12月25日(木)
ボパール〜ジャンスィー〜オルチャ観光
起床(0600)・・朝食(0720)・・ボパール ホテル発(0833)・・ボパール駅着(0901)・・列車入線(1009)・・ボパール駅発(1018 <列車番号2137 車両番号b2 座席番号52・53>)・・ジャンスィー駅着(1447)・・バス発(1500)・・オルチャ・ホテル着(1540)・・マハル観光(1550〜1710)・・ラームラージャ寺院(1715〜1730)・・オルチャ ホテル着(1740)・・夕食(1930)
6−1 朝
連泊だったが今日は出立の日。朝起きたら直ぐに荷物の整理をした。実は今回荷物は意外と少ない。成田空港のカウンターでも楽勝でに二人合計40qの制限を下回った。いつもはギリギリと言うところなのだが。したがってぎゅうぎゅう詰める状態でないので、パッキングの時間も少なくてすむ。
朝食は昨日と同じ所なので、昨日と同じ状態を期待して行ったのだが、まだ準備が出来ていなかった。仕方なく外で時間をつぶしてから行ったがまだ。三度出直してようやく食べることが出来た。と言っても、昨日のようにトーストやオムレツなどを焼く人がおらず、あり合わせで済まそうかと思っている頃、ようやくトーストとお好み焼きのような物だけは揃えることが出来た。昨日は他に外国人の団体が入っていたので、そちらの方が出発が早く、それに併せてレストランの動きが早かったのかもしれない。
ホテルのロビーやガーデン、玄関はけっこう大騒ぎだ。昨日のクリスマスイブのパーティー客が帰るのと今日の結婚式のための客が入り乱れている感じだ。既にパーティーの準備が進んでいる。このために朝食の手がそがれた感じだった。
バスの運転席には、ヒンドゥーの神様が飾ってある。安全を祈願しているのだそうだ。お線香が飾ってあるが、これは昨夕日没時に祈りを捧げたたぶん残骸か(それとも今朝も祈ったのだろうか)。
6−2 モスク
駅へ向かう途中、この町で一番大きなモスクを見てみないかというバスの運転手さんの薦めもあって立ち寄ることになった。高いミナレットが2本立っていて、確かに大きい。少し写真タイムということで、外観だけでカメラに納めた。印度でも有数の規模を誇るモスクらしい。この街に住んでいるだろう運転手さんにとっては自慢の建物なのだろう。(写真は別角度から)
6−3 ボパール駅(0901)
一昨日夜に到着したボパール駅は、当然ながら昼間でも相変わらず騒然としている。荷物はまたポーターさんに頼む。布をクルクルッと巻いてうまいものだ。無事に自分たちの荷物が運ばれたのを確認してホームへ行く。
駅の跨線橋は改札がないから自由通路ともいえる。跨線橋の各プラットフォームに下りる部分は片側は階段だが片側は大きなスロープになっている。
未だ9時10分に同じプラットフォームから出る予定の前の列車が到着していないので我々の乗る列車も遅れそうだということで、ベンチに座って待つ。しかしながら、横にある荷物のせいかもしれないがものすごくハエが多い。が、立っているよりはましなので、我慢して座って列車を待つ。
予定よりかなり遅れて10時に入線してきた。
6−4 列車(1018)
<列車番号2137 車両番号B2> 座席番号52・53
今回はBクラスということで、3段の寝台仕様車。下と中段の席だ。とりあえずさっと乗り込むとやはり我が家は入口から近いために7個のスーツケースが座席の下に押し込められた。他に人はいないので、しばらくは独占状態だ。昼間でベッドはセットしていないので、先日と同じように快適に座ることが出来る。ただ、窓際のペットボトル置き場には、前の客の物と思える物がそのまま残されていた。自分たちで片付けるという習慣はないようだ。
途中で昼食の弁当が配られたが、あまり食欲をそそるような物ではなくほとんど残してしまった。添乗員さんが提供してくれたパパッとライスとふりかけそれに味噌汁中心で食べた。日本人であることを実感。
それにしても5時間近くの列車移動は大変だ。下り際に車体を見たら、そこには乗客の名前が張り出されていた。プライバシーも何もあった物ではないが、こうして乗客を確認するの?(下の写真の列車の出入り口に貼ってある紙がそれ)
6−5 ジャンスィー(1447)
ジャンスィーの駅には予定より遅れること27分。出発は1時間近く遅れていたのだから、まあインドにしては優秀なほうか。
ここからはまたバスに乗って移動。オルチャへと向かう。今度のバスは小さくてガイドさんと添乗員さんが同席するほどの混み具合。と言っても、1−2の配列で二人席は一人のお客が利用出来る。
6−6 オルチャ・ホテル(1540)
オルチャは他社ではあまり観光コースには入っていない様だが、どうしてどうしてお土産になりそうな物を売っている店が道の両側に並んでいた。個人で歩いている外国の人も多数目にした。
