3.8月7日(日) パエストゥム  快晴 

ホテル(0830)バス 25℃ (1030)パエストゥム(1235)(1300)昼食 30℃ (1415)(1850)アルベロベッロ


3.1 パエストゥム 29℃
 2時間のバス旅の末にやっと着いた。バスの中の温度計は29℃ということだったが(一応外気温だという)実感としてはそれ以上だ。暑さを感じるのは日差しの強さかもしれない。肌に刺すようにという感じで痛い。


○考古学博物館 1045〜1135
 ここでまた次のガイドさんと待ち合わせて、先に博物館の見学に行った。ここのことは余りよくは知らないのだが、石棺に描かれたたくさんのフレスコ画を見た。中でも「飛び込む人」というのがよく知られているということを知った。ほかに壺やヘラ像など、結構収蔵量は多い。「ちょっと見てください」とガイドさんに言われるままに外を見ると、トウモロコシ畑の中に「セイレーン門」が見えた。つまりこの辺りは遺跡の中だそうだが、私有地のために発掘ができないのだそうだ。イタリアにはこんな所がたくさんあるのだそうだ。そうだろうなあ、今の暮らしか歴史保存か。難しいところだが遺産がいっぱいのイタリアで保存を優先させたら人の住む所なんて失くなってしまうかも知れない。

○遺跡 1135〜1235
 一通りの知識を頭に入れてようやく遺跡の見学となる。
 はじめに「アテナ神殿」。柱はドーリア式のどっしりとした簡素なもの。その上にメトープという浮き彫りの飾りがつけられるのだが、「さっき博物館でたくさん見ましたね。」ということだ。今はそれはないが、柱が林立して順さんの好きな光景だ。ゆっくり写真を撮るまもなく先へ進む。広い公園に石がごろごろしているだけのような所を進む。
 着いたのが「コロッセウム」。名残しか残っていないが、それでも円形の感じ、通路や座席などは十分に雰囲気で味わえる。現在残っている規模はほんの少しで、元々の形は壮大なものであったことが門の位置などからわかる。
 それからはまた石の残骸の中を歩く。ただ転がっているようだが、実は集会所やアゴラなどがある。市場もあったそうだ。
 ドキュマノス通りを越えるとポセイドン神殿(ネプチューンorヘラ第二神殿)。これは3つの中で一番新しいらしいが、それでも紀元前450年だというから驚きだ。保存状態もよい。ほとんど残っている柱には秘密があって特定の場所へ来るとずっと奥まできれいに見通せる。また、屋根はないが柱の上の三角があって、そこに向かって大きな声を出すと大きく響いてまさに神様が話しているように聞こえるとか。また、柱の内側に壁があったために、至聖所の部分がきれいに残されている。残念ながら周りに柵が施されているため近づくことができない。
 三番目の神殿は、ヘラ神殿。通称バジリカというのだそうだ。これが一番古い。横幅が広くて柱が9本ある。ギリシア時代の祭壇や犠牲祭壇も付属して残されていた。
 ガイドさんは本を使って説明してくれたのだが、それが宣伝にもなっていて、我が家でも買い込んだ。

3.2 昼食 1300〜1415
 昼食はこれまた楽しみにしていたカプレーゼ。これも前回おいしかったのだ。モッツァレラチーズが最高なのだ。トマトもおいしかった。さて、今回は?と思ったら予想と違わず合格点。それだけでなく、またパスタ?と言われるほどパスタ続きでうんざりしていた我々もおかわりがしたくなるほどのおいしさだった。旅を振り返ってみても3本の指に入るおいしい食事処であった。
 ここは畑の中にあって、農場なのだ。家族でやっているようなこじんまりとしている店だ。周りはブドウ畑、トルファンを思い出す。庭にもブドウ棚があった。則さんはそこで、順さんは裏の畑で一粒のブドウを失敬。


3.3 アルベルベッロへ長い道のり
 昼食を終えてから長い長いバスの旅が始まる。実に4時間の旅だ。途中オートグリルで休憩をして一気にホテルを目指した。アルベルベッロが近づいてとんがり屋根が見えたときにはほっとした。


★ホテル シェラ・シルバナ 423
 広い敷地に平屋建てのホテルは、レストランまで遠い。その途中で、外国の人に「ジャポン?」と聞かれたので「イエス」と答えたら「広島ノー長崎ノー」と言われた。しばらくその意味が分からなかったのだが、そうだ、今日は8月7日。昨日が広島、あさっては長崎の原爆記念日だったのだ。全く頭になかった我々はものすごく恥ずかしかった。戦後60年の節目の年だというのに。そういえばイタリアは同盟国だったのだなあ。


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