6、5月11日(水) 晴れ 走行距離約320㎞
起床(0430)朝の散歩(0515~0615)朝食(0620~)ケチケメートホテル発(0700)ホルトハージ(1020~1150)昼食(1208~1320)石橋(1328~1335)トカイ(1538~1700)リラフレドホテル着(1830)夕食(1930~2030)夜の散歩(2030~2051)就寝(2230)
6b トカイ と リラフレド
6-9 トカイ(1538~1700)
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トカイはやはり観光地だ。30キロも前から。それまでに見たこともない大きな道路標識で、後何キロと知らせている。
トカイの町が近づいて来た頃、バスはティサ川がその支流であるボトログ川と合流するあたりを橋で渡る(Tisza and Bodrog river)。水量は多いが、ゆったりと両河川とも流れている。バスはティサ川を遡るかたちで、トカイを目指す。
トカイ山(約500m)およびその周辺の南側の斜面にブドウ畑が広がる。
トカイワインが有名になったのは、その品質からであることはもちろんであるが、ルイ14世をして、「Vinum Regum, Rex Vinorum(Wine of Kings, King of Wines・・・王のワイン、ワインの王)」と呼ばせしめたのはあまりにも有名な話である。この貴腐ワインの起源については、よくこう語られる。オスマントルコとの戦いでブドウの収穫が遅れ、貴腐葡萄と後に呼ばれるある種の細菌によって天然の状態で干しぶどう状態になった。それを
捨てるには惜しいとして、ワイン作ったところ、極上の甘いワインができあがったという。
これは後から作った話でおそらくはあろう。トカイ山山麓を中心とした土地はワイン造りに適していた。斜面のよく日の当たる大地と二つの川(Tisza and Bodrog river)から発生する水蒸気は葡萄の生育に適し、緯度が高い割には遅くまでの収穫を保証していた。12世紀には既に記録が残っているが、考古学的にはローマ時代紀元前までさかのぼることが可能だという。
その後200年間はトカイワインの黄金時代が続くが、オーストリアとの戦いやブドウの病気などで一時衰退してしまった。が、再び復活した。しかし共産党時代、一時期品質の低下も見られたが、現在では600もの醸造所が、一定の基準に従ってトカイワインの伝統を守っている。
6-9-1 ワインセラー
トカイでは、ラーコーツィ・ピンツェというワインセラーに入る。、
ここは13世紀から14世紀頃に作られたと思われる。1256年の文書にははっきりと記録されて残されている。
かつてはラーコーツィ家(500フリット札に描かれている将軍のものだった)が所有していたが、その後ハプスブルク家に渡り、それから転々として社会主義の時代は国家のものとなった。1992年からは株式会社となる。現在はフランスとハンガリーの合弁会社になっているようだ。
全長1.5kmにわたる24の蔵が2万haのワインを貯蔵できる位の規模だったが、今は400mくらいは残っている。そのうちの100mほどが観光客のために開かれている。
我々が通されたのもそんな所で、樽などが並んでいるが、観光用で中は空っぽだとか。(当たり前か)
6-9-2 試飲
ここでは、6種類のワインの試飲ができる。
そもそもトカイワインと言えるのは、このトカイ地方で採れたブドウを使って作ったワインのみ。それも白だけ。他の地域のワインと混ぜるのも御法度だそうだ。
テーブルには、スコーンのような塩パンと壺が置いてある。パンはワインとワインの間に口にする。壺は余った分を入れるもの。まあ、我が家には関係ないが。日本では、試飲の場合には口に含んではき出す。そして水を含んで口をゆすぐ。こちらの方式では、要らないものはピッチャーに捨てるということなのか。口直しは、塩パンを口に含んで、リセットする。と書いたが、ツマミの意味もあるのかもしれない。我が家はしっかりと、口をゆすぐ水を持参して臨んだのであった。
試飲したのは以下の通り。なお、記録用紙も置いてあって、アルコール度、1リットルあたりの砂糖の量、などが書かれている。勿論最後にはしっかりと値段も書いてある。
①フルミント(2009年)・・・辛口。砂糖0g。トカイでは60~65%がこの種類で、貴腐ワインを作るときにベースになるワインでもある。OEMとラベルにはある。おつきあいで出しているワインと言うことなのだろうか。
②ハルシュベル(2007年)甘口。砂糖62g。食前酒としてよい。ブドウの収穫時期を10月末頃と遅らせることによって、糖度を高めているとのこと。甘みが強い。
③(2007年)黄色いマスカット・・黄色いマスカットを使う。砂糖は62gだが、②よりも甘く感じた。5~6年までが美味しく飲める期間だそうだ。
④サムローニ(2005年)・・・貴腐ブドウと普通のブドウを初めから一緒に混ぜて作ったワイン。1年間は樽で、その後の1年間はボトルで寝かせておかねばならない。貴腐ではないが、砂糖は74gもあり、甘い。
⑤アスー3貴腐ワイン(2003年)・・・砂糖は105.2g。かなり糖分が多い。フルーツの味がしていいでしょ、と言われたが、junは香りが葉っぱみたいできつすぎると感じた。
⑥アスー5貴腐ワイン(2001年)・・・砂糖は147.5g。更に糖分が多い。この辺りになると,昔は薬としても飲まれたそうだ。そう言われれば養命酒っぽい感じもしないではない。が、junは今日の中では一番美味しいと感じた。
勿論試飲だけではなく、ワインの作り方などの説明もあったが、それらは殆ど頭を通り過ぎていった。・・・とjunは書いているが、飲む方だけはしっかりと飲んでいた。
で、貴腐ワインのグレードと言うことになるが、そもそも貴腐葡萄だけで作ったものも存在するらしいが、一般的には一つの大きなゲンチと呼ばれる葡萄樽(もちろん大きさが決まっている~136リットル~)に、大きめのかごのようなブットニと呼ばれる樽(大変恐縮だが、おはかまいりするときにつかうやつの二回りくらい大きなやつ)何杯分の貴腐葡萄を発効途中に加えるかで、グレードが決まる。3籠分から6籠分までが普通存在し、この単位をブットニと呼ぶ。つまり、⑤は3ブットニのトカイアスーであり、⑥は⑤ブットニというわけ。混ぜた貴腐葡萄は一日おいてから絞り出し、後は寝かせて飲み頃になるのを待つ(3年以上・・・その間も何度か濾過をするという)。noriはしっかりそこの所を質問して確認していた。なお、貴腐葡萄は籠の中に入れておくと、自分の重さで果汁が搾り出される。これだけを使って作った貴腐葡萄酒がエッセンシアと呼ばれるもの。かなり高額。
試飲の後はお買い物。⑤と⑥を3本ずつ購入。何本も買ったのは我が家以外にはいなかった。
ここで世界遺産は通算260個目になるので記念撮影。
外へ出て酔っ払いの像の前でももう一枚。
6-11 リラフレド <ホテルパロタ 12号室>
ホテル着(1830)
城館ホテルという今回の旅の売り物の一つのホテル。1930年にオープンしたホテルだ。
部屋のタイプが違うというので、くじ引きになった。我が家はjunが引いた1階のちょうど曲がり角にある部屋。そのために窓が3つあるので、3方向が楽しめる。といっても高い木があるので池はチラホラという感じ。
皆1階だったので、見える風景はそう変わらないと思うが、後で点検に来た添乗員さんが、角部屋なんですね、と一言。良かったか悪かったのかは彼女のみが知る。
シャワーのみ。バスローブあり。ここで初めてインターネットが使えた。