8、5月13日(金) 晴れ(24℃) 走行距離67㎞
起床(0530)朝の散歩(0600~0630)朝食(0640~)ブダペストホテル発(0830)英雄広場(0857~0920?)国会議事堂(0948~1047)エステルゴム(1220~1306)昼食(1333~1440)ヴィシュグラード(1452~1538)センテンドレ(1618~1812)ブダペストホテル着(1850)ドナウ川クルーズ(1923~2130)ブダペストホテル着(2140)
8a ペスト側観光
8-2 朝の散歩(0600~0630)
外へ出たときには傘を差さなくてもいいようだったので、とりあえず、エリザベート橋の方へ行ってみることにした。
最終目的はゲッレールトの丘の近くにある「哲学の庭」。どのくらいの時間がかかるか試しに、と言う意味合いでもある。
ドナウ川沿いに暫く行くと、思ったよりも早く橋に着いた。橋桁は白く塗られていて上品だ。エリザベートを意識してのことだろう。
車道と分かれて歩道があるので、安心して歩くことができる。橋の先にはゲッレールトの姿がはっきりと見られた。
一つポツンと立っているのは、自由の女神。アメリカのとは違うが、ガイドさんはそう言っていた。
橋で面白かったのは、蛙の通り道が描かれていたこと。本当にこのように歩いて行くのか、実際に見てみたいと思ったが、蛙はいそうもない。
橋を渡りきった頃ちょっと雨がまた落ちてきたので、今日はここで引き返すことにした。
8-4 市内巡り1
ブダペストホテル発(0830)
出発の時にはもう傘の必要は無くなった。
ホテルから出発する前に、ホテル近くの郵便局に絵葉書をまた出しに行った。ポストが外国に出す専用のものがあるかと思ったがなかった。
今日と明日ドライバーが変わる。労働条件のためだそうだ。このドライバー、noriに言わせるとjun好みの運転をする。確かにそうだ。つまり慎重では無いということ。
そんな運転で市内を巡る。ガイドさんの口も滑らかで滑るように解説が続く。
アンドラーシ通りの建物の高さは全て同じ。下を走る地下鉄1号線は、ヨーロッパ大陸で最古のもの。1896年、建国1000年祭の年に作られた。この時に、オペラ劇場や国会議事堂、聖イシュトバーン教会、英雄広場なども造られた。市民公園となっている所では万博も開かれた。この頃のハンガリーは、フランツヨーゼフとエリザベートの時代で裕福だったのだそうだ。ハンガリーというより、二重帝国の時代だからハンガリーだけの力というわけではなさそうだ。
この市民公園というのは、元々はマーチャシュー王の所有地だった所で、18世紀にマリアテレジアの時代に整備された。
地質学研究所を車窓から見る。これもレヒネルによるもので、ジョルナイの工房で焼かれたもの。
これらの他にも大使館通りを通ったので、次から次にいろんな国の大使館を紹介してくれた。また、誰々の家です、像ですとこれまた次から次で混乱してしまった。
8-5 英雄広場(0857~0920)
中央の騎馬像は、王国以前の7つの部族の長を表す。正面にいるのがアールパート。アルパードは6人の部族長とともに896年カルパチア盆地に到達して定住した。彼の子孫が後に初代ハンガリー国王となったイシュトヴァーン。
36mの柱の上には王冠と二重十字架を持った大天使ガブリエルがいる。
半円を描くコロネード(柱廊)が左右対称に広がり、柱の間にはハンガリー史において活躍した王や政治家、英雄たち14人の像が並んでいる。14人のうち8人が国王で残る6人は将軍や政治家たちだ。
一番左が初代国王イシュトバーン(11世紀)、中央から右に二人目がマーチャーシュ王(15世紀)。最後の14番目はコシュート・ラヨシュ。ハンガリーの独立を願って生涯を自由運動に捧げた人。それぞれの下には、有名なシーンがレリーフで表されている。
手前の白い石は、「英雄の石」と呼ばれ、独立戦争で亡くなった無名兵士たちのための墓石。外国からの賓客が来るとここで花を捧げるそうだ。
この広場を取り囲むように西洋美術館やアートギャラリーがある。これらは、120年前に作られたものだ。やはり、フランツヨーゼフとエリザベートの時代。
8-7-1 階段
無事入り口を通過しても自由に見学できるのではなく、見学するに当たって、警備員が付いてきて色々と指示する。初めにきちんと並んで片側に寄るように言われた。
この建物は、1884~1904年にかけて造られた新ゴシック様式で、大聖堂のようだ。デザインはコンペで選ばれたもので、設計者の像が、階段の所にある。ちなみに、2位の作品は最高裁に,3位のは農林省の建物になっている。