我々はまずはホテルに到着し、チェックインはせずトイレだけを使って直ぐ観光に出発。結構時間がおしている。写真はホテル前の順さん。レイをかけているが、外国人に対してこうした歓迎をするのが一般的だ。現地の人たちの最上級のかんげいの仕方なのだろう。ただ最初の日のデリーでも困ったのだけれど、このレイをどうするかだ。日本人的感覚では、そのままほったらかしにしてしまったらいただいた方に申し訳ないという感じがするのだが、だからといってやがて枯れてしまうものを持ち歩くわけにも行かない。
6−7 オルチャ観光(1550〜1730)
16世紀から18世紀にかけて26の宮殿と32の寺院、15のチャトリ(ここでは墓園の意味)が造られ栄えた。
周りからの攻撃にさらされるようになり、再び都を移すことになった。その後廃墟となる。
6−7−1 ラージ・マハル
ラージとは王様、マハルは宮殿と言う意味。ここは壁画がハイライト。
門をくぐると中庭に出る。正面が王や王妃の部屋。左が謁見の間。その下の地下式になっている所が馬小屋。なかなか立派な建物だが、あまり手入れされているようではなく壁などは汚い。黒ずんだりもしている。王の部屋の下を抜けて奥の中庭へ行く。この右側の所が壁画のある部屋。写真はいいがフラッシュはだめ、ということだったが、管理人に賄賂をおくって許可をもらう。
これがなかなかに素晴らしい。壁から天井まで壁画で埋め尽くされ、そのほとんどが保存状態がよくて色も鮮やかに残っている。ビシュヌ神の10の化身などが描かれている。でも、意識の低い管理人でこんなことを繰り返していると何れは駄目になってしまうのではないか。
6−7−2 ジャハンギール・マハル
ジャハンギールというのはムガル帝国第三代アクバルの息子の名前(その後第四代になる)。そのジャハンギールに捧げられた宮殿。ムガル帝国の庇護を受けるために、息子のジャハンギールをこの地に招待しようと考え、21年かけて造った。透かし彫りなどイスラム様式の建物になっている。が、ドームや蓮の花など、随所にヒンドゥー教のものも取り入れている。これだけかけて造ったのに、彼はたったの1日しか滞在しなかった。
この建物は、4階建て(地下1階地上3階)で、236もの部屋がある。左右対称の形に作られており、屋根の上には大小のドームが並んでいる。壁や通路の天井などにも豪華な彫刻が施されている。特に東側にあるメーンゲートには、彫刻の他にも黒大理石と白大理石がふんだんに使われている。また、ゲートの両側の壁にもアヒルの行列や戦士などの壁画がなされている。権力者をもてなすために、力を入れてかなり豪華な建物にしたようだ。
6−7−3 ヒンドゥー教寺院群
周りには沢山の寺院があったが、イスラム教徒が進入してきた際に破壊された。しかし、その中のいくつかの寺院からは予め神々の像などを避難させたために、一部が残されている。ただし、これらはその後、平和になったはずの時代に盗難に遭ってしまったという。夕日に輝きながらも、何処かそれらは寂しげな佇まいであった。
6−7−4 ラクシュミー・ナーラーヤン寺院
その宝を隠していたという寺へ連れて行ってもらった。ここはビューポイントにもなっていて、チャトルブジャ寺院やチャトリ群が見られる。
ナーラーヤンはヒンズー教の三つの主要な神様の一人であるヴィシュヌ神の別名、ラクシュミーはヴィシュヌの奥さん。ここは5時で終わっているはずだが、またもや賄賂で中に入れてもらい、且つフラッシュ撮影も許可された。というのも、ここも壁画であふれていたからだ。ビシュヌ神や化身、笛を吹く孔雀などが描かれている。中でも特筆すべきは、ビシュヌ神の化身の一つクリシュナ神が、沐浴をしている乙女達の服を隠してしまうという場面。乙女は常に慎み深くあれという教えを示しているのだそうだ。
ここはまた漆喰絵画とも言うべき黒と白で塗り分けられた壁面が有名だが、残念ながらその多くはいた面にあって無残な姿であった。保護が求められている。
6−7−5 町並み
狭い道路にひしめき合うように店が並んでいる。家の壁に絵が描いてあるのは、字が読めない人用?繁華街の店は間口が狭くびっちりと並んでいる。清潔好きなのか床屋が3軒もあった。そういえば、だらしなく髪を伸ばしている人を全く見かけなかった(修験者風のシーク教徒?などは除くが)。これはインドのどこへ行ってもそうで、床屋はたくさんあった。
6−8 ホテル(1740) AMAR MAHAL ★★★ 119号室
中庭を取り囲むように各部屋が造られている。平屋建て。
※ポットセット有り。水、ドライヤー無し。バスタブ有り。ただし熱いお湯が出ない。部屋も浴室も広いが、寒い。暖房器具は2つ置いてあったが、1つしか使えない。蚊がいたので蚊取り線香を付けた。鍵は昔の倉庫の錠前のような物。
6−9 夕食(1930)
中庭で民族ダンス(?)をしていた。なまめかしい女性は実は男性だった。この寒空に可哀相と思いながらレストランへ行ったが、ここも寒かった。