7、5月12日(木) 晴れ 走行距離355㎞
起床(0445)朝の散歩(0545~0640)朝食(0650~)ホテルの塔(0725~0745)リラフレドホテル発(0759)アグテレク鍾乳洞(1042~1220)昼食(1515~1645)ホローケー散策(~1730)ブダペストホテル着(2040)夜景撮影(2040)就寝(2300頃)
7a アグテレク鍾乳洞
7-2 朝の散歩(0545~0640)
荷物ができた所で恒例の散歩へ出る。
ホテルの下に滝があるというので、まずそれを見に行く。実は、昨日も夕食の後来るには来たのだが、暗すぎてよく分からなかったのだ。ガイドさんはお勧めの様なことを言っていたが、たいしたことは無かった。もっとも、山があっても低いハンガリーでは滝自体が珍しいのかも知れない。
その前に男性の像が建っている。誰なのか分からないが、(ガイドさんはあることさえ知らなかったらしい。つまり新しいと言うことだ)昨夜はブレザーを着ていたのに、今朝はなかった。誰が脱がせたのか不思議だった。
それから近くの散歩に出た。まずホテルの周りをグルリと回ってから、昨日見付けた駅へ行った。この先へも行っているようで、トンネルもあった。
途中で会った人を昨夜の撮影ポイントへ連れて行ってから、ボート乗り場を通って湖畔の遊歩道へ行った。シーズン中は商いをしているのだろうが、今はひっそりと閉ざされていた。そこから先の道は鬱蒼とした森の中という感じの道だった。
思わぬ森林浴をした。
7-6 アグテレク鍾乳洞(1042~1220)
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アグテレク鍾乳洞はハンガリーと隣国スロバキアをまたがるカルスト台地の中にある。「アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群」として両国にまたがり世界遺産に指定されている。我が家としては、訪問261番目のサイトとなる。
この地は2億5千年前には海だった。貝や動物の死骸が石灰岩に成り、地殻変動により隆起。これは約3千万年前頃と思われる。その後、雨水などの溶解浸食を受けて徐々に空洞ができ、天井から鍾乳石が垂下し、床下に石筍ができた。
我々が入るのは、アグテレクにあるバラデラ洞窟。1kmくらいを1時間かけて見学する。
全体には25kmの長い洞窟で、そのうち5~7kmはスロバキア側にある。200万年かかり現在の姿になった。古代人(7000~3000年前)も利用。1935年から観光客が増えて来たので、道などが整備され、今では25万人が訪れる。
自然に出来た入り口は2つある。そのうちの一つから入る。
中にアヘロンという川が流れているが、雨が多いと増水して中に入ることができない。逆に雨がないと川の水がなくなって水鏡ではなくなってしまう。今日はその点、丁度いい位の状態だそうだ。川の水は7km先の村まで流れてわき出しているそうだ。
我々が歩く通路は決められている。横道に入ることもできて、5時間とか7時間のコースもあるが、それは完全な探検用の装備がないと行くことはできない。
初めに「骸骨の部屋」というのがある。古代人の骸骨13体がここで見つかった。
「亀の部屋」という所もある。亀がいたわけではなく岩の形が亀に見えるでしょ、ということらしい。
洞窟に生息する生き物は262種類を数えるが、なかなか目に触れることはない。最大の体長は2cm。コウモリもいるが、観光客が増えてからその数は少なくなった。冬場でなければ殆どを外で過ごしている。
岩の黒くなっている所は、古代人や、電気のないときに入り込んだ人たちが火を使った跡。すすの汚れだ。赤く見えるのは鉄分を含んだ土の所。
さまざまな色や形や長さの鍾乳石と石筍には、それなりの名前が付けられている。例えば、教会の説教壇という神々しいものもあるが、殆どは魚、キジ、ワシ、亀など生き物系が多い。姑の舌などというのもある。
そこから階段を上って上の階層部分へ行く。
「コンサートホール」は、椅子が沢山並んでいて、実際にコンサートも開かれることがある。結婚式も行うことがある。この日は、音楽を流してくれた。確かに音の響きがよくしばらくは心地よく聞き惚れた。音と共にライトが点滅して視覚でも楽しめるように工夫されていた。
スロバキアまで続いているという横穴があった。今では水が天井まで届いていて通行不能だが、1932年にはここを通ってスロバキアに行ったそうだ。
「黒い部屋」には13mもある石柱があった。一番大きいものだそうだ。古代人はここまで入り込んで住んでいた。ここにも自然の出入り口がある。去年、雨が多かったときには,ここから出入りしたそうだ。
「虎の部屋」は、その名の通り。虎に見える岩があるということだ。
通路には新しい石筍が今でも創られていく。ただ、歩くのに邪魔になるようになると壊してしまうのだとか。
アンモナイトがある部屋もあった。
このような感じで次々に行き着く広間には名前がつけられていた。
「石柱の部屋」には一番多く石柱がある。倒れかけているものもあるが、洪水の時や自分の重みでそうなる場合もある。また、昔の観光客が壊して持ち去ったということもあった。「食料庫」には天井から肉とソーセージがぶら下がっているように見える。みんなそうだねえ、とうなずきながら聞いている。
「宴会の部屋」には人工の出口がある。ここには人工的に創られた出入り口が全部で八カ所ある。そこから狐などが出入りしてしまうこともあるそうだ。
最後の部屋は「レースの部屋」。鍾乳石が細かく密集して、薄いレースのカーテンのように見えるのだ。古代人もここまでは来なかったので、ススなどがなく綺麗なままで残っていた。が、1967年、ここにも人工的に出入り口が作られ、その際の爆破によって周りが壊されてしまった。
我々はその出口から外へ出た。
これまでいくつも鍾乳洞を見てきた我が家としても、これだけの規模の大きなものは他に記憶がない。それほどのものだった。