正面の階段は96段。赤い絨毯が敷いてある。ドームの高さも96m。つまり、建国の896年にあくまでもこだわった数字となっている。
部屋は600以上もある。どうしてこのように大きなものを造ったかというと、その頃のハンガリーの領土はもっともっと大きかったからだ。例の、ヘレンドで早朝散歩していたときに話しかけてきたおじさんの自慢げな話の時の領土だ。中にある全ての階段をつなげると20kmにもなるという。ヨーロッパではイギリスに次いで二番目に大きな国会議事堂だという。
ここの柱は御影石を使っているが、これはスウェーデン国王の贈り物で、8本もある。ヨーロッパ全体でも16本しか無いのにここには8本もあると自慢げだった。イギリスには4本しか無いと何度か繰り返して説明した。
また、ハンガリーには大理石は採れないので、建物の一部には人工の大理石を使っている。が、金はふんだんに40kgも使われている。
天井には大きな絵が、また窓にはステンドグラスがはめ込まれていた。本当に大聖堂のようだ。
8-7-2 王冠
中央のホールに置いてある国宝ともいうべき王冠は、ガラスケースに入れられ、衛兵に守られていた。
この王冠は初代国王イシュトバーンがローマ法王から授けられたもの。戴冠式の時だけ使われていた。第二次大戦後、一時アメリカへ持ち去られていたが、1978年に変換された。学者は、本物に間違いないと言っている。
上の十字架が曲がっているのは、戦いの時に曲がったとか箱から出すときに曲がったとか言われているが、正確なところは分からないそうだ。
気がついたら曲がっていたということか。
ガラスケースの中には、王冠だけではなくシャクも入っている。中央にエジプトのクリスタルがあるということだが、よく分からなかった。というのも、衛兵に近づくと離れろと注意されるので、確認したり一緒に写真をなどとはとても言えない雰囲気だった。
柱の上には王たちの像がある。アールパートから時計回りに時代順に並んでいる。皆は中心を見ているのに、アールパートだけはただ一人の女性、マリアテレジアの方を見ている。これを造った頃はまだ二重帝国の時代だったので、オーストリアの王もいた。
王冠がまだ博物館にあった頃、クリスマスの時にはここにツリーが飾られたのだそうだ。
そのうち、衛兵の交代の時が来た。といっても彼らが引き上げてしまった後、代わりの衛兵は来なかった。
8-7-3 待合室
ここで議員達は歓談をしたりインタビューを受けたりした。柱には職人や商人など仕事をしている人たちの像が並んでいるが、これは、この一般の人たちに選ばれた存在であることを忘れないようにという戒めの意味があるらしい。思想的には素晴らしいと思うのだが、実際にはそうでは無いようなのが、ガイドさんの口から吐き出される。彼らが一番熱心でまとまるのは、自分たちの給料を上げるときだけだそうだから。
天井には大きく絵が描かれていた。柱は大理石のように見えるが、赤いのはプラスチック製。できるだけ国産のものを使うようにしており、絨毯も国産のもの。大きな花瓶はヘレンドからの贈り物で、ハンガリーの有名な詩人の詩が書かれている。
8-7-4 議場
かつては二院制だったが、今は一院制。今日は会議が無いので、議場を見学することができる。北側と南側と同じ作りになっている。現在使用しているのは南側だ。我々もこちらを見学する。北側は、何か集会などがあるときに使われるそうだ。南側で議会が開かれていると見学は北側になる。
議員数は386人で女性は10%程度。
議場の入り口に葉巻置き場があり珍しかった。中は禁煙になっているのでここで吸い、会議が始まったらここに置いてその番号を覚えておく。そうすると戻ってきて自分のが分かるということだ。
中に入るとこれまた装飾がすごい。
一番前の席は大臣席。正面上が議長席。その下が速記者席。議長席の後ろに並んでいるのは、貴族の紋章。
その両側にフレスコ画がある。左は1867年のフランツ・ヨーゼフの戴冠式。場所はマーチャーシュ教会。右は1848年の議会の様子。この年、初代のハンガリー内閣が作られ、コシュートは財務大臣に就任し、近代的諸改革が実施された。
座席の下にはちょっとした工夫が施されている。それは冷房装置。氷の部屋が地下にあってそこから冷たい空気を送り出し、座席の下に空けられた空気穴のようなところから冷気を送り出したそうだ。
これで見学が終わり。途中トイレもあったが、観光客は入れないとのことだ。
そんなものを見ながらゆっくり歩いていると、議員が来るので急いで外へ出るようにとせかされた。こうして最後は慌ただしく、国会見学は終わった。