3、5月8日(日) 曇・雨・曇14度 走行距離 約151㎞
起床(0400)朝の散策(0620~0635)ジュールホテル発(0830)ヘレンド(1004~1114)昼食(1155~1320)ヘーヴィーズホテル着(1502)温泉湖(1620~1720)ホテル温泉(1738~1800)夕食(1905~2030頃)就寝(2130)
3a ヘレンド
3-2 朝の散策(0620~0635)
夜が明けてきたので、散歩に出た。
今朝はまず市庁舎方面へ向かった。外の気温は、13度と表示されていた。ひんやりしている。
近くまで行こうと信号待ちをしていると、たまたま自転車で信号を待ちをしていた人に声をかけられた。その人が近くの公園にハンガリーの記念碑があるというのでそこへ行くことにした。半分以上何を言っているのか分からなかったが、多分そういうことなのだろうと判断して、行ってみた。
確かグレートハンガリーとか言っていたような気がしたので、そこにある地図が、多分ハンガリーが最大の領地を誇っていたときのものだろう。
更に先へ行くと駅の上の跨線橋に出た。となれば、絶好の撮影ポイントだ。ということで少し時間をとった。そこはジュール駅のすぐ近くだった。
3-4 ヘレンドへ
ジュールホテル発(0830)
出発の時に気温が14度まで上がったが、今日はどんよりした天気で、回復は見込めそうもないらしい。が、今日のコースは、外で見学というのではないので、まあよしとするか。だが、あまり寒くなるのは、温泉湖が待っているだけに気がかりだ。
もう一度菜の花畑の向こうにパンノンハルマを見ながら、バスは進む。
9時13分頃、13世紀の城跡だというチェスネック城を見る。
それから峠を越えるルートに入った。道の様子が、富士山周遊道路とか箱根の旧街道に似ている気がした。道幅が狭く(2車線)両側が林になっているあたりがだ。緑が綺麗だった。
峠を越えた。ハンガリーは高い山が無く、あってもせいぜい1000mをちょっと超える位と言うから、この道路はどのくらい高さのところを走っていたのだろう。
峠を下りると駅や町の教会なども見られた。教会は、町には必ずあると言うから、それらを探して見るのも面白い。
そういった風景を見るだけで特別に説明することもないと見えて、リストのCD「ハンガリー狂詩曲」をかけてくれたので、一同はそれを聞きながら次のポイントであるヘレンドを目指す。
そうこうしているうちに、ふと外を見ると、とうとう雨が落ちてきた。気温も下がってきているようで、温泉湖はどうなる、とそればかりが気になった。
3-5 ヘレンド(1004~1320)
ヘレンドの工場以外何もない町。ヘレンドはハンガリーを代表する磁器ブランドで、1826年に開窯。その後、所有者となった人が自分の出身地のこの町に窯を造った。手作りにこだわった磁器作りを続け、1851年のロンドン万博でヴィクトリア女王の目にとまり、一躍有名になる。その後、イギリス王室やハプスブルク皇室御用達のお墨付きを享受し、世界の名窯としてゆるぎない地位を確立した。
3-5-1 ヘレンド(1004~1114)
雨はまだ降り続いている。雨の中を小走りでまずは工房の見学。といってもここは観光客用の物で、本物の工房は隣の建物で、一般人は立ち入りが禁止されている。
まず5分位のビデオを見る。ヘレンドの歴史を日本語で説明していたが、面白い内容ではなかった。
内部の写真は一人100ftなどと言われたので、止めにした。
そこでは、型作りから絵付けまでを実際に作業を通して見せてくれる。確かに細かい細工を淡々と間違いなくこなしていく様は素晴らしい。が、それこそが職人技、値段の高さに結びついていると思えば、感心してみているだけのことで、我が家とは別世界の出来事のようだ。
それから付属の博物館も見学。1826年の創業以来の変遷、東洋からの影響、特別注文品、芸術的な作品の数々が観られる。が、磁器の良さが分からない我が家の二人は、ただフーンという感じで眺めていただけだった。まあ、感想を言うとすれば、すごいね、ということか。
最後はお定まりの直売店。かなり時間があったが、値段が折り合わずにただフラフラしていただけ。綺麗だが、高すぎる。食指の動くものもあったのだが、免税手続きをせねばならずそれも面倒なので、結局は何も買わなかった。
先年ドイツのマイセンの工場も見学したが、やはり同じようなもので、行ってしまえばもの真似白磁であり、日本人の興味は他国の人よりは劣るだろう。それでもJCBが使えたから、まぁ記念に買う人はいることはいるのだろう。
3-6 ヘーヴィーズへ
食事を終えてバスが出る頃になって、雨上がり、日差しが出てきた。でも寒い。後はひたすら、今日のお楽しみ、温泉湖を目指す。
1335頃、ボーキサイト工場事故の近くを通ったようだ。ここでは大きな事故があって、日本でも報道された。この時点でハンガリーに行こうと思っていたので特に興味を惹かれた出来事だった(ハンガリーアルミニウム赤泥流出事故)。といっても、実際にその事故現場が分かったわけではない。この近くですということだ。
1411頃シメグラ町通過。山上に城跡が残る。山と言っても低い。平地の中にポツンとある感じなのでそこが高いことが分かる程度なのだが、これらの山は昔火山だったというから驚きだ。今は死火山。
1433~1440の間、写真タイムということでバラトン湖展望台で、下車。雨こそ降っていなかったが風が非常に強く、寒いので、たったの7分間という短さ。これでも誰も何も言わず震えている。
バラトン湖は、中央ヨーロッパ最大の湖。飛行機の中での航路図でも大きく表示されていたほどだ。それでも琵琶湖と同じくらいの大きさ。出る川はないが、運河が造られドナウ川に通じている。平均の深さは2~3mで、最深部でも14mしかない。
その近くで、カゴや鍋を売っている露店があった。鍋というか、これは、スープを作るときに使うものだそうだ。
1453頃 ケストヘイの町のフェシュテティチェ宮殿の塔が見える。
バスは温泉湖目指して、走った。相変わらず、かなり雲の低い天気が続いている。バスの中では、泳ぐ?やめる?との会話が多くなった。
15時少し前に、その姿を表した。写真で見るよりも、かなりでかい。そこからさらにバスは走る。この距離を歩くのはしんどいなぁとnoriはぶつぶつ言っている。