5.8月9日(火) オストゥーニ、レッチェ  快晴 

ホテル 20℃ (0900)(1006)オストゥーニ 25℃(1120)(1230)昼食(1400)(1415)ホテル 28℃ (1600)(1610)レッチェ 28℃(1830)(1840)ホテル


5.1 オストゥーニ  1006〜1120
 車の激しい通りを歩いて行く。イタリアは、道路が狭いのに路上駐車が多くて歩きにくい。歩道というものがはっきりと設置されていない場合も多い。この町もご多分にもれずそんな町。しばらく行くと上り坂で、益々狭い道になる。ただ、ここは入り口の所で車の進入をチェックしていた。それが中学生にしか見えない若い男の子。夏休みの研修かな。
 どんどん上がっていくと道の両側にはお土産やさんが並んでいる。名前を知らない町だったが、観光地なのだと思った。ここの売り物は白い家。町中が家を白くして美観を保っている。アルベロベッロもそうだが、白という色は汚れ易いだけに保つのは相当の努力が必要だろうと思う。道にはぽいぽいゴミを捨てて汚い感じのするイタリアだが、自分の家や町並みはきれいに大事にしているらしい。

 大聖堂まで行って解散。さすがにこの大聖堂は白くなかった。ここから下る道の両側にさらに細い路地がある。それを入りながらクネクネと下りて行くと、本当にみんな白い家。
 戻りのバスの中から町をみると白い山のように家が連なっていた。

5.2 シエスタ 1415〜1600
 昼食後、まずホテルへ行って休憩。暑いのでこれは助かる。当然のように洗濯。今回は荷物を少なくするために、下着や上着の数を少なくしたので、洗濯だけはまめにしている。

5.3 レッチェ 1610〜1830
 ここのガイドさんも日本人。ここレッチェには日本人が3人いるのだそうだ。
 はじめに「カルロ5世の城」を見た。対トルコの城塞だったそうだ。
 次に「円形闘技場」。当時の4分の1程度しか発掘されていないということで、想像力を働かせないと見ることができない。周りは賑やかな町だからだ。
 その横のサントロンツオ広場に「サントロンツオの柱」がある。アッピア街道の終点柱の一つ。サントロンツオというのは人の名前で、町の守護聖人だそうだ。広場の真ん中の道にモザイク画のような絵があった。また、マクドナルドもあった。ほとんどの店はシエスタで昼休みをとるそうだが、このマックだけは昼もやっているそうだ。シエスタをとらないと税金がかかるというが、それ以上の売り上げがあるのだろう。

 それから「聖イレーネ聖堂」辺りで、バルコニーの飾りについての説明があった。確かに、家によって異なり、いろいろ工夫がなされている。大聖堂の前を通り、路地を通りながら、いろいろな建物の説明を聞いたが、あまり印象に残らないまま、ひたすらガイドさんの後をついて歩いて行った。バロック様式の町というのだそうだが、うーん、正直よくわからない。要するに豪華な飾り付き建物というのだろうが。興味深かったのは、死亡公告のような張り紙。
 また大聖堂へ戻った。広場を取り囲むように、鐘楼や司教館、神学校などがある。
 集団で最後に見た「聖クローチェ教会」は素晴らしかった。ここの柱を支えるのがトルコ人になっていて、敵対関係を示しているのが面白かった。
 自由時間になってから近くの教会にはいると、ねじれている柱があった。後でガイドさんに聞いてみると単なる柱です、といわれてガッカリした。このタイプはこれ以後も何度か目にした。バロック様式の特徴の一つだ。その後また聖クローチェ教会に戻った。ちょうど結婚式が行われるようなので、花嫁が到着するまで野次馬精神でうろうろしていた。
 ここのお土産になるものは、人形と彫刻しやすいレッチェ石で作った作品。見るだけはしたが、買わなかった。

★ホテル ティツィアーノ 255


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