12月27日(土)
カジュラホ南群見学〜バナラシ〜プージャー見学
起床(0600)・・朝食(0700)・・カジュラホ ホテル発(0903)・・カジュラホ寺院群 南群(0908〜1010)・・土産物店(1015〜1035)・・カジテル(1040〜1120)・・昼食(1135〜1225)・・空港着(1235)・・空港発(1430)・・<ジェットエアュラホ ホウェイ 9Wー724 21D・E>・・バナラシ着(1508)・・空港発(1530)・・ホテル着(1605)・・夜の部ホテル発(1705)・・<人力リキシャ>・・プージャー(1803〜1857)・・バナラシ ホテル着(1950)・・夕食(2000)
8−1 朝
今日は午前中はのんびりと自由時間ということで、モーニングコールは無し。と言っても我が家はやっぱり早く起きてしまう。7時からの朝食開始も一番に到着。軽く食べる。
この後、我が家はオプションでカジュラホの南群を見に行く。ガイドさんは昨日と同じ人だ。あとから地図を見ると南群と東群は近い。まぁ現地ガイドさんの小遣い稼ぎのような感じもする。
8−2 カジュラホ寺院群 南群(0908〜1010)
昨日と同じ地図だが再掲。説明も同じだが、右の google map のオレンジ色が西群、黄緑が東群、クリームが南群。水色は施設を表示。
地図で飛行場に近い、つまりより南にあるクリーム色の目印が、「チャトルブジャ寺院」であり、東群の黄緑目印に近いクーリム色の目印が「ドゥラーデオ寺院」である。
8−2−1 チャトルブジャ寺院

12世紀のもの。チャンデラ王朝の時代。このチャンデラには次のような話がある。ある時、バナラシの王の娘が、誰もいないと思って沐浴をしていると、実は月の神が見ていた。月の神は娘の所へ下りてきて一晩愛し合った。朝になり月の神が戻るというので娘は怒ったがどうにもならない。やがて娘は男の子を産んだ。その子はチャンドラバルマンと名付けられやがてカジュラホを治める王となった。という、その人の寺院がここというのがガイドさんの説明。
少し資料などから補足すると、『ヨーロッパで民族大移動が起こった3世紀以降、インドにも様々な民族が押し寄せた。多くの血が混ざって生まれたのがラージプートの人々だ。9世紀、カジュラ(ナツメヤシ)の地にやってきたラージプートの一派は月の神チャンデッラを名乗り、チャンデラ朝を打ち立てた。』という辺りの話ではないか。月の神という男は王族で、女は地元豪族の娘といった感じだったのではないの

ここも彫刻は少しの隙間もないように壁面にびっしりと付けられている。やはりヒンドゥー教の神が多い。シバ神の像やシバ神とパールヴァティーが一緒の像、飛天、太陽神スーリヤなどが彫られている。ミトナ像もよく探すとある。中心にはリンガではなく神像が祭られている。
8−2−2 村を抜けて

通り抜けていく村はあまり豊かそうでなく、昔のままの家が残っていたりした。道ばたで勉強する子、水を運ぶ子、川で水遊びをする子など子供の姿がやけに目についた。
8−2−3 ドゥラーデオ寺院

周りは綺麗に整地されて公園になっている。手入れをしている人たちもいた。
飛天(天女)が多く、ぐるりと取り巻いている彫刻群の最上段はほと


○東:インドラ(帝釈天)。神々の中でも支配者であり、象と馬に乗り、神酒ソーマを飲み、金剛杖を武器として悪魔達と戦う。
○西:ヴァルナ(水神、司法神)。全てのものの上に君臨し、人間の行為を厳しく監視し、司法神として罰を加える。
○南:ヤマ(閻魔天)。ヴェーダ時代は死界の王として楽園にいたが、だんだん死者の生前の善悪の行為を記録し、その賞罰を司る神の性格を持つようになった。一般に恐ろしい容貌で表される。

○北東:イーシャーナ(支配者)
○南東:アグニ(火神)。インドラに次いで多くの賛歌がある。火を家庭生活の中心である「炉の火」として神聖化し、これに悪魔を除く力を認めて供物を投入したといわれる。
○南西:ニリルティ(死の女神)。死を神格化した女神。
○北西:ヴァ−ユ(風神)。風を神格化したもの。多数の馬の引く車に乗り、敵を追い払い、名声、子孫、家畜、財産を人に与える。神々の使者ともされ、白い旗を手に持ち、鹿に乗った姿で表される。
8−3 土産物店(1015〜1035)

おかしかったのは、あまりにも我々が買わないものだからだろうか、途中で次の仕事があると帰ってしまった。まぁそんあもんだろう。
8−4 ホテル(1040〜1120)

8−5 昼食(1135〜1225)

8−6 空港(1235〜)


そこから男性と女性が分かれてボディチェックを受ける。あまり意味は感じないのだが、安全か守られていると思って我慢。ここで、junのリュックにあった水を没収された。デリーからオーランガバードに移動する時にはOKだったのだが、ここでは駄目だった。
8−7 <ジェットエアウェイ 9Wー724> 21D・E

13時25分発の予定が、離陸したのは14時30分。約1時間の遅れになった。離陸すると直ぐに眼下に今日午前中の最後に訪れた南群の「ドゥラーデオ寺院」が見えた。子どもたちがそこから川へ飛び込んでいた、そして我々も歩いて渡った橋も見えた。そう思っていると、昨日の昼の観光の最後に訪れた東群の寺院が見えてきた。


もう一つ残念だったのが、タマリンドウのお菓子。酸っぱくって甘くってどこかに塩味が聞いている感じで・・・、この会社の機内サービスなのだが、今回はあめ玉の中にそれを見いだせなかった。(noriを哀れんだ添乗員さんは後日それを送ってくれた、ありがとう。)
着陸も14時10分の予定が15時8分。38分で到着だ。
8−8 バナラシ

さてバナラシだが、懐かしい感じがする。空港は綺麗だが、バスに乗って町に出ると、そこはまさにインドだった。活気がある。前回最初にここの空港に降り立ち、ちょっとしたアクシデントがあってこの街を彷徨したときは、個人旅行だったこともあって、この喧噪に圧倒され続けたのだった。
8−9 ホテル着(1605)
RADISSON HOTEL ★★★★★ 103号室

※ミネラル有り、コーヒーセット有り、バスタブ有り(ただしお湯はぬるい)、ドライヤー有り、無料インターネット有り。
8−10 人力リキシャ (1705〜1743)

二人でなるべく若そうで力のありそうな人のリキシャに乗った。
何しろ車も人もオートリキシャも一緒に、同じ道を交通ルールなど無い中を走って行くのだから、かなりスリルがある。車が直ぐ横を走り抜けていくたびにドキッとする。が、うまい物だ。殆ど止まることなく躱していく。はらはらしながら足を踏ん張り、手すりを握っているのでかなり疲れた。
8−11 プージャー(1803〜1857)

ところで、プージャー(利用した旅行者の表現ではプジャ)とはサンスクリット語。日本風に言えば、或

道を下っていった直ぐの大きいガート(ダシャーシュワメード・ガート?)は7人の若者が、その上流隣のやや小さい方は5人で行っていた。既に大きい方は相当数の人が集まっていたので、我々は小さい方へ行った。やることは同じだというので、少しでも見やすい方へ行ったのだ。我々はただ見るだけだが、人々は蝋燭を灯した花の舟(灯籠)を川に流していた。それを売りに回る人もたくさん来たが、すべて断る。
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帰りは冷えた体をチャイを飲んで温め、またスリルのあるリキシャで戻った。チップチップと要求されたので、幾ばくかを渡す。もっとも、よくやってくれたので、要求されなくても渡すつもりではいたのだが。
8−12 夕食(2000)

かなり豪華なビュッフェでいろいろ食べ過ぎ。何よりデザートのケーキ類が豊富で、junさんはチョコレートフォンドゥーをいっぱい食べていた。
それから部屋に戻ったのだが、外がうるさくてなかなか寝付かれなかった。