。それはエスニックな雑貨を扱う店やエスニック料理を出す店が多いことと混沌としている町のたたずまいに由来するらしい。私たちは、その日その隣町の駅にいた。そして、日本のカオスから世界のカオスへ旅立った。

★インドへの興味は、いくつかの点によって構成されるが、総じて言えばその多様性と言うことになるであろうか。そしてその多様性の中でも特にと言われれば、数多くある仏跡への興味と言うことになるであろう。その仏跡を巡る旅に出た。もっとも迫力ある仏跡は、パキスタンの方がより多く存在している事は理解している。更に、四大文明の一つもインダス文明も同様にインドではなくパキスタンに中心がある。したがって、今回は釈迦の足跡をたどるということに力点のある、文字通り「仏跡」への旅をした。

★今回もいくらかは自分たちのアレンジのきく形のツアーにした。この個人旅行と団体旅行の特徴を併せ持つ形式は、まったくの自由気ままとはいかないものの、語学能力の欠如と働いているが故の時間的束縛を併せ持つ身には、お金という難題が解決すればすこぶる好都合の形式だ。極端を言えば、そこに行かなくてよいから、ここに代わりに行ってほしいと言っても、それがかなりの確率で可能になる、

★さて今回選んだのは、P旅行社。以前から名前は知っていたし、インド、なかんずく仏跡については強い旅行社だと判断したからだ。日本国内での対応は悪くなかったが、どちらか判断はつきにくいが、インドの現地旅行社との齟齬があとあと目についた。この点は、現地に基地のある風の旅行社による中国の敦煌&新疆ウイグル自治区への旅ほどのメリットを感じなかった。

★インドのインド的なものは、今回は旅の中心課題ではなかったが、旅に出る前とインドへの印象は大きく変わった。まず貧富の差が著しい。物乞いが多いわけではないが、公園の木陰ででゆったりと時を過ごす人もいれば、その公園でものをしつこく売り歩く人もいる。それらが同居している。沐浴をしている人の横をわれわれは観光して歩く。混沌・カオスと言った言葉がまさしくしっくりする国だと、体感した。公園と今書いたが、インドはまた西洋式の公園を整備するのが好きな国のように思った。仏跡などもみな公園にしている。

★それから、一番心配したのが、衛生の問題。しかしながらこのことは幸いにも見事に裏切られた。もちろん街角の物陰で用を足している人は実に多い。しかしデリーのようなところでは、目にすることはないし、もちろん公園でそうした行為を見ることもない。旅の達人であるYさんは、ドアのノブをさわったらそれも濡れティッシュで拭いたというほどで、だいぶあちこちで脅かされてインドの旅に出たが、別段どうと言うことのない平均的な不衛生な国だった。間違ってもきわめて衛生的などと言うつもりはないが、不衛生きわまりないなどと言うことはない。この国に与えられたこの不名誉は、この国がアジアに属し、比較的日本人が訪れやすいということに由来するのではないのか。海外旅行で、衛生的なヨーロッパの国のいくつかを回り、そのあとインドを回れば、たぶんギョッとすることもあるのだろう。

★さて、不衛生と言うことの別表現として、インドへ行って人の多くは腹をこわすという話がある。もちろん、こうした話の分、気を遣ったが、のっけから車が故障して修理工場に立ち寄った際に、現地の人から紅茶を振る舞われた。正直ギョッとしたが、問題は生じなかった。そればかりではなく、われわれはかなり分量に気を遣ったはずだが、インドから帰るとかなり体重が増していた。生のものはあまり摂らないよう心がけたが、インドの料理は、特に則には、美味しすぎた。