9.8月13日(土) カザーレ荘、パリオ祭  快晴 

ホテル(0930)渋滞(1150)昼食(1300)(1325)カザーレ荘 37℃ (1530)(1540)ピッツァ・アルメリーナ(1945)(2040)ホテル


9.1 カザーレ荘 1325〜1530
 途中にも今日のパリオ祭のポスターがあったが、ここの入り口にも大きなポスターが貼ってあった。今日はこれを見に行く。その前にこのカザーレ荘の観光だ。

 ここは、モザイクがたくさん残されていることで有名だ。でも、入ると一番にローマ浴場に着く。お湯を通すパイプのようなものを見て感心した。中に入るとここからモザイクの始まりだ。この屋敷は大変広くて部屋がたくさんあるのだが、その全てにモザイクがある。その中で印象に残ったのは、ビキニ姿の女性達、三つ目の男、たくさんの動物たちだ。
 全て写真OKなのだが、保存のためと称してビニールハウスのようにしているので、暑い暑い、その上支柱がモザイクの上に映るので、なかなかいい写真が撮れない。ガラスだとダメという理由でビニルハウスになったというが、短絡というか全くどうにかならなかったのかと思う。

9.2 パリオ祭 1540〜1945
 いよいよこのコースの呼び物、パリオ祭。この会社でも初めてのことというので、詳細がわからないまま、会場へ行く。ところで(シチリアの)パリオ祭というのはどんなものかというと、時代祭を想像してもらえばいい。昔の格好をして練り歩くのだ。ノルマン人がアラブ人を追い出したのを記念してのお祭りなので、昔といってもノルマン人の格好をしているのだそうだ。
 駐車場からしばらく歩いて行くと市庁舎広場に出た。この道を上ってパレードが進んで行きますよ、と説明を受けていると丁度市庁舎でパリオ祭の展覧会をやっているというので見せてもらうことにした。休日ということで係員のサービスもよくて、議場にまで入れてくれた。そこにいるとき外から音楽が聞こえてきたので急いでバルコニーに出てみると、一つのグループが上がっていくところだった。そこで我々もそこの見学を終えて、メーン会場へ向かっていくことにした。

 開始時刻までまだ2時間近くあったので、殆ど観客というものはなくて、我々のように場所取りというものはないのかと思っていたら、メーン会場は桟敷席が設けられていて既に黒山の人だかり。やはりどこも同じようだ。パレードの様子がわからないので、順さんと則さんは違う角度の場所を陣取った。お互いの連絡はトランシーバーで取り合った。
 ようやく18時になると開会し、次々と貴族の格好をした人たちが会場に集まってきた。それから4つの町ごとのパレードが始まる。鼓笛隊あり、騎馬隊あり、踊りあり、戦いありと各町ごとに衣装や出し物を工夫しているので、飽きないでいつまでも見ていられる。この出し物の結果を争って1位になった町にパリオと呼ばれる優勝旗が渡される。
 まだ終わってはいなかったが、集合時刻が近くなったので後ろ髪を引かれながらもと来た道を戻って行った。その道々、後のグループに出会ったので、写真を撮らせてもらったりしながら戻っていった。更にラッキーなことに、一番最後から来るパリオ旗も見ることができた。ただ、残念なことにそれを写そうとした順さんのカメラの調子が悪くなって、写すことができなかった。もうおわかりのように、パリオサイトいえば、シエナの競馬が一番有名。というか、我々も、パリオ祭というのは競馬のことかとさえ以前は思っていたのだ。カンポ広場の写真はユーロ切り替えの時にイタリアに行った際の写真からどうぞ。

 ホテルまではちょっと遠いので、この町に泊まりたかったなあ、と感想を言いながらバスに乗った。

★ホテル ヴィラ・サン・マウロ  206


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