2、5月7日(土)晴れ 24度 走行距離約110km
散策(0540~0630)朝食(0700~0730)ショプロンホテル発(0800)ショプロン観光(0800~0856)ヨーロッパピクニック記念碑(0930~0940)フェルテー湖景観(0947~0958)エステルハージ宮殿(1038~1150頃)昼食(1340~1506)パンノンハルマ修道院(1508~1650)ジュールホテル着(1737)散策(1825~1920)夕食(1930~)散策(~2130)
2c パンノンハルマ
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2-11-3 修道院の敷地の門をくぐる
門を入る。門を入ってすぐに学校がある。学校は18世紀のもので、現在でも男性300人が学んでいる。国内でも有数の名門校で、学生はここに寄宿していて、週に一度週末には自宅に戻る。
現在、修道士は35人いる。以前はもっと沢山いたが、最近は学生の中から修道士になる人が減ってきているそうだ。
黄色い建物は年老いた修道士のための老人ホーム。今現在50人位いるとか。現職よりも多い。ここも高齢化社会か。
像は、1000年前にローマ法王から初めて王冠を受け取って来た大司教。手にしているのはハンガリーの王冠。この像は100年位前に造られた。
二重十字架をよく見かけるが、これは、ローマ法王が選んだ司教に対してハンガリーが拒否権を持つこと表し、三重十字架はローマ法王その人を表しているのだとか。
修道院は古い歴史があるが、建物は新しい部分が殆ど。
修道院の塔も1820年のもの。モザイクの中央にいる女性は、ハンガリーの象徴で、左にいるのが初めて王冠を受けたイシュトバーン。右にいるのが、1786年に、神聖ローマ帝国ヨーゼフ2世の修道院廃止令により閉鎖された後、1802年に再興したフランツ1世。
中に入る前に修道院の前からパンノンハルマの町を見下ろした。自然の中の町、それを見下ろす高台に修道院はある。
2-11-4 修道院に入る
入り口の門のクジャクは、永遠の命を表す。「ここを通る人は皆天国に入れます」ということでパラダイスの門とも言う。門を入って振り返ってみると、光が差し込んで、確かに天国のように輝いてまぶしかった。それでも、ここは一般の人の入り口で、修道士たちの入り口はもっと立派なのだそうだ。
廊下には油絵のように見える聖母子のモザイク画があった。これは宝石類でできているそうで55kgもあるそうだ。
そこからドアを開けて中に入る。最も古い部分になる。
オスマントルコ時代にモスクとして使われたために、調度品のほとんどは破壊された。地下部分は倉庫として使われた。ただ、元々ここは、修道士の祈りの場として作られたために、モザイク画などは少なかったそうだ。
正面の祭壇には、聖イシュトバーンのステンドグラスのある丸窓がある。かつてはこの窓から日が射し込んでいたそうだ。(ガイドはこれは聖マルティンだと説明したが、ハンガリー大使館の資料では聖イシュトバーンとなっている。) 他にもわずかだがステンドグラスがあったり、マリアの像があったり、内部の装飾も素晴らしい。そんな中、面白いのは、柱の模様が全て違うと言うことや、その柱の基の所に蛙やトカゲなどが彫られていることだ。
説教壇は大理石で造られており、並んでいるイスは19世紀のもの。祭壇の反対側には大きなパイプオルガンがある。
ここはまもなく修復にはいるので、中に入れなくなるとのことで、皆さんラッキーでした、ということだ。
2-11-5 古文書館(付属図書館)
36万冊の蔵書が保管されている世界最大の蔵書を誇るベネディクト会図書館と古文書館。古文書館はラースロー1世(在位1077~95)が創設した。
現在の建物は、200年前の物。フランツ1世が学校を修道院を再開した時に、学校と図書館も造った。地下にも蔵書がある。
ここにあるティハニ修道院の創立文書は、ハンガリー語の文献では、最古のものとされている。宗教書だけではなく、特に薬草に関する蔵書も多く残されている。
13世紀の手書きの本が一番古い。
この図書館を利用するにのは修道士や学者だけで、一般の人は特別な許可がいる。学生は学生用の図書館があるので、そちらを使う。
地球儀は200年前のドイツのもの。地球儀があれば天球儀も、と思って見回してみたが、ここにはこれだけだった。
天窓には16枚の鏡があり、明かり取りをしている。ローソクの火で火事になることを警戒したらしい。柱は大理石のように見えるが木材。
天井画はフレスコ画。科学の神を描いている。周りには、ギリシャやローマの学者のレリーフがある。
奥まった所にある二つの像は、左が王冠を被ったイシュトバーン(創造者)、右はフランツ1世(再建者)。
また、そこには、イシュトバーンのサインの残る文書とティハニ修道院の創立文書のコピーが展示されている。
その後、自由時間、といっても殆どないに等しかったので、我が家恒例の世界遺産の写真を撮るために外へ出たが、適当な場所がなかったので、ちょっと残念だった。
2-13 ジュール散策(1825~1920)
夕食までまだ時間があるので、散歩に出た。
目指すは大聖堂。歩行者天国となっている道を地図を頼りに出かけた。が、この地図の頼りないこと。多分こっちか?と見当を付けながら行くと無事に到着した。
大聖堂ではちょうど合唱の練習がされていたので、しばらく聞き惚れたが、内部の見学はできず、早々と退散。
次は、ドナウ川を目指す。
ここはちょうど支流のラーバ川がドナウ川に合流する地点。コシュート橋の上からその様子がよく見られた。この橋を渡りきってUターン。
次は本当の町の中心地、セーチェニ広場に行く。
ここにもベネデクト教会がある。その向かい側にはオープンカフェが軒を並べている。確かにこれだけの明るさの中では外でも気持ちがいいだろうなと思われる。それ以上に気持ちよさそうなのが、ロシアで見た悪戯噴水のような噴水。地面から直接水が吹き上がる。子供たちはその間を通り抜けて大はしゃぎだった。ここのは濡れなくてもいい程度の間隔があるので、上手に通り抜けていた。
ようやく薄暮になってきたので、ホテルへ向かい、最後にホテル前の市庁舎で写真を撮った